第18話 命懸けの介入
地下四階、崩れかけた隔離房。
瓦礫の山の上に、監察官・篠原厳が泰然と立っていた。彼の手には、九条が遺したあの琥珀色の義眼が握られ、本庁舎の全エネルギーを吸い込んで鈍く光っている。
「……素晴らしいよ、氷室。九条の実験は、君という完成体を生み出すための、単なる前座に過ぎなかったわけだ」
篠原の言葉に、氷室は黒い結晶で覆われた右腕を震わせ、静かに銃を構えた。
「……篠原。あんたの正義とかいうやつは、人を化け物にして、隔離房に閉じ込めることなのか」
「正義とは、管理可能性だ」
篠原はゆっくりと左目を閉じた。露わになったその眼窩は、かつての怪異との衝突で視力を失い、濁った硝子体だけが虚ろに葵を捉えていた。
「私は君たちよりも長く、この歪みを見てきた。……法という名の防壁が崩れ去った時、人々を救えるのは、境界そのものを手懐けた『絶対的な司法』だけだ」
「それは司法じゃない、ただの独裁だ!」
葵が叫ぶ。彼女の瞳は,篠原の背後にうごめく無数の「整理人」たちの無念な影を捉えていた。法を守るために法を捨てた男の、そのあまりにも巨大な自己矛盾。
篠原が義眼を空中に投げると、廊下全体の重力が突如として反転した。
零番隊員たちが機械的な動作で襲いかかる。氷室の右腕の結晶が、その瞬間に爆発的な黒い火花を散らした。
氷室は、銃弾ではなく、その結晶の一撃で敵のシールドを紙のように引き裂いた。彼の攻撃は「破壊」ではなく、敵との間にある境界のエネルギーを「断ち切る」ものだった。
「……遠野! まだか!」
氷室の叫びに、通信機越しに遠野の震える声が響いた。
「……あ、あと少しだ……! このクソッタレなサーバーの底に、篠原が隠し持っていた『清掃記録』を全部ブチ撒けてやる……! 俺の家族を消した、あいつの嘘を、全部な……!」
遠野の背後で、整理人の足音が近づく。彼は逃げることもせず、ただ狂ったようにキーボードを叩き続けていた。彼は今、名誉や金ではなく、一人の「人間」として、篠原のシステムへの反逆を完遂しようとしていた。
篠原の表情が,初めて激しい怒りに歪んだ。
「……遠野。貴様のような端緒が、私の秩序を汚すか!」
篠原が義眼を握り潰すと、地下室の空間そのものが悲鳴を上げてねじれ始めた。
床がひび割れ、そこから漆黒の泥――境界の純粋な悪意が溢れ出す。
篠原の身体がその泥に飲み込まれ、彼の背後に巨大な、裁判官の法服を纏った異形の影が立ち上がる。
管理という名の暴力。秩序という名の狂気。
氷室は葵を背中に隠し,残された最後の一発を装填した。
「……葵。俺が道を作る。お前はその瞳で、この男の嘘を『無』だと確定させろ」
「……はい。分かっています」
二人の瞳が、同時に紫色の閃光を放った。
篠原という名の、歪んだ正義の断末魔。
本庁舎の地下が、その過負荷に耐えきれず、轟音と共に崩落を始めた。




