第九十六話
魔術学院には、破壊のための魔法を否定的に捉える向きがある。
火球、雷撃、氷の嵐などといった呪文は、尊ぶべき生命や時間をかけて育まれた文化をいたずらに破壊する忌むべき呪文であるとして、使用や習得を制限すべきだという声があり、学院にはそれに賛同する者、あるいは条件付きで賛同する者が少なくはない。
条件付きで支持する者たちは、その多くは専守防衛での使用に限るべきだという考えの持ち主であり、この考えを支持する者は多い。
ただ現実には、それらの呪文は魔術師の「力の象徴」であり、魔術師の社会的地位を支える重要な要素の一つだという側面があり、現代の魔術師はこれらの呪文を手放すには至っていない。
そして実際に、多くの導師級の魔術師が専守防衛以外の局面でこれらの呪文を使っているというのが現状である。
俺はこの点に関しては、自身の見解を保留にしている。
そもそもにして冒険者になることが目的だった俺にとって、破壊の魔法を否定するというスタンスを取ってしまえば、単純に困るというのがある。
日々モンスターと戦う中で使える呪文の選択肢を自ら狭めるというのは、生き残れる可能性を下げる行為であり、そうそう許容するわけにもいかない。
ただ──
俺は自身の行使した呪文が引き起こした結果を見て、否定派の意見も一概に愚かしいとは言えない側面があるなとは感じていた。
俺の眼前には、戦場が展開されていた。
洞窟前の広場に集まったオークたち。
その総勢、三十を超え、四十に及ぼうかという数である。
先ほどまでは、彼らは我が物顔でその場を支配していた。
広場とは言え、巨漢のオークどもが三十以上も集まれば、その場に対する圧迫感はかなりのものだった。
だが──いまやその半数が、地に倒れ伏し、折り重なり、物言わぬ骸となっている。
彼らは一様に体表に白い霜を張っており、同時に頭部を砕かれたり、顔面を潰されたり、腕や脚を折られたりして倒れていた。
その広場はいまだ舞い散る冷気によって、白く煙っている。
オークたちが倒れている地面もまた、うっすらと氷結していた。
地面の一面の草に霜が張った様は、雪解け間近の氷雪地の景色を思わせる。
「──撃て!」
そうして瓦解しかかっていたオークの群れに、さらなる追撃が降りそそぐ。
フィノーラの指揮で、エルフたちの弓矢と魔法の矢が一斉に放たれたのだ。
それは次々と、オークの生き残りへと突き刺さってゆく。
エルフたちの使う短弓では、その一本や二本が刺さったところで巨体で生命力が自慢のオークに致命傷を与えることは難しい。
魔法の矢の呪文も、短弓の矢よりは威力があるとはいえ、やはり一撃必倒というような威力では到底ない。
だがそれも五本や十本、あるいは三発や四発といった手数で蜂の巣にしてしまえば話は別だ。
そのエルフたちの一斉射撃を受けて、一体、また一体とオークが倒れてゆく。
──破壊の呪文の危うさ。
それは敵対生物の無惨な死に様を見て、心を痛めることで感じる、というようなものではない。
むしろその逆──すなわち、「憎き敵を粉砕することの愉悦」にあるのだと感じる。
広場に集結していたオークたちの大半を打ち砕いたのは、俺が行使した氷の嵐の呪文だ。
俺の呪文の完成とともに広場の中央から巻き起こった氷塊と極寒の冷気を含有した嵐は、そこに集まっていたオークたちの七割を巻き込み、そして巻き込んだうちの七割を打倒、残る犠牲者たちにも大小の手傷を負わせていた。
導師級でも使える者の限られる氷の嵐の呪文は、その破壊力だけならば火球や雷撃と同格だが、火球よりも広域を攻撃範囲とすることができるのが特長だ。
火球の呪文では集まったオークたちの三分の一も巻き込めれば上出来といったところだったろうが、氷の嵐を使うことによりその倍ほどの数──すなわちその場にいるオークの大部分を巻き込んでまとめて壊滅させることに成功していた。
俺はその現場を見て、痛ましさではなく、湧き上がる愉悦を感じていた。
憎むべき敵を破壊し、粉砕し、撃滅することの愉快さ。
敵が強大であればあるほど、それによるカタルシスは大きい。
人に似た生物を殺害することによる罪悪感のようなものは、敵が滅ぼすべき悪であると信じれば霧散する。
このような愉悦がもし「正義」の名のもとにより広く利用されれば、人間の理性など容易く溶かされてしまうだろう。
破壊の愉しさの戦争利用。
それが俺には恐ろしく、そして危うく感じられた。
だが、それも一瞬のことだ。
まだ戦いは続いており、むしろここからが本当に注意をしなければならないところで、人類文化のあり方を考えるようなときではなかった。
「油断をするな! まだ敵は十体以上残存している! 最後の一体を倒すまで全力で撃ち続けろ!」
フィノーラが部隊に檄を飛ばす。
俺は次の呪文を用意しながら、心の中でいいぞと喝采した。
敵の過半を一気に打ち崩せば、必然的に気が緩む。
だがその戦功は最大条件の先制攻撃を仕掛けたことによるものであり、彼我の戦力差が絶大であることを示すものではない。
オークの数体でもエルフの射撃部隊のもとにたどり着いて乱戦になれば、何人のエルフがその棍棒と怪力の餌食になるか知れたものではないのだから、多少事がうまくいったからといって油断は禁物だ。
そして、それは俺も同様だ。
魔術師である俺は、近接戦闘に巻き込まれればひとたまりもない。
だがそれはこちらの都合で、この事態を作った一番の元凶である俺を、敵が見逃してくれるはずもなかった。
「──グルォオオオオオオオッ!」
生き残りのオークの一体が、怒声を上げつつ俺のほうへと向かってきた。
それはオークの群れの指揮官、オークロードだった。
一般オークよりも頭一個分ほども大きな巨体ながらに、ひときわ引き締まった体型を持つという個体だ。
俺が放った氷の嵐に巻き込まれたオークロードは、氷塊の直撃を受けて片腕が折れたようで、その体もうっすらと白い霜に覆われていたが、その生命力が尽きるや否やといった様子ではない。
彼我の距離は、およそ二十メートル弱ほどか。
オークロードの速度は驚くべきもので、あっという間の勢いで俺へと迫ってくる。
俺の足で逃走を試みたとしてもほどなく追いつかれて、その一撃で俺の肉体など容易くへし折られるだろう。
それに次の呪文が間に合うようなタイミングでも到底ない。
これらの要素だけ見ると、万事休すだ。
しかしそうなることが分かっていて事前に手を打たないほど、俺も愚かではない。
「──来たね。でも、キミの相手は僕だよ」
そう言って俺の横手から進み出て、オークロードの進路の前に立ちふさがったのは、ショートカットの銀髪が煌びやかな俺の幼馴染みの天才剣士だった。