第50話:大田 秀介
義母に連絡を入れると、受話口の向こうから少し間を置いた声が返ってきた。
「……分かりました。ただし、ほんの数分だけですよ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる気持ちで通話を終えた。
※※※
義母に案内され、応接間に通された。
その奥に、小さな体でちょこんと座っていた沙奈がこちらを見上げ、ぱっと顔を明るくした。
「お父さん!」
その一言に胸が締めつけられる。
――これが最後になるかもしれない。
その思いが全身を軋ませた。
「沙奈」
オレはできるだけ穏やかな声で呼びかけ、目の前にしゃがみ込んだ。
「お父さんは、ちょっと遠くの場所に行くから……しばらく会えないんだ」
沙奈の瞳が揺れた。幼いながらも、何かを感じ取ったのだろう。
「でもね、お母さんと、おじいちゃん、おばあちゃんの言うことをよく聞いて、いつまでも元気でいるんだぞ」
言い聞かせる声が震えそうになるのを、必死に堪えた。
だが、沙奈の目に涙が溢れ始めるのを見た瞬間、オレの堪えも崩れた。
「……いやだ。お父さん、行かないで」
幼い声が嗚咽に変わり、沙奈の小さな体が震えだした。
「沙奈……」
胸に抱き寄せた。小さな肩が濡れていく。オレの涙も止まらなかった。
もう言葉は出なかった。ただ、抱きしめて、背を撫でることしかできなかった。
懐から用意していた小さな包みを取り出した。
「これは……お父さんからのお土産だ」
中から顔を出したのは、沙奈が前に欲しがっていた小さなぬいぐるみ。
「これを持っていれば、いつでもお父さんと一緒だ。……だから、泣かなくていい」
沙奈は涙で濡れた顔を上げ、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「……うん……」
その姿を見て、また涙が込み上げた。
「強い子だな……ありがとう、沙奈」
立ち上がり、義母に向き直った。
彼女は複雑な表情を浮かべていた。
「……やっぱり、親権は――」
そう言いかけて、言葉を切った。
目には光るものがあった。
オレは深く、深く頭を下げた。
「……娘を、どうかよろしくお願いいたします」
義母はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……ええ。任せてちょうだい」
声が震えていた。彼女の目尻にも、涙が溢れていた。
その光景を最後に焼き付け、オレは応接間を後にした。
背後で、沙奈の「お父さーん!」という泣き声が響き、胸を貫いた。
振り返ることはできなかった。
振り返れば、もう一歩も進めなくなる気がしたからだ。




