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第百七十五話

 その夜。

 俺は宿で夕食をとると、頃合いを見計らって実家へと向かった。


 王都でも上流階級の家が立ち並ぶ、高級住宅街。

 そこの一角に特に目立つこともなくたたずむのが、俺の生まれ育った家だ。


 こんな高級住宅街で特に目立ちもしないというのは、すなわち、それなりに立派な邸宅であることを意味する。


 清潔感のある石造りの二階建てで、ゆったりとした広さ。

 門構えも堂々としており、裏手にはちょっとした庭もある。


 闇夜に魔法の街灯が灯る下、俺は家の前に立ち、その姿を見上げる。


「勘当、か……出ていったときには、特になんとも思わなかったが」


 もうこの家は俺の帰る家ではないのだなと思うと、今更になって郷愁のような想いが胸に去来する。


 あのときは前と未来しか見ていなかったが、今の俺には立ち止まって振り返るだけの落ち着きが生まれているように思える。

 それが成長なのか、あるいはひたむきさの劣化なのかは分からないが。


 だが俺は今日、感傷に浸るためにここに来たわけではない。

 俺の懐には大金貨七十枚──すなわち金貨七百枚分を入れた小袋があった。


 それは都市に住む平均的な市民の年収の二年分ほどに相当する大金であり、俺が魔術学院で就学していた四年分の学費と、勤労可能年齢である十五歳を過ぎても両親に養ってもらっていた二年分の生活費との合計に相当する額でもある。


 俺はひとつ深呼吸をしてから、家の戸をノックした。


 すると家の中から、「はぁい、ちょっと待ってね」という女性の声が聞えてくる。

 聞き間違えようもない。

 俺の母親、フェリシアの声だ。


 しばらくして家の戸が開いた。

 家の灯りを背に、フェリシアが姿をあらわす。


「いらっしゃいウィリアム、待っていたわ」


 大人の穏やかさと子供の無邪気さとを同時に宿したような笑顔。

 歳は今年で三十五だったかと思うが、その実年齢よりはだいぶ若く見える。


 栗色の長い髪を背で束ねており、瞳の色も特に目立たない褐色。

 しかし息子の俺が言うのもなんだが、かなりの美人だと思う。


 フェリシアは俺の姿を下から上まで見て、首をかしげる。


「んー、ウィリアム、少し背が大きくなった?」


「いや、そんなことはないと思うが……。そもそもまだ、家を出てから三ヶ月もたっていないだろうに」


 あまりにもいろいろなことがあったから、もっと長い年月が過ぎているように錯覚するのだが、実際には俺が家を出て冒険者を始めてからまだそれほど月日はたっていない。


 その俺の返事を受けて、フェリシアはやんわりとした微笑みを見せる。


「ふふっ、そうね。さ、どうぞ、入って」


「……いいのか?」


「いいのかって、あなた何をしにきたのよ。話をしにくるって聞いたけど、まさかここで立ち話でもするつもりだったの?」


「……まあ」


 最悪、そのつもりだった。

 勘当されて家の敷居をまたぐなと言われたのだから、その可能性も考慮していたのだが。


 その俺の返答を聞いて、フェリシアはため息をつく。


「そういうところは相変わらずね。いいから入って。中で話をしましょう」


「……分かった。お邪魔します」


「はい、どうぞ。お邪魔されます」


 フェリシアについて家の中に入っていくと、リビングでジェームズが待っていた。

 テーブルについて、食後のティータイムという様子だ。


「よく来た、ウィリアム。まあ、座れ」


 そう言ってくる。

 俺は言われるままに席についた。

 家を出る以前には、俺の指定席だった場所だ。


 フェリシアが俺の分のお茶も淹れ、茶菓子も出してくれる。

 それからフェリシア自身も席についた。


 ジェームズとフェリシアが隣の席に座り、その対面に俺という構図。

 家族とも、他人とも言いづらい微妙な距離感を覚える。


 だが話をしにきたのだから、黙っているわけにもいかない。

 俺は意を決し、口を開こうとして──


 しかしその前に、相手方が動いた。


「ほら、あなた」


「……ああ、分かっている」


 フェリシアが肘でジェームズの脇を小突くと、ジェームズはこほんと咳払いをする。

 なんだ……?


 俺が疑問に思っていると、ジェームズが俺の方へと視線を向け、こう言ってきた。


「……ウィリアム。私はお前と、お前の仲間たちに謝っておかなければならないことがある。あのとき──最初にお前の仲間たちと王城で会ったとき、『低俗』などという言葉をかけて、すまなかった。あれは私が悪かった。私は冒険者という職業に対する偏見と、初対面の際の彼女らの態度だけを見て、ろくでもない手合いだと決めつけてしまった。申し訳ない」


 ジェームズはそう言って、俺に向かって頭を下げてきた。


 俺は驚いて、目を見開く

 父親が俺に頭を下げることなど、想像もしていなかった。


 俺はジェームズが言う「あのとき」のことを思い出す。


 アイリーンに歓迎されて、王城で豪華なディナーを堪能した後のこと。

 帰りの廊下で、ジェームズとサツキがぶつかったのだ。


 ほろ酔いもあって陽気に、しかし初対面にしては礼儀の足りない様子で挨拶をしたサツキたちを冷たい目で見下しながら、ジェームズは言った。


『ウィリアム、お前にはもはや期待はしていないが、一応忠告はしておく。付き合う人間は選べ。低俗な者と付き合っていると、己の質も落ちるぞ』


 その言葉を聞いた俺は頭に血がのぼり、ジェームズを殴りつけた。

 サツキたちを言葉で踏みにじったのが、許せなかったのだ。


 だが──


「親父……」


 今、俺の目の前で頭を下げているのは、ひとりの人間で。


 俺と同じで、サツキやミィやシリルやアイリーンと同じで、正しいこともすれば間違えることもする人間なのだと、俺はこのとき初めて気付いた。


 不思議なものだと思った。


 俺は父親だけは、このジェームズ・グレンフォードだけは、人として常に正しく、間違えることのあってはならない存在だと思い込んでいた。

 俺はどこか心の奥底で、この男のことを常に見上げていたのだ。


 そして、だから俺はこの男にだけは反発していたのだと、このとき唐突に思い至った。


 フラッシュバックするように、サツキたち三人と初めてこの王都に来たときの会話を思い出す。


『まあ、俺の父親が魔術師メイジとして極めて優秀な能力を持っていることは認めるがな。それがただちに人間として優れていることを示すわけではない。言うほど大した人間ではないぞ、あの男は。……何だ、俺は何か、おかしなことを言ったか?』


『いやぁ……ウィルが誰かを悪く言うのって、初めて聞いた気がすんだけど』


『ですです』


『そうよね。私もびっくりしたわ』


『……いや、気のせいか、たまたま口に出していなかっただけだろう。例えば──』


『うぅん、それはそうなのだけど……なんて言うのかしらね、私怨みたいとでも言えばいいのかしら。ウィリアムらしくない気がするのよね』


 ……なるほど。

 彼女らのほうが、俺のことがよく見えていたということか。


 俺の心は、何か憑き物が落ちたかのように軽く、晴れ晴れしい気持ちになっていた。


 そして、ふと前を見ると──

 母親のフェリシアが、何かを言いたげに俺の方を見て、それからジェームズのほうを仕草だけで示してみせていた。


 ……そうだな。


 なるほど、これは彼女が描いたシナリオなのか。

 まったく、母は強しだ。


 俺はジェームズに向かって言う。


「俺の方こそ、あのときは殴ったりしてすまなかった、親父。……未熟だったんだな、俺は」


「いや、未熟を言うなら私もだ。いくつになっても学ぶことが尽きることはない。──そういえばウィリアム、あの火球ファイアボールを多数同時に発動したあれは、いったいどうやったんだ? 古今東西の魔術文献にはだいたい触れているつもりだが、あのような秘術に関する言及は見たことがない」


「ああ、あれはな、とある冒険者たちが古代遺跡から発掘した巻物スクロールに記述されていた内容なんだが……親父は俺の魔術学院の卒業論文を読んだことはあったか?」


「ああ、魔術のアレンジ全般に関する、斬新だが筋の悪くない理論提唱だったと──そうか、あの理論からの派生か!」


「まったく、さすがだな。これだけで気付くのか」


「いやだが、細部に関しては気の遠くなるような──」


 このとき俺は親父と、久しぶりに話を弾ませた。


 その俺と親父の様子を、俺の母にしてジェームズの妻であるフェリシアは、嬉しそうににこにこしながら眺めているのだった。


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[一言] やはり親子である
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