第一話:今から三年後に処刑
処刑台の夢を見た。
星一つ見えない夜。燃える松明が、灰色の広場の濡れた石畳を照らす。突きつけられる罪状は「浪費および軍費横領」。ギロチンの刃が落ちる寸前、群衆の中で誰かが笑った。
そこで目が覚めた。天蓋つきの寝台。銀糸の寝衣。見覚えのない、白い手。
知らないはずの名前が、喉の奥まで上がってきた。
ヴィルヘルム。ヴェルグガルド帝国第三皇子、十七歳。
前世でやり込んだ暗いRPG『プラチナ・レガリア』の冒頭には、帝国皇族の一覧が出る。そこに「第三皇子ヴィルヘルム(17)」とだけ載っていた。今の僕と同じ名前、同じ年齢だ。
ヴィルヘルムが次に画面へ出るのは、第三章の始まりだ。黒い画面に「三年後」と字幕が出て、処刑台のムービーが始まる。今の僕が十七歳なら、そこまであと三年。二十歳になった「浪費癖の引き籠り皇子」は、母と妹もろとも処刑される。中ボスですらない。
そして前世の僕は、子会社監査ばかり回される経理屋だった。年度末の修羅場で倒れて、気づいたらここにいる。
「今から三年後に処刑、か」
寝台の上で、僕はまず深呼吸をひとつした。パニックは監査の敵である。前世で三十年、数字と向き合って学んだことがあるとすれば、こうだ。
どんな破滅にも、必ず帳簿上の予兆がある。
「帳簿を持ってきてもらえますか。ここ三年分、全部」
侍従長が「はっ?」という顔をした。無理もない。昨日までの僕は、帳簿という単語すら知らなそうな引き籠りだったのだから。
◇ ◇ ◇
三日かけて第三皇子宮の帳簿を精査した結果、僕は頭を抱えた。
請求書、納品記録、支払証書を日付順に並べ、同じ商会名に印をつける。実物のある支出と、紙の上にしかない支出を分けるだけで、嘘はかなり浮く。
ひどい。何もかもひどい。
花瓶の定期購入(月十二本。誰が使うんだ)。夜会用衣装の仕立て(着ていない。僕は引き籠りだ)。厨房の食材発注は相見積もりなし、燭台の蠟燭は最高級品を毎日総取り替え。極めつけは「趣味娯楽費」という科目に、僕の記憶にない支出が毎月ごっそり計上されている。
一方で、母上の薬湯代は「予算不足」で二度差し戻されていた。
……なるほど。腹が立ってきた。
これが「浪費癖の皇子」の実態か。周りが勝手に使って、僕の名前で計上していただけじゃないか。
「よし。全部止めます」
僕は第三皇子宮の使用人を集めて、宣言した。
「本日より、第三皇子宮の支出を見直します。花瓶の定期購入は廃止。衣装の新調は年二回まで。食材の購入は三つ以上の問屋から必ず相見積もりを取ること。蠟燭は燃え残りを計量して使い切ってください。あと『趣味娯楽費』、この科目は今日で廃止です」
使用人たちがざわめいた。古株の家令が青い顔で進み出た。
「殿下、それでは、我ら使用人も減らされるのでは……」
「解雇はしません」
これは即答した。前世でリストラの実務をやらされた人間として、あれだけは二度とやりたくない。それにゲーム知識のうえでも、恨みを買った使用人の証言が処刑裁判の決め手になる。怖い伏線は、早めに折るに限る。
「配置転換です。花瓶担当だった者は納品記録の清書を。衣装係は繕い物と古着の払い下げ管理を。あなた達の仕事は減らしません、減らすのは無駄だけです。皆さんの給金は、無駄を削った分から少し上げます」
返事はなかった。使用人たちは顔を見合わせ、それから全員が、なぜか一斉に僕から半歩下がった。
やがて家令が、震える声で言った。
「殿下は、すべて、ご存知だったのですね」
「え? まあ、帳簿を見れば分かりますよ」
「帳簿を見れば分かる?」
家令は目頭を押さえた。
「なんと恐ろしい」
いや、恐ろしくはないだろう。経理の基本だ。
◇ ◇ ◇
【使用人たちの噂話】
「聞いたか? 殿下は第三皇子宮の帳簿を三日で読み切っちまったらしい」
「花瓶の水増し請求、去年の分まで言い当てられたって、商人が真っ青になってたぞ」
「解雇はしない、給金は上げる、ただし嘘の数字は一つも見逃さない」
「あのお方は全てお見通しじゃ。情けない引き籠りは、世を欺く仮の姿よ」
「恐ろしい。だが悪いお方ではない。むしろ嘘さえつかなければ、前より暮らしやすい」
◇ ◇ ◇
さて、浪費フラグは折った。次は本命、「軍費横領」の濡れ衣だ。
帳簿の精査で、既に見当はついていた。月別に合計し、商会別に並べ替え、端数だけ別紙に抜き出す。すると、第三皇子宮の「趣味娯楽費」から、毎月同じ日に金が消えていた。帳簿上は複数の商会を経由していて行き先が見えない。だが請求額の末尾だけが、どれも不自然に「七」でそろっていた。
経理屋は知っている。数字の丸め方には、人の癖が出ることを。
同じ「七」の癖を、僕は皇族にも閲覧が許される予算抄本で発見した。軍需調達費だ。大口の軍需調達なら端数など出にくいはずなのに、毎月の請求額が七で終わっている。誰かが第三皇子宮の金を吸い上げて軍需商会の水増し請求に混ぜ、その帳尻を「第三皇子の浪費」で誤魔化している。三年後、これが「軍費横領」として僕に着せられるわけだ。
書き写した数字の列を眺めているうち、指先が冷たくなっていることに気づいた。
相手は三年という歳月をかけて、皇子ひとりを合法的に殺す帳簿を組める人間だ。前世の粉飾決算でも、ここまで手際がいい帳簿は見たことがない。負ければ死ぬ。母上の薬湯の匂いと、エリーゼが蜂蜜菓子を両手で隠す癖が、いっぺんに脳裏に浮かんだ。負けて死ぬのは、僕だけじゃない。
落ち着け。パニックは監査の敵だ。
僕のやることは変わらない。証拠を揃えて、静かに、合法的に、金の流れを一本ずつ断つ。派手な告発はしない。裁判で勝てる帳簿だけが、僕たちを守るのだ。
まず、第三皇子宮の支払いをすべて記名式の支払証書に変えた。引き出した者が記録に残るようにしたのだ。証書には通し番号を振り、欠番が出たら侍従長の印なしでは再発行できないようにした。次に、経由地になっていた商会との取引を、「相見積もりの結果」という中立の立場で打ち切った。最後に、僕の印章を新調して、旧印章の使用停止を宮内会計課へ届け出た。
全部、ただの経費削減と経理実務である。
そのはずだったのだが。




