第四十七話
それはゴルダート伯爵領までの旅の道中、二日目の夜にキャンプを張っているときのことだった。
「むっ……」
「んんっ? どうかした、ウィル?」
闇夜の森の中でたき火をし、それを五人で囲んだ状態。
俺の隣でぐつぐつと煮込まれた鍋からスープを器によそっていたアイリーンが、俺の声に気付いて疑問の声をあげる。
「いや、警戒に反応があった。人間大よりやや大きめの生物が三体だ」
「えっ……警戒って、魔法だっけ? モンスターが近くにいるってこと?」
そのアイリーンの言葉に、俺はうなずいてみせる。
「ああ──と言っても、厳密にはモンスターかどうかは確認できないのだが、その可能性を視野に入れておくべきだ」
警戒は、術者を中心とした半径五十メートルの外周上に、探査の膜を張り巡らせる呪文である。
その不可視不可触の魔力の膜を何者かが通り抜けたとき、術者にその情報が伝わるようになっている。
警戒は半ば術者の本能を利用した魔法であり、術者が本能的に「それなりに警戒を要する」と認識する相手のみを識別する。
だから例えば、そこら中にいる「ただの蟻」が通り過ぎても、それを警戒が感知することはない。
ただ警戒の探知膜は、そこを通ったものが何者であるのかまでを術者に知らせてくれるわけではない。
その呪文の効果が知らせてくれるのは、対象の方角と、その漠然とした体積の大きさぐらいだ。
この警戒の呪文は消費する魔素が少なめで、効果時間も半日持続するとあって、俺は旅の道中には常にこの呪文を行使しておくようにしている。
周囲五十メートルという効果範囲は視界が開けている場所ではあまり意味がないが、いまのような森の中にいるような状況では、十分に高い索敵能力を誇ると言えるだろう。
そしてそれが証拠に、俺が仲間たちに警戒を促してから少し後に、今度はミィの猫耳がぴくっと反応した。
「……確かにいるです。ゆっくりとこっちに近付いてくるです」
ミィは両手を自らの猫耳に当て、耳を澄ませる仕草を見せる。
俺の耳にはまだその音は聞き取れないが、ミィのそれは獣人ならではの耳の良さと、盗賊としての訓練の賜物なのだろう。
一方、それを聞いたサツキが、刀を手にして立ちあがる。
「ったく、何だか知らねぇけど、飯時に来るなっての。──けど相変わらずウィルの魔法はすげぇよな。ミィの耳より先に気付くなんて」
「いや、警戒は警戒膜を通り過ぎるときにしか情報が来ない。その膜の内側に入った後の動きは検知できないから、結局のところはミィの耳が頼りになるだろう」
俺はそう言って、ミィの頭をなでる。
身長的にちょうどいい高さにミィの頭があるからついこの動作をしてしまうのだが、当の彼女はこそばゆそうにしながらもどことなく嬉しそうな様子なので、まあ特に意識してやめる必要もないだろうか。
「それにしても、人間大より少し大きめって何だろうね」
アイリーンもお椀とお玉を置いて立ち上がり、いつでも剣を抜ける体勢を作りながら、少しワクワクしたような様子でそう言ってくる。
彼女のように高揚するかどうかはともかくとしても、何者であるかは確かに気になるところだ。
「ならば見てみるか」
俺は透視の呪文を唱えることにした。
魔素の消費がやや重いとはいえ、出来る限り正確な情報の取得はリスク回避のための最重要案件と考えるところだ。
俺は呪文を完成させ、警戒が示した方角へと視線を向ける。
そして視界を遮る木々を片端から透過していくと、やがてその先にいる生き物が俺の視野に映り込んだ。
それは体長二メートル近くもある、肥満体の亜人種だった。
緑色の肌をしていて、頭部の形状は豚のそれに似ている。
それが三体。
棍棒代わりの木の棒を片手に、木々の間を縫うようにしてのしのしと歩いている。
「……オークだな。やはり三体いる。こちらに向かってきてはいるが、それにしては少し方角がズレているな。俺たちの存在に気付いているわけではなく、偶然の鉢合わせと見るべきだろう」
オークはモンスターランクで言うと、Fランクのモンスターだ。
腕力や生命力は強いが動きが鈍重で、アイリーンやサツキのような手練れの剣士であれば容易に動きを見切ってあしらえるレベルの相手だ。
俺が対象の情報を伝えると、アイリーンが驚いた様子で俺のほうを見てくる。
「ウィルの魔法って、そんなことまで分かるの? 僕の視界には木しか見えないんだけど」
アイリーンは俺が使う魔法のことはほとんど知らない。
俺が魔術学院に通い始めた後は、アイリーンと会う機会はほとんどなかったからだ。
「ああ。透視は効果範囲内の任意の物体を透過して、その先を見ることができる呪文だ」
「へぇー……って、ええぇっ!? ……そ、それってひょっとして、僕が着てる服とかも透かして見てたりするの……?」
そう言って、自らの体を抱くようにして身を引くアイリーン。
……何を考えているんだこいつは。
「……あのな。呪文の効果でそれが可能かどうかで言えば可能だが、そんなことをやるわけがないだろ」
「だ、だよねー。あははっ、僕ってば何言ってるんだろね。あはははは……」
そう誤魔化すように笑うアイリーンなのであった。
まったく……。




