第52話:高瀬 彩花
裁定の内容が営業局に伝わってきたのは昼過ぎだった。
「処分ゼロ」――その言葉が社内の空気に広がっていくのを、私はただ冷ややかに見ていた。
「やっぱりな」
「所詮は子会社は子会社って事だよ」
耳に入ってくる同僚たちの声は、勝ち誇ったようで、しかし中身のない薄っぺらな笑いに満ちていた。
私は無言でパソコンに視線を落とした。
――下らない。なんて下劣な奴ら。
そう思う以外になかった。
ただ、一つだけ気がかりだった。
この場に、美沙の姿が見えないことだ。
憔悴していると聞いていたが……彼女が今どこで、どうしているのか、それを思うと心がざわめいた。
※※※
私はすでに知っていた。
この「処分ゼロ」という結果がどういう経緯で導かれたのかを。
由佳と一緒に、事前に秀介から直接聞いていたからだ。
「……全部がそもそもが不幸な誤解だったという事にして、それを招いたのはオレの責任であるとい形で、オレが退職すればいい」
そう言ったときの秀介の声が、まだ耳に残っている。
「美沙を自由にしてやりたい。佐藤が処分されれば、彼女にとっての幸せをつくる事ができなくなる。それだけはオレは避けたいんだ。だから……こういう着地の仕方しかない」
私は震えた。
「ねぇ秀介。そんなの……おかしいよ!」
思わず叫んでいた。
「全部全部秀介が背負って、退職して責任を取るなんて……そんなのおかしすぎる!」
涙が止まらなかった。
でも、彼は静かに首を振っただけだった。
由佳はもう秀介の渡米用のチケットを手配していた。
――そうだ。もう、準備は整っている。
明日には、秀介はアメリカに渡る。
※※※
渡米のことを思うと、胸の奥に二つの気持ちがせめぎ合った。
再び昔のように輝かしい表情を秀介がまた見せてくれることへの、どうしようもない嬉しさ。
その一方で、彼がいよいよ遠くへ行ってしまうことへの、抑えきれない淋しさ。
私は秀介と同じグループ企業に居る事だけが、たった一つ由佳に対するアドバンテージだった。でもそれももうおしまいだ。
私はそうした気持ちがないまぜになったまま、ただ机の下で拳を握りしめていた。
周囲で同僚たちが「これで幕引きだな」と笑い合っている。
私は心の底から軽蔑を覚えた。
――どうせ何も分かっていない。
秀介が、どんな思いでこの裁定を選んだのか。
私たちが、どんな気持ちで彼を送り出そうとしているのか。
彼らのような―電報堂の広告マンなどというこの下劣な連中には―そういう高貴さなどというのは恐らく一生、理解できないだろう。
薄っぺらな広告を考案し、時代や流行を動かしているつもりになる。
陳腐な言葉遊びのコピーで、この国の文化を牽引しているつもりになる。
そんな時代はもうすぐ終わる。
AIが普及すればこういう下劣な奴らは皆クビになる。クビになればいい。
きっとそういう時代を秀介は創ってくれる。
広告代理店などという業種はきっと朽ち果てるのだ。
ただ一つ、胸に引っかかり続けていた。
美沙の姿が見えないこと。
私はまだ美沙を赦していないし、恐らく今後も許せない。
でも秀介は彼女を幸せにしたがっている。
だから私はそれだけを理由に美沙を心配していた。
私の―私たちの秀介のそれが望みだから。




