第六十二話
小屋にあった竪穴を、梯子を使って下りてゆく。
罠への対策と白兵戦闘能力の有無を基準として、ミィ、サツキ、俺、シリルの順番で慎重に下るのだが──
「ウィリアム。あなたなら大丈夫だと思うけど、上は見ないでよね」
梯子を下りる俺の頭上、まだ梯子に取り掛かる前のシリルから、そんな言葉が降ってくる。
「……上? 何かあるのか?」
思考の前に反射的に上を見てしまうと、俺の視界に飛び込んできたものは──
「ちょっ……!?」
シリルの驚きの声。
しまった、そういうことか。
俺は慌てて視線を下へと逸らす。
ちょうど梯子に手と足をかけたシリルのローブの内側が、下からだと綺麗に見えてしまったのだ。
しかもミィが竪穴の底に向かって投げ込んだたいまつの明かりが上方を照らしているものだから、薄暗いながらもわりと露骨に。
「す、すまん。悪意はなかった」
「う、ぐっ……わ、分かっているわ。いまのは私のミスよ。気にしないで」
こんな場面で緊張感がないこと甚だしいが、これは不慮の事故だ。やむを得ない。
そう思いたい。
そしてそんなアクシデントもあったものの、ともあれ俺たち四人は竪穴の底までたどり着いた。
竪穴自体がそんなに幅の広いものではないので、全員で底に立つと半ばぎゅうぎゅう詰めといった様相になる。
「せ、狭い……ってか熱っ! たいまつ危ねぇ! ちょっ、ミィそれあたしが持つから! チビのミィが持ってると危なくてしょうがねぇ!」
「ち、チビって言うなです! 背が高ければ偉いと思うなです!」
「ね、ねぇウィリアム、もうちょっとそっち行けない? 体が密着しているのだけど……」
「とは言ってもな。こちらはこちらでサツキとの接触が……」
「あ、あたしは別にいいぞ、もっとこっち寄ってもらっても。つーかそのままぎゅってしてもらっても」
小声での囁き合いであるが、これまた緊張感がないことこの上ない。
このような状況下で襲われでもしたらひとたまりもないのだが、まあ先に「見た」限りではそのようなことは起こらないはずなので、問題はないだろう。
──俺はこの竪穴を下りる前、小屋の中で透視の呪文を行使した。
そして床下を透過して、その先を見た。
透過した床の下に広がっていたのは、広々とした地下の空間だった。
地上にある小屋の大きさは、その広い地下空間に比べるとごくごく小さなものにすぎない。
俺たちがいまいる竪穴の底の横手の壁には一枚の扉があり、その扉を開いて出た先に地下空間が存在する。
地下空間は、上から見たときのざっくりの目算だと、天井から床までの高さが三メートルほど、左右の壁から壁までの幅が十五メートルほど、そして扉から向かって前方への奥行きが二十五メートル以上あるのは間違いないという大空間だ。
幅が二十五メートル「以上」というのは、小屋の中からの透視だとその効果範囲の関係でそこまでしか見えなかったからだ。
透視は厳密には障害物を透過する呪文ではなく、障害物を無視して呪文の効果範囲内にある空間を見ることができる呪文だ。
そしてこの呪文の効果範囲は術者を中心とした周囲三十メートル。それより先は見えないという効果になる。
さて一方で、件の地下空間にはその至るところに「死体」が置かれていた。
動物の死体が多いが、人間のものと見える死体も少なくない。
無造作に置かれているもの、藁の上に置かれているもの、地面に描かれた魔法陣の上に山積みにされたものなどその在り方は多岐にわたる。
人間のものと思しき死体には、男、女、子ども、成人、老人など様々な種類のものがある。
なお地下以外の小屋の周囲も見渡したが、透視の効果範囲内にアリスの姿は見えなかった。
おそらくは地下空間の、見えなかった先にいるのだろう。
俺はサツキ、ミィ、シリルの三人と密接した状況のまま、彼女たちにこの先にある状況を伝えた。
「……じゃあ、この扉を開けた先のだいぶ向こうに、アリスがいる可能性が高いってことか」
サツキの返事に、俺は首を縦に振る。
その先に脱出口があってすでに逃走したという可能性もないではないが、ここの本来の役割が研究所であると思われること、小屋の竪穴の跳ね上げ戸が開きっぱなしだったことも考慮すれば、その可能性は低いと思われる。
「ちなみに出てすぐの場所は、おそらくはあらゆる攻撃魔法の射程外と思われる。それはこちらも同じだ。敵方に弓でもあれば話は別だが……」
敵に害を与える類の呪文の射程距離は、長いものでも三十メートルほどになる。
俺のいまの位置から透視で見てもまだ奥行きが見えきらないから、おそらくは攻撃系呪文の射程よりも遠くにいるのだろう。
万一ちょうど三十メートルほどの距離にいた場合には、俺とアリスとの呪文詠唱の速度勝負になると思われるが、逆にそうなればこちらのものだと思っている。
俺は学院時代から常に実戦での呪文使用を視野に入れて魔法のトレーニングをしてきたため、呪文詠唱の速度でそこらの導師に負けることはないだろう。
そして三十メートルよりも長い距離から攻撃できる手段となると、これは弓矢などの射撃武器ぐらいとなるが、まあアリスが弓で勝負してくるとは考えづらい。
それに仮にアンデッドの軍団などを用意していても、アンデッドは通常、弓矢などの複雑な機構の道具を取り扱えるほどの器用さは持ち合わせていない。
ともあれここで俺たちがやるべきことは、普通に突入して、あとは臨機応変で対応するということだろう。
「よし、では行くぞみんな。俺にはもう魔素の残量が少ない。皆の活躍に期待している。だが──」
「──無理はするな、命を大事に、ですね?」
ミィがそう返してくる。
俺は彼女に向かって強くうなずく。
「そうだ。いざとなったら撤退も視野に入れる。その場合はこの場所まで全力で戻ってきてくれ。そうすれば退路は俺が何とかする」
「分かったです」
「オッケー!」
「了解よ」
その三者三様の返事を確認してから、俺はミィに、扉を開けるようゴーサインを出した。