第百六十九話
「竜の吐息命中! これで……!」
攻撃のため低空飛行をしていた竜の上で、アイリーンが快哉の声をあげる。
石畳を一瞬で溶岩に変えるほどの熱量を持つ炎が直撃すると、氷の魔神の周囲には爆発的なまでの蒸気が舞っていた。
「やったか……!?」
「いや……だが……!」
王国軍の騎士たちの希望の声。
やがて蒸気が晴れれば、そこには右半身をドロドロに融かされた怪物の姿が現れる。
右半身から伸びていた触手はすべて炭となって崩れ去り、融けた表皮から新たに触手が伸びる気配もない。
その様子を竜の上から見たサツキが、揚々と声を放つ。
「よっし! まだ倒しちゃいねぇが、ダメージはでかいみたいだぜ、姫さん!」
「うん! イルドーラさん、もう一発お願い!」
『承知!』
氷の魔神の頭上を通り過ぎた竜は、一度大きく旋回し、再び標的へと向かう。
その口の中に紅蓮のエネルギーを溜めつつ、吐息の攻撃範囲まで接近していくが──
半身がドロドロに融け、すでに戦闘力を失ったかにも見えた氷の魔神。
しかしその口が竜に向かって開かれると、そこには高圧縮された青白い冷気エネルギーの塊が宿っていた。
「なっ……!?」
「まさか、向こうも……!?」
少女たちの驚きの声は、吐息の音にかき消された。
──ゴォオオオオオオッ!
竜と魔神、両者の口から吐息攻撃が同時に放たれる。
片や炎の、片や冷気の。
それは空中で衝突し──
『なっ……!?』
一瞬の後、氷の魔神が放った冷気の吐息が、竜の炎の吐息をかき消し、貫いていた。
そして、絶対零度の吐息は、そのまま竜の半身を呑み込む。
『ぐぁあああああっ!』
右半身の胸部から翼にかけてを意趣返しのように冷気に焼かれた竜は、飛行もままならずに墜落し、地面へと激突した。
それにより、上に乗っていたアイリーン、サツキ、シリルの三人も地面へと投げ出される。
アイリーンとサツキは見事な身のこなしで着地し、シリルもサツキがとっさに抱きとめることで大怪我を追うことはなかった。
それよりも問題は──
「イルドーラさん、大丈夫!?」
『ぐぅっ……うぐっ……うぎっ、ぁぁああああっ……!』
竜は、氷の魔神の吐息攻撃によって甚大なダメージを負っていた。
悲鳴をあげ苦悶する姿は、あまりにも痛々しい。
「くっ、ドラゴンを超える威力の吐息なんて……! ──シリルさん、治癒を!」
「え、ええ、分かったわ!」
シリルがイルドーラのそばへと駆け寄り、治癒の祈りを捧げはじめる。
アイリーンはそれを確認すると、自身は氷の魔神のほうへ視線を向ける。
その先にいた怪物は、アイリーンたちのほうへと向いて再び口を開き、冷気のエネルギーを溜めはじめていた。
「なっ……冗談でしょ!?」
「マジかよ……!?」
アイリーンは竜を庇うように前に立ち、サツキもその横に並ぶが、そんなことをしたところであの異常な威力の吐息が防げるとも思えない。
万事休すと思ったところに──
「「「──武器投射!」」」
──キュドドドドドドッ!
氷の魔神に向けて、王国軍の宮廷魔術師たちから再三の武器の雨が降り注いだ。
「──ッ!」
氷の魔神はとっさに回避行動をとっていたが、竜に意識を向けていたこともあり、飛来した武器の何発かが命中する。
無論、それが致命打になるわけではないが──
「我が盟友、偉大なる竜が活路を開いた! 討ち取るぞ!」
「「「オォオオオオッ!」」」
国王アンドリューの指揮下、王国の精鋭騎士たちが氷の魔神へと殺到する。
ここよりほかに勝機はないと、総力での接近戦を仕掛けていた。
いかな氷の魔神といえども、それを無視して竜への追撃はできない。
王国騎士たちとの乱戦が始まった。
それを見て、アイリーンは少しだけホッとする。
「シリルさん、イルドーラさんはどう?」
「だ、ダメよ……こんなに生命力を失っていたら、私の軽傷治癒じゃ、戦線復帰どころか命を繋ぎとめることも……」
竜に寄り添って治癒の奇跡を行使したシリルは、そう言って青い顔をしていた。
それを聞いたアイリーンは、心の中で舌打ちをする。
一難去ってまた一難だ。
「もっと高位の治癒術が使えれば、どうにかなるの?」
「え、ええ。司祭級の奇跡──重傷治癒が使えれば、一命は取り留めるはず……」
「どっちにしろ、戦線復帰は無理か……チッ、優秀な癒し手が足りなさすぎるっていうのに……!」
今度は我慢できずに、実際に舌打ちをしてしまうアイリーン。
王国軍が連れてきた従軍司祭たちはと見れば、あちらも瀕死の重傷を負った騎士たちを懸命に治癒して回っていた。
わずか三人という人手だが、司祭といえば一個の神殿を預かる神殿長クラスの実力者だ。
このような戦場に急遽三人もの司祭を連れてこれただけでも相当なことで、そうそう多数の強力な癒し手を確保できるわけもない。
しかも王国軍の負傷者は、氷の魔神との戦いで今もなお増え続けている。
従軍司祭たちは、もれなく瀕死の重傷を負う騎士たちの治癒だけで手一杯で、こちらにまで手を回している余裕は到底ないだろう。
それはアイリーンにも、理屈としては分かるのだが──
「でもこのままじゃ、イルドーラさんが……!」
自分たちのために力を貸してくれた隣人を、こんなことで。
アイリーンは悔しさに拳を握りしめる。
自分があの戦場に突っ込んでいってどうにかできるなら、今すぐにでもそうしてやりたいところだ。
しかし、今あそこで戦っているのは、アイリーンと同格の実力を持った真の精鋭たち。
いまだ十人を超える精鋭騎士たちが向かっていってなお苦戦を強いられている中、アイリーンが行ったところで数の足しぐらいにはなっても、決定打にはなりえない。
いや、作戦会議に参加していなかったアイリーンでは、最悪、邪魔にすらなりうる。
もちろんそれはサツキが行っても同じことだ。
どうにかしないとと思うが、でも、どうしようもない。
そんな葛藤を抱えているときに、アイリーンの横から無遠慮な声が飛んでくる。
「どうすんだよ姫さん!? このままじゃ……!」
「うるさいな! 僕だって今それを考えてる!」
イラッとして言ってしまってから、アイリーンはハッと我に返った。
「あっ……ご、ごめんサツキちゃん……僕……」
「……や、あたしの方こそ、わりぃ。……ホント、なんであたし、こんなことばっか……ウィルに頼りすぎなんだ、くそっ……」
そうしてアイリーンとサツキの二人が焦燥感に苛まれる中。
竜のかたわらで治癒をしていたシリルもまた、無力感に打ちのめされていた。
「どうして、どうして私は、こんなに……!」
苦痛のうめきをあげる竜に向け、シリルは必死に軽傷治癒の奇跡を行使していたが、その術の性質上、一定ラインを越えて生命力を失った対象に癒しを与えることはできない。
すがるような気持ちで放った二度目の軽傷治癒もやはり効果がなく、そうしている間にも竜の生命力が徐々に失われていくのが分かってしまう。
そのシリルの耳にこびりついていたのは、先のアイリーンの言葉。
『優秀な癒し手が足りなさすぎるっていうのに……!』
その「優秀な」の中に、自分は含まれていない──
ここ最近、シリルがずっとひそかに覚えていた劣等感。
ミィがオーラを使いこなせるようになり、サツキも劇的に戦闘能力を上げ、ウィリアムに至っては最近になってまたその怪物ぶりに拍車をかけた。
だというのに、自分だけ。
何ひとつ前に進むことができていない。
みんなに置いていかれる恐怖。
それは才能の差?
それとも努力の差?
どっちにしたって──
「そんなのは、もう嫌なのよ! お願い、お願いだから──重傷治癒ッ!」
シリルはかつてないほどの想いを込めて神に祈り、己の実力を超える奇跡を願った。




