第百五話
ミィとアイリーンのどちらを援護するか。
どちらも余裕のある状況ではない。
いわばフィフティフィフティで危険な状態だ。
こういった、「どちらが正しい選択肢か分からないとき」に取るべき行動は一つ。
それは「どちらかを選び、その結果を受け入れること」だ。
こう言うと当たり前のことのようだが、言うほど簡単なことではない。
何が簡単ではないかというと、「結果を受け入れること」が難しい。
例えば俺がここでミィの援護のために魔法を使ったとして、その選択の結果、万一「アイリーンが命を落とす」ようなことになったなら。
その結果を俺は、「自らの選択の結果」として受け入れられるのかという話になる。
もしそうなれば、おそらく俺はこう考えるだろう。
俺だけが悪いわけではない。
ここまでに様々な選択肢があり、そのすべてに同意してきた仲間たちにも責任はあるし、それで命を落とすアイリーン本人にだって──
いやそもそも、ろくに勝算のない戦いに挑もうとしていたエルフたちにこそ問題が──
そのようにして俺は、受け入れがたい結果を前にすると、それを自分以外の誰かの責任にしようとするだろう。
結果を「ありのままに受け入れる」ことをせずに、責任の所在を求めようとするだろう。
そんなことをしたって死んだ者が蘇るわけでもないのに、だ。
こうした思考の流れはおよそ人間という生き物に共通して働く本能的な心の動きであるし、俺もまた例外ではないというだけの話だ。
だが、それが人間らしい愚かさであるとするなら、それに抵抗するのは人間の理性であろう。
そしてその場合の理性とは、常に最適解を打ち続ける万能の知性を意味するものではない。
まず、常に最適解を打ち続ければいつでも最善の結果を得られるというのは妄想であり、自分にできる最善を尽くしたとしても、世界がそれを祝福してくれるとは限らないのが現実だ。
そして次に、自分が常に最適解を打ち続けられるというのも妄想だ。
人は人であるゆえに、どうしても過ちを犯す。
当然ながら俺も例外ではない。
人の知性は常に完全ではない。
俺のここまでの選択にも、いくつも誤りと評価すべきものがあったかもしれない。
だが──
いや、だからこそ俺にできるのは、自らの選択の積み重ねの結果を受け入れることだけだということだ。
そのときどきの自らの決断の積み重ねだ。
その結果がどうなろうと、自らの生き様の結果として受け入れること。
それが例え、愛する仲間の死であろうとも。
その結果を、現実をまずありのままに受け入れなくては、そこから一歩も前に進めなくなる。
だが、そうは言っても。
そんなことにはならないように、俺はこれまでの決断をしてきたつもりだ。
百ではないが、九十五を下回るような選択をしてきたつもりもない。
ならばいまは、その自身の軌跡を信じるまで。
「──身体能力増強!」
俺は決断をする。
ミィを対象として、用意していた呪文を発動した。
俺が掲げた杖の先から魔力の光がミィに向かって飛び、その光がミィを包み込むと──
「えっ……?」
ミィの驚きの声。
その一拍のちに──
──ゴォオオオッ!
ミィの体から、溢れんばかりの力の奔流が光となって湧き上がった。
「な、何ですかこれ……? ウィリアムの魔法ですか? すごいです、体の奥から力が湧いてきます! 止まらないです!」
ミィが自分の体の異変に、戸惑いと興奮が混じった声を上げる。
──身体能力増強。
対象の全身体能力を同時に増強する呪文である。
敏捷性に対する効果に限って言えば加速のほうが上だが、筋力なども含めた身体能力全般を同時強化できる点が強みの高位の補助呪文だ。
「ミィ! それで目の前のオークロードをやれるか」
「あ、当たり前です! これでやれなかったらただのバカです!」
そう言うミィの頭上から、オークロードの棍棒がごうと音を立てて振り下ろされる。
だが──
──ヒュッ!
ミィの姿が風のようにかき消えた。
オークロードの棍棒による一撃は、完全に空を切る。
そして──ブシュッ!
一瞬の後にはオークロードの喉が深々とえぐられ、そこから血が派手に噴き出していた。
タン、タンとステップを踏んでオークロードの斜め後方へと離れるミィの手には、逆手に持った血塗られた短剣が握られている。
「ははっ、嘘みたいです……! さっきまであんなに硬くて刃が通らなかったのに、楽勝です」
ミィは依然として興奮しているようだった。
だが多少舞い上がっていたとしても、彼女がオークロードに後れを取る可能性はもはや皆無に近いだろう。
ミィのほうはこれで問題ない。
問題があるのは──
俺は次の呪文詠唱を続けながら、アイリーンの戦いの様子へと視線を向ける。
「──チッ、ちょこまかとうぜぇんだよメスガキが! だがそろそろテメェの速さにも慣れてきたぜ。どこまでよけ切れるかやってみろや!」
「くっそ、硬すぎる……! このままじゃ、まずい……!」
アイリーンとオークエンペラーの戦いは、速さと硬さの勝負だった。
アイリーンの剣はオークエンペラーにかすり傷レベルの軽傷をいくつも与えていたが、致命傷になるにはほど遠い。
対するオークエンペラーの攻撃はアイリーンに一度も命中していなかったが、徐々に危ういシーンが増えてきているように見えた。
そして、ついに──
「うぎっ……! ──うああああああっ!」
前の回避で体勢を崩したアイリーンの胴へと、オークエンペラーの巨大棍棒が横薙ぎに直撃した。
インパクトの瞬間アイリーンの体がパッとオーラの輝きに包まれるが、それで衝撃を吸収し切れることはなく、少女の体は錐もみしながら吹き飛ばされた。
そして、異空間の真っ黒い大地をごろごろと転がり──
「がはっ、げほっ……くぁっ……く、そぉ……!」
大ダメージを負った様子ながらも、どうにかといった様子で立ち上がるアイリーン。
その瞳から、闘志は失われていない。
それを見て俺は、内心で胸をなでおろす。
一瞬肝を冷やされたし、重傷なのも間違いないが、致命傷は避けられたようだ。
そしてアイリーンには悪いが──これは「予定」通りではないにせよ、まだ俺の「想定」の範囲内だ。
アイリーンの防御力なら、頭部に直撃でも受けない限り致命傷にはならない。
そしてアイリーンが、オークエンペラー程度の速さの攻撃に頭部への直撃を許すことはあり得ない。
つまり──アイリーンなら一撃までなら直撃をもらっても耐えられるという計算は、俺の中に確かにあった。
そういう計算をするのが人としてどうかという意識はあるが、シビアな局面ではそういった人間性を犠牲にした理性も必要になってくる場合がある。
あとでしっかりケアをしてやる必要はあるだろうが、それはいま考えるべきことではないだろう。
「ハッハァーッ、手ごたえありだ! 俺の一撃を受けてもまだ立てる、その頑丈さと根性は大したもんだがよぉ!」
オークエンペラーは、それで勝ったつもりでいるようだった。
アイリーンにトドメを刺そうと地面を蹴る。
巨体ながらにその速度は恐るべきもので、吹き飛んだアイリーンとの間合いを瞬く間に詰めてゆくのだが──
しかし、それでは遅い。
いまの一撃でアイリーンを戦闘不能に追い込めなかった時点で、すでに勝負はついている。
「──身体能力増強!」
俺はミィに使ったのと同じ呪文を、アイリーンにも発動した。
アイリーンが魔法の光に包まれ──
「ッらあ! くたばりやがれクソガキ!」
そこに、突進してきたオークエンペラーの巨大棍棒が振り下ろされる。
しかし。
「──ううん、違うよ」
アイリーンがオークの言葉が分かっているかのような言葉を発した。
いや、おそらくは戦士の勘なのか。
そして──キンッ。
アイリーンのオーラを纏った剣が、振り下ろされたオークエンペラーの棍棒を絶妙の角度とタイミングで受け流した。
巨大棍棒は、アイリーンの横の異空間の地面に突き刺さる。
「なっ……!?」
「くたばるのは、そっち」
──ずぶり。
オークエンペラーの分厚い胸板に、一瞬で懐に飛び込んだ満身創痍のアイリーンの、片手で突き出した剣が埋まっていた。
満身創痍と言っても、その少女のオーラには一片の陰りもない。
そこに身体能力増強の魔力の光が乗った少女のまばゆいばかりの姿は、半ば神々しくさえあった。
「ガ、ハッ……! なっ……ん、だと……!?」
「──終わりだよ、オーク」
アイリーンは残像を見せるような速度で剣を引き抜くと、さらに瞬く間に二度、オーラを纏った剣を振るった。
「グガアアアアアアアッ……!!!」
バツの字状に深々と体を断ち切られたオークエンペラーの巨体は、傷口から噴水のように血を噴き出して倒れた。
それがオークエンペラーの最期だった。
そして残る戦いの風景も、ほぼ同時に決着していた。
自らの担当であったオークロードをあっという間に倒したミィが、サツキの戦いへと加勢し、残るオークとオークロードをサツキと二人で連携して倒したのだ。
そうして戦いが終わったのを確認して、俺は負傷したアイリーンのもとへと向かう。
重傷を負ったアイリーンのもとにはシリルが駆け寄っていて、治癒の奇跡を行使しているところだった。
「さすがだな、アイリーン。オークエンペラーを相手にハンデ戦をやって、あれだけ戦える騎士はそうはいまい」
「ははっ……ありがと。でもそっちこそまた、とんでもない魔法の威力だね。毎日トレーニングしてるのがちょっとバカバカしくなってくるよ」
「何を言っている、身体能力増強は本人の地力があってこそ威力を発揮する呪文だ。アイリーンやミィの本来の実力があればこそあれほどの威力を発揮したまでで、凡百の戦士に使ってもああはいかない。それに効果時間も短い」
「そっか……それなら、ご期待に添えたようで良かったよ……でも、少し疲れた……ちょっとだけ、甘えてもいいかな……」
「……ん? 構わないが、甘えるとは、どういう──」
「こういう、こと……」
とさり。
アイリーンが俺の胸へと倒れてきた。
俺は慌てて、体重を預けてきた彼女を抱きとめる。
「お、おい、アイリーン」
「いまだけ……お願い……ボク、疲れたよ……」
そう言ってアイリーンは、俺の胸に顔を埋めてしまった。
困った俺は、彼女に治癒魔法を使っていたシリルのほうを見るのだが──
「いいんじゃない? アイリーン様が一番頑張ったんだし、いまだけって言ってるんだし、甘えさせてあげれば?」
「あ、ああ……」
シリルにも肯定されてしまった。
アフターケアが必要だとは考えていたが、こういったものを想定していたわけではない。
俺の胸に顔を埋めていたアイリーンが、次には俺のほうを見上げてくる。
「えへへ……ウィルのいい匂いがする」
「……妙なことを言うな。変態かキミは」
「ふふん、変態でいいもーん」
何だか妙に嬉しそうな様子だったので、特に実害もないし、アイリーンのやりたいままにさせておけばいいかと考えてしまう俺であった。




