第六十六話(第一部エピローグ)
ゾンビの弓兵たちは、アリスの命令がなければ攻撃的な動きをしてくることはなかった。
またどこか構造に無理があったのか、シリルが亡者退散の奇跡を行使すると、すべて一斉に崩れ落ちて動かぬ死体となった。
そして残ったのは、地に伏し、もはや助かる見込みがないほど血を流したアリス。
俺が彼女の前に立つと、美貌の女導師は憎々しげに地べたから俺を見上げてきた。
「騙したわね……矢よけを使える魔術師の魔法の矢が、一本のはずがない……それにどうやって私の罠を見破ったの……?」
「キミも使っていただろう。魔法の目の呪文だ」
「うそ……まさか、導師級……! どうしてそんな、冒険者なんて……」
「その質問は聞き飽きた。職業選択の自由だ」
「……なるほど、変人ってことね……私も大概だとは思っていたけど、世の中にはいろんな人がいるものね……でも……」
アリスは最後の力を振り絞るようにして、懐から一つの紙束を取り出し、俺に差し出してくる。
その紙束は端のほうは血に濡れている部分もあったが、その内側の文字が書いてあるであろう場所は、まだ読める状態だった。
「あなたも導師なら、私の研究の価値が分かるでしょう……? さあ、これを学院に持っていって公表して。私の功績を広めて。この研究には、犠牲となった人たちの命が詰まっているのよ」
「……っ! てめぇ、勝手なことばっか言ってんじゃ……!」
すぐ近くで話を聞いていたサツキが、死にかけのアリスに近寄って胸倉をつかみ上げるが、俺はサツキの肩に手をかけ、首を横に振る。
そして俺は、アリスが差し出してきた紙束を受け取った。
「お、おい、ウィル……! 何を……」
「そうよ、それでいいの! さあそれを学院に持っていって! そしてこのアリス・フラメリアという一人の天才の名が、死霊魔術の研究史に未来永劫刻まれるのよ!」
サツキが困惑し、アリスが狂喜する中、俺は──
その紙束を持って壁際まで歩き、そこにあったランプの火で、紙束に火をつけた。
「えっ……?」
呆然とするアリス。
そうしている間にも、紙束についた火は勢いを増し、燃え盛ってゆく。
「ば、バカっ! バカなの!? あああっ、あああああっ……!」
アリスはどこにそんな力が残っていたのかと思えるほどの勢いで、必死に地面を這い、俺のほうへと向かってくる。
だが彼女の執念が実を結ぶことはなく、彼女が俺のもとにたどり着くよりも前に、紙束は燃え尽きて灰になった。
「あ、あ、あ……私の、私の人生が……」
はらはらと舞う灰を見上げ、涙を流すアリス。
俺は、とうに命の灯が尽きていてもおかしくない彼女に、追いうちとなる言葉をかける。
「キミの研究は、確かに画期的な成果をもたらしたと言えるのかもしれん。だが俺はそれを善とは認めないし、キミの夢の手助けもしない。──これは俺の意志であり、俺の正義だ」
「こ、この、人でなし……! 恨んでやる、呪ってやる、殺してやる……うわああああああっ……!」
その絶叫を最後に、アリスはことりと力を失い、事切れた。
その後、シリルが死体に簡易の祈りを捧げ、聖別をした。
これでアリスの怨念が、ゴーストとなって蘇ることもないだろう。
俺は三人の少女を見渡して言う。
「帰ろう。事後処理について、アイリーンと相談しなければ」
そう言って、俺は彼女たちがついてくるのを待たずに、その場をあとにした。
するとシリルが俺の横に駆け寄ってきて、その肘で俺を小突いた。
「あなたひどく思いつめたような顔してるわよ。お酒の席でいいから、あとで胸中吐き出しなさい。私でも聞いてあげるぐらいのことはできるわ」
それは俺を心配する言葉だった。
俺はそれを聞いて、大きく一つ息をつく。
「……いや、俺の内面の問題だし、俺自身が消化しきれていないことだ。まだ人に話せるような段階にはない」
しかしシリルは、呆れたように大きなため息をつく。
「だからこそよ。……はあ、だんだんあなたのことが分かってきたわ。あなたって、案外バカなのかもね。もう少しぐらい人を頼りなさい。全部自分で抱えようとしない」
「…………」
説教をされてしまった。
幼少期の、母親の姿を思い出す。
「……分かった、考えておく」
「ん、よろしい」
そう笑顔で言ったシリルは、俺の前へと回り、背伸びをしてその手で俺の頭をなでてきた。
……何故そうなる。
「……それはさすがにいかがなものかと思うのだが」
「あら、いつもあなたがミィにやっていることよ? どんな気持ち?」
「複雑な気持ちだな」
「そうでしょ。複雑なのよ」
さすがに気恥ずかしくなって彼女のその手は除けさせてもらったが、シリルはそれでもにこにこと笑って俺の横に付き従っていた。
***
「お帰り! ウィルたちなら大丈夫だと思ってたけど、無事で何よりだよ。それでどうだった?」
街に戻ると、アイリーンがそう言って出迎えてきた。
俺はかくかくしかじかと、アイリーンに一部始終を説明した。
話を聞いていたアイリーンは、最後には渋い顔になっていた。
そして俺に向かってこう言った。
「お疲れ様、ウィル。大変だったね。事後処理は僕のほうで全部やっておくから、今日はもう休んで」
「そうか……? 俺も手伝わなくて大丈夫か?」
何しろ頭脳労働を本来嫌がるアイリーンのことだ。
少なくともサポートぐらいはしてやったほうがいいだろうと考えたのだが──
「あのねウィル。いまキミ結構ひどい顔してるよ、自覚ある? 僕のことより自分の心配をしなさい。はい、さっさと宿に帰って休むこと。これは雇い主からの命令です」
アイリーンは腰に両手をあて、威張るようにそう言ってきた。
参った、アイリーンからも心配されてしまった。
「……分かった、そうさせてもらう。確かに少し疲れた」
どうもいまの俺は相当ダメらしい。
アイリーンの言葉に甘えて、その日は宿でもう休むことにした。
そして俺たちは、まだ夕方にもなっていないというのに酒場に入り浸り、酒宴を始めた。
俺はその場で、シリルを相手に内心を吐露した。
果たしてあの場にいたのが俺の父親だったら、あのアリスの研究をどうしただろうか。
あるいは俺がフィリアと知り合わず、アリスと友人関係にあったとしたら、俺はどうしていただろうか。
俺のしたことは正しいのか。
善なのか悪なのか。
そんな益体もない話を、内側からあふれるままにとつとつとシリルに話した。
答えは出なかった。
シリルも答えは持っていなかった。
だがシリルは俺の考えを否定することなく静かに聞いて、受け入れてくれた。
まるで慈愛の女神の信徒のようだと感想を漏らすと、「いまだけね」と答えが返ってきた。
そしてもう一つ、彼女が語った言葉で印象深かったものがある。
彼女は俺の内心の発露を一通り聞いて、こう言ったのだ。
「あなたの判断が正しかったのか間違っていたのか、それをジャッジすることは私には不遜だと思えるわ。それの是非を語ることはとても難しいことだと思う。でも一つだけ、私に言えることがあるとすれば──『私は』あなたのあの決断を支持するわ。つまりこれで、あなたと私は共犯っていうこと」
シリルはそう言っていたずらっぽく笑い、右手の小指を差し出してきた。
俺は酔っていた勢いもあって、自分も右手の小指を差し出し、彼女と謎の指切りをしてしまった。
そうして指切った自分の小指を見ながら、俺は一つつぶやく。
「……俺からも一ついいか」
「ん、なぁに?」
「生まれて初めて、女に溺れる者の気持ちが分かってしまった気がする」
俺がそう言うと、シリルは一度きょとんとして、次にはくすくすと笑い始めた。
「それは光栄だわ。何なら一度そのまま溺れてみる?」
「……いや、遠慮しておく。戻ってこれる自信がない」
「あら、すごい理性ね。私なんてもう一言あれば確実に溺れていたのに」
「……俺にはいま、キミがとても恐ろしい魔女に見えるよ。神官とはとても思えない」
俺のこの物言いがどうもツボに入ったようで、シリルはくつくつと本格的に笑い始めた。
そうした一方で、テーブルの向かい側を見れば、サツキとミィとが楽しそうにじゃれ合っていた。
それを見て、俺は少し安心する。
サツキのメンタルも少し心配だったのだが、ミィのおかげで大丈夫そうだ。
ふと思う。
このパーティの真の立役者は、シリルとミィなのではないかと。
影働きに徹しているから目立たないが、彼女たちがいるからこそ、すべてがうまくまとまっているようにも思えてくる。
──いや、違うか。
彼女たちだけじゃない。
皆が皆を支えている。
サツキだって奔放なようだが、彼女の明るさと気さくさは、俺たち全員に潤いを与えているようにも思う。
いまのパーティからサツキがいなくなった姿はいまいち想像ができないし、どうにか想像できるものは、いまのパーティの姿よりも伸びやかさに欠けた堅苦しい様だ。
そんなことを考えながら、俺は食べて、飲んだ。
やがて遅い時間になると、事後処理を終えたアイリーンも宴に混ざってきて、何か色々とどんちゃん騒ぎになった。
そして、俺の意識はその辺りで、混濁の渦に巻き込まれたのだった。
俺の冒険者生活、Fランク最後の冒険は、そうして幕を閉じた。
そんな中、俺が抱いたのは──
ああ、やはり冒険者というのは、大変だけど面白いなという、半ば罰当たりとも思えるような感想であった。




