第5話:大田秀介
気がつけたあっという間に社会人三年目になっていた。
日々の案件を落とさず処理する。それだけが評価の尺度であり、生き残るための唯一の道だった。
オレはその中で「処理屋」と呼ばれるようになっていた。炎上しかけた案件を前にしても、慌てずに手を動かし、仕様の矛盾を埋め、ログを洗い、徹夜してでもリリースに間に合わせる。火の粉が降りかかる直前に、それを片づける。そうすればクライアントは納得し、上司は胸を撫で下ろす。
「大田に任せれば安心だ」――そう言われるようになっていた。
それは決して名誉でも誇りでもない。ただの便利屋扱いだということは、オレ自身よく分かっていた。だが、案件を炎上させれば誰かが責任を被り、チーム全体が泥をかぶる。火消しをやり切れる人間が少ないからこそ、オレは使われ続けた。
朝、会社に着くと、まず夜中に飛び込んでいるエラーログや問い合わせの山を確認する。前日からの不具合が放置されていないか、納期が迫っている案件で客先から追加要望が来ていないか。メールボックスを開くだけで、胃の奥が重くなる。
すぐにチームの若手からチャットが飛んでくる。「この部分、どう対応すればいいでしょうか?」
答えを返す。設計書を修正し、タスクを割り振る。会議が始まるまでに最低限の指示を出さなければ、一日が回らない。
午前中は打ち合わせで潰れる。クライアントは「昨日言った仕様を変更した」と平然と告げる。本体の営業は「受けないとまずい」とオレを見てくる。結局「なんとかします」と口にするのはオレだ。昼食はコンビニ弁当をかき込みながら、修正の見積もりを出す。
午後は設計書の書き直し。ときに自分の手でコードを修正する。チームメンバーの進捗を確認し、止まっている箇所を代わりに片づける。夜になるとテスト環境でバグが噴き出し、対応に追われる。気づけば終電が近い。
オフィスを出て駅まで駆け込むとき、ようやく「今日も炎上せずに済んだ」と安堵する。その安堵が、エースと呼ばれる報酬だった。
給料は悪くない。月末になれば、家に仕送りもできる。母は電話口で「助かるわ」と笑い、妹は「お兄ちゃんすごい」と言ってくれる。その声を聞くだけで、オレは自分の立ち位置を肯定できた。働いて金を稼ぎ、家族を支えている。それは確かに意味のあることだ。
父の体調は良くないままだ。寝込む事も増えたと母から聞いている。それでも、仕事をすっぱり止めて休めるから助かると言っているらしい。
仕事でトラブルが無い、炎上していない、本来なら幸せたひと時、時折ふとAIの研究の最先端がどうなっているのかと、見てみたい衝動に駆られる事がある。
夜遅く布団に潜り込んでスマホを開き、最新の論文を眺めるとき。通勤電車の中で数式を追いかけるとき。大学の研究室で過ごした日々の残り火が、未だオレの中に少しだけ残っている気配がある。
――世界は前進しているんだな。
そう思うと、不思議と嬉しくなった。もはや自分がその舞台に立つことはないと分かっていても、未来を切り拓こうとする誰かがいることが、オレにとっての救いに思えた。
夢を追う時間は終わった。今は案件を処理し、給料を得て、家族を守る。それがオレの現実であり、生き方だった。
ただ、それでも――。
心のどこかに残る小さな火を、完全に消し去ることだけはできないまま、気づけば3年が経過していたという事だけだった。




