第五十三話
「お待たせウィル! ごめんね、待った?」
呼び出して一分ほどで、アイリーンが俺のもとに合流した。
なお、服装は昨日までの旅姿ではなく、彼女の騎士としての正装である。
「問題ない。想定通り、いやむしろ早いぐらいだ」
「もう。そこは『俺もいま来たところ』って答えてくれないと」
「……待ち合わせをするカップルの定例句でもあるまいし。何を言っているんだキミは」
「ぶー。僕だって緊張してるんだよぉ。少しほぐしてくれたっていいじゃない」
「分かった分かった。少しじっとしていろ」
俺はアイリーンの後ろへと回り、その肩を揉んでやる。
「ふひゃあっ。ちょっ、ちょっ……ほぐすって、ふにゃああ……」
「ほら、これで体もほぐれただろう。時間がないんだ、行くぞ」
「う、うん、分かったよ。……はうぅ」
ほぐれるのを通り越して腑抜けてしまった様子のアイリーンだったが、彼女は自分で自分の頬をぱんぱんと叩いて、「よし」と気合を入れなおすと、外向けの凛とした姿を取り戻した。
そして俺とアイリーンは、屋敷の正門へと向かった。
なおこの間に、俺はアイリーンにも念話の呪文をかけておく。
これは交渉のサポートと、敵前で内緒話をするためという二つの意図がある。
さてアイリーンを前に、俺がその後ろについて門番の前へと進む。
アイリーンは、ぽかんとして彼女の姿に見惚れる二人の門番の前に進み出て、口上を謳い上げた。
「グレイスバーグ王家の騎士、アイリーンだ。このたびは王命にて、ゴルダート伯爵にいくつか質問したいことがあって参上した。取り次いでほしい」
凛々しい声で発せられたその言葉には、普段のアイリーンが見せる隙のようなものは見当たらない。
さすがの彼女も、ここ数年の騎士としての修練で、外向けの態度を確立したのだろう。
門番たちは慌てた様子で、二人のうちの一人が門を開いて中に入ってゆく。
そしてもう一人は、額に汗を浮かべつつ、アイリーンに向かってこの場で少し待つように伝えてきた。
ちなみにこの間、門番の注意は俺には向いていない。
まだ持続している認識阻害の呪文の効果を、俺一人に範囲を絞って使っているためだ。
それでもこの距離なら通常であれば認識されてもおかしくはないのだが、容姿端麗のアイリーンが目立ちすぎるせいもあってか、俺の存在はまったくの路傍の石程度にしか見られていないようだった。
それからしばらく待っていると、中に入っていった門番と一緒に執事がやってきて、その執事がアイリーンとお付きの者──つまり俺を中へと案内した。
俺たちは執事のあとについて、屋敷の居館までの中庭を歩いてゆく。
『はぁ~、やっぱり緊張してきたぁ……。ねぇ僕大丈夫かな、ウィル?』
アイリーンが思念で俺に語り掛けてくる。
体は前を向けたまま、向けてくるのは意識だけだ。
『しっかりしろ。必要であれば俺が助言するから、侮られないように背筋だけは伸ばしていてくれ』
『う、うん、分かった。……お願いね、ウィル?』
そのアイリーンの様子に、俺は内心で苦笑してしまう。
外見が凛々しくなり剣の腕は無双でも、中身は子どもの頃からあまり変わっていないな。
だが今回は、事情聴取の大役はアイリーンが主役で行わなければならない。
お付きの立ち位置である俺が必要以上に口出しをすれば、何様のつもりだと切って捨てられるだろう。
そして、そのための念話だ。
思念で内密に会話をすれば、対話相手に言葉を聞かれることなく意思疎通をすることができる。
この手段も、アリスが対話の場にいれば事実上封じられていた可能性が高い。
腕のいい魔術師が敵対相手にいるというのは、非常に厄介なのだ。
だからこの事情聴取は、アリスが帰ってくる前にケリをつけなければならない。
二、三時間外出するという話だからすぐに戻ってくるということはないにせよ、あまりゆっくりもしていられない。
俺はもう一つの念話の効果で、アリスを尾行しているミィへと思念を送る。
『ミィ、そちらはまだ異常ないか?』
『──はいです。アリスは下町のほうに向かっているです。尾行が気付かれている様子はないです』
『分かった。くれぐれも無理はするなよ』
『大丈夫です。ミィは功績よりも命が大事です。それにウィルが無謀な行動を褒めないのは知ってるです』
こういう答えが返ってくると安心する。
何事も命あっての物種だ。
サツキのような猪突猛進タイプでない点においても、ミィという人材は信頼できる。
そんなことを考えながら、執事に連れられたアイリーンと俺は、屋敷の居館へと足を踏み入れる。
さあ、いよいよゴルダート伯爵とのご対面だ。




