第47話 そして夜が明ける
「間に合った……か、よし」
あれから家に帰り、着替えを済ませて、俺は岬診療所にやって来た。
時間は今、午後6時に差しかかる頃。
まだ面会時間には十分だ。
「あら……歩くん」
そうして恵のいる病室を目指す途中、看護士の小町さんと鉢合わせた。
この人と会うのも、結構久しぶりになる。
「お久しぶりね~。今日はお見舞い?」
「ええ。なんとか時間が出来て……あの、小町さん」
そうだ。念のため、確認しておこう。
「恵の足を手術できる先生、まだお金さえあれば、引き受けてもらえるんですか?」
「……うん、安心して。私もしぶとく、先方と取り合ってるから!」
グッと握った拳を見せて、微笑んでくれる。
小町さん……通常業務もあるのに。
俺はこの人にも、世話をかけてしまってるんだ。
「すみません。ちゃんと……用意しますんで」
「は~い、待ってるわ」
高校生が1000万円。
まるで雲を掴むような話なのに、彼女はただ頷いてくれている。
まるでこの場を撒くように一礼し、俺はまた病室を目指すことにした。
「こら、歩くん」
でも、ふと背後の方から小町さんの声が。
「あんまり気負いこまないよ~に!」
振り返れない。
何も言葉を返せない。
こういうのを本当に、申し訳ないって言うんだな。
やがて恵のいる病室 203号室の前へと着いた。
コン、コンとドアを叩く…………が、返事がない。
「恵、いるのか~?」
呼んでみても…………やっぱり返事はない。
たぶん、いると思うんだけど。
「……入るぞ~」
俺はそっと、病室のドアを開けることにした。
――すると
「! あっ……」
部屋の中に、妹の姿はちゃんとあった。
ベッドの上で気持ち良さそうに眠っている。
「……」
うっかり起こしてしまわぬよう、静かに、静かに……
ベッドの傍らまで近付き、そのすこやかな寝顔を改めて目にした。
「……スゥ……スゥ」
かすかな寝息。
頬にそっと手をあててみると、柔らかさと温もりが感じられた。
……こいつは今、どんな夢を見てるんだろう。
夢の中じゃ、恵も1人の女の子なんだ。
どこか知らない国に行ったり、野原を駆け回ってたり……たぶん、そういうよくある風景を描いてるのかもしれない。
でも、現実は……
頬からスッと手を離し、その身体にかけられた布団の方へと目をやる。
「……!」
人並みに生まれながら、人並みに生きられなくなった妹……そうなった原因は全て!
「見てろよ、恵……」
あれから6年が過ぎた。
時が流れれば人は年を取り、変わっていく。
だから、ずっと同じ人生を送るはずなんて無い。
……明日だ。
明日こそ俺は、この罪悪感と背中合わせな毎日から、おさらばしてやる。
一夜が明けて、7月30日の朝。
サンシャイン、そしてハレーションの月形ドームライブ当日――。
集合場所のアクセルターボビルへ向かうため、俺はまだ人通りの少ない街の中を歩いていた。
すると
「おっはよ~、あゆみたん!」
背後からやって来た美咲に、ポンッと肩を叩かれる。
「おはよ、美咲。朝から元気だね」
「と~ぜん。待ちに待ったドームだよ?」
昇ったばかりの朝日と同じくらい、まぶしい笑顔。
よほど今日を楽しみにしてたみたいだ。
「そっか。うん……今日なんだもんね」
「そうだよ~」
2人で並んで歩いていると、やがて目的のビルが見えてきた。
「ふんふふん、ドーム。ふんふふん、ど~むぅ!」
それにしても、ご機嫌だな~。
さっきからずっと笑ってるよ。
まぁこの娘も、デビューしてからここまで来るのに、結構回り道しちゃったタイプなんだ。
「完売したチケットさ、全部で5万枚あったってね」
「え……うん」
勢いに水を差すみたいだけど、1つ確認したくて。
単純に考えれば、それは今日の総観客数が5万人に上るということだろう。
「手に入れた人のほとんどは、サンシャインのファン……だから、始めは私たちを歓迎してくれないかもしれない」
「そっ……か~。そうだね~。う~ん、フーチューブの中じゃあたしたちだってぇ……」
たしかに、そうだけど。
ここ1週間は、ライブ効果で動画を観てくれる人もかなり増えてくれた。
あの人たちがみんな会場に来てくれたら、俺たちにも分はある。
……でも、そうもいかない。
影響が及ぶのは、おそらくアクセルターボによるライブ終了後の動画配信ぐらいだろう。
「だからさ……美咲のこと、頼りにしたいんだ。その笑顔がいつもみたいに傍にあれば、私もいつも通りでいられると思う」
「あ、あゆみたん……!」
不安なのは俺だけじゃない。きっと、みんなも同じ。
十万もの瞳を向けられる感覚……これを知る者は、ハレーションにはいないから。
もし恐怖にかられ、みんながハレーションでいられなくなったら……ライブはたちまちグダグダだ。
せっかくのチャンスもふいになってしまう。
「美咲、大丈夫かな? ホントは不安だったり――」
「な、な、何、もう~? ライブ前だからってさ! もう……も~っ、可愛いなぁ!」
あ、あれっ?
なぜか美咲が、顔を真っ赤にして俺の背中をバスッバスッと叩いてくる。
なんか不安を確かめ合う……とか、足りないところを支え合うつもりだったのに。
「まっかせて! 篠原美咲の笑顔は、どんなステージでも不滅です!!」
そう言うと、ニコッとまた笑ってくれる。
「……ふふっ、そっか。良かった」
どうやら見くびってたみたいだ。
俺みたいな俗物とは感覚が違う。
この娘は生粋のアイドルなんた。
「あっ、あゆみちゃ~ん。美咲ちゃ~ん!」
「……まだ6時40分……みんな、気が早い」
やがてビルの入口前にたどり着くと、既に由香といつきが来ているところだった。
「お待たせ~。これでみんな、集まったね!」
「うん……みんなでライブだ」
ハレーション4人、無事に集合。
ただ、入口のドアはまだ閉まってるな……しばらく待つか。
そうしてしばらく、みんなでお喋りしていると
「あっ、沢口さんだ」
由香が入口のドアの方に気付く。
目をやると、以前会った沢口という事務員の方が、自動ドアの鍵を開けているところだった
「みなさん、おはようございます」
「おはようございま~す!」
みんなで沢口さんのところへ駆け寄る。
さぁ、ここからライブ準備の始まりだ。
「今日はよろしくお願い――」
「こちらです」
すると沢口さんはクルッと背を向けて、社内へと歩き出した。
目を合わせる素振りも無かった……時間が押してるのかな。
社内はとても静かだ。
いつもはそこかしこに所属タレントや社員が行き交ってるのに、今日はまるでガランとしてる。
「みなさん、今日はお休みなんですか?」
「……」
沢口さん、さっきからずっと黙ってる。
どうしたんだろう、この前はそれなりにフレンドリーな感じだったのに。
「…………」
みんなも無言だ。
そうだよなぁ。沢口さんを置いて4人だけで会話するのも何か壁を築いてるようで、やな感じだし。
まぁ、ここは彼に合わせることにしよう。
……と思ってる内に、階段を下りる。
あれっ、上の会議室じゃないのか。
地下に行くとなると、もう駐車場に車が用意されてるんだろうか。
「……」
「えっ、ここ?」
やがて一行が行き着いたのは、え~っと……倉庫?
フロアの隅っこにある、学校の体育用具室のような部屋。
こんなところに来て、どうしようっていうんだ?
「沢口さん、ここに何が――」
先導して背を向けたままの彼に尋ねようと、近付いた。
――すると、急にこちらを振り向いて
「ぶっ、ぶわっ!」
何だ、何かスプレーのようなものをフシューッと俺の顔面に吹きかけてきた。
「何、を……」
あ、あれ?
急に意識が……飛んで、きて……足腰も立たない。
思わずその場に倒れこんでしまいそうになった途端、倉庫のドアが開いた。
「……っと! 大丈夫かい……ゆみちゃん」
中から現れた……たぶん男。
そいつの腕に抱きかかえられてしまう。
「……おい、この娘……助けた……ら、中に…………」
薄れ行く意識の中で、かすかに聞こえた言葉。
その声は、前に聞いた気が…………
「――たん! あゆみたん!」
「ん……ん、んぅ」
俺は……眠ってたのか?
目を開けると、そこは……薄暗くて散らかった部屋。
鉄筋パイプやら、古いスピーカーなどが無造作に転がって……!
「な、何だよこれ!?」
即座に身を乗り出そうとする……が、出来ない!
背中にある柱に、身体をロープで固定されている。
「あゆみちゃぁん……」
「……ごめん……守りたかったから……」
見ると、他のみんなも同じだ。
ハレーション全員が横に並び、大きな柱にくくりつけられている。
「やっと目覚めたか? まぁ、見ての通りだよ」
そして、前には3人の男が立っていた。
1人はさっきもいた沢口、もう1人は同じく事務員の岡島。
「な、何なんですか、これ!?」
「わめくなよ。今日は社員もタレントも出払ってる……誰も来やしないぜ?」
そして……村岡聖矢。
なんでこいつが、ここにいるんだ。




