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ちいさな手

ヒトエビトさんがTwitterでアップしていた絵からできたお話です。


軍人(人狼)×少女


(注意)ちょっとグロい表現があります。

「人間どもの仲間になると言うのか! 獣人族としての誇りを捨てて!!」


 怒り狂った兄の、吊り上がった赤い目が光る。

 片耳を失い、頬にまでザックリと走った傷は、塞がってはいたが、今なお痛々しい。

 その傷は、先の人間との戦いにより負った傷だった。

 

「出て行け! 今後、俺の前に現れることは許さん!」


 咆哮のような怒鳴り声と共に、目が覚めた。


「……夢か」


 大きな体を起こしたオリバスが大きなため息をつくと、浴室で軽く水を浴び、全身をブルブルと震わせた。これだけでだいぶ水気はなくなる。そして服を着ながら、寝室に戻ると、戸棚から小さな瓶を取り出した。瓶はコルクで蓋がされ、その上からかぶせた紙が蝋でしっかりと封がしてある。オリバスはそれを慣れた手つきで外し、それを一気に飲み干した。

 喉に苦味がこみ上げてくる。オリバスはそこに冷たい水を流し込んだが、昔の夢を見た後味の悪さは残ったままだった。



 * * *



 激しい戦争の末、長くいがみ合っていた獣人族と人間が和解をしてから、人間の暦で十年になる。

 オリバスのように、人間社会で働く獣人も珍しくなくなりつつあった頃、謎の感染病が出回り始めた。その感染病にかかると、身体がいびつに歪み、理性を失くし、本能のままに行動することから、魔物化と呼ばれていた。

 統一政府から配られる特効薬を、毎朝飲むことを義務付けられ、これを守っている限りは魔物化しないと言われている。だが、これは感染病などではなく、獣人はそもそも魔物なのではないかという声が出てきていた。

 人間と関わったから魔物化するなど、そんなことはあり得ない。実際、科学者の手により、小さな虫による感染病だと立証されている。だから、こうして特効薬もあるのだ。だが、魔物化するのは獣人の比率が高いこともあり、再び獣人を人間社会から追い出そうという動きの出つつあった。


(そんなことになったら、俺が一族を飛び出した意味が無くなる……)


 オリバスはやるせない思いを抱えたまま、部屋を出た。


 統一政府の軍服を着て歩いていても、オリバスを避ける者は多い。

 中には冷たい視線も感じるが、そんなことをいちいち気にしてはいられない。相手はひと睨みするだけで黙り込むだろうが、そんなことをすれば益々獣人の悪い噂が広まるだろう。オリバスはなにも気づいていない振りをしたまま歩いた。

 オリバスがとある建物に入ると、奥からひとりの小柄な少女が飛び出してきた。


「マチ、もう体はいいのか」


 マチと呼ばれた少女は、オリバスの目の前までやってくると、大きく頷いた。表情は乏しいが、その瞳の明るさから、機嫌がいいこともわかる。

 遠い国からやって来たというこの少女は、言葉を話せない。どうしてここにいるのか、オリバスにはよくわからないが、ここは保護者のいない子供たちが生活していた。

 その中でも、一際小柄で顔立ちの違うマチは、言葉が話せないということもあるのか、他の子どもたちの輪に入れずにいた。

 それが、なぜだかこうして、オリバスには懐いてくるのだ。

 力の加減を間違えれば、壊してしまいそうな少女にどう接していいものやら――こうして、この施設の警備をするようになってからも、オリバスの戸惑いは続いていた。

 それはきっとマチにも伝わっているだろう。

 言葉を発することはないが、真っすぐ見つめる瞳は、彼女が聡いことを示している。ならば、避けてくれてもいいものなのだが、なぜか今もオリバスの服の裾をつまみ、オリバスの歩幅に合わせようと小走りになりながらついてくる。

 仕方なく、オリバスは足取りをゆっくりとしたものに変えた。


 街に異変が訪れたのは、それから数日後のことだった。

 非番だったオリバスが呼び出しに応じて外に出ると、異臭が鼻についた。

 思わず顔を顰め、手で鼻を覆うが、その臭いはこびりついたように離れない。

 それは肉が腐ったような、空気までも澱みそうな悪臭だった。


「魔物だ! 魔物が出たぁ!」


 人々が転げそうになりながら、こちらに向かってくる。

 オリバスは人々の波に逆らうように、足を動かす。だが、いつもならオリバスを避ける人々も、とにかく悪臭の原因から離れたいという一心で、突撃してくる。さすがのオリバスも、なかなか先に進めずにいた。

 人々がやって来るその先に、マチのいる施設がある。


「クソッ、よりによって、こんな日に……!」


 なんとか施設の門にたどり着いた時には、悪臭は強まり、鼻はおろか全身がビリビリと痺れるほどだった。

 施設の中は、異様な雰囲気だった。

 既に警備の軍人が魔物を倒しており、腐った肉片となった魔物があちこちに飛び散っている。だが、思った以上に魔物の数が多い。かろうじて人型を保っている赤黒い肉の塊がゆらゆらと蠢く。その中には、逃げ惑う子供たちもいた。だが、マチの姿が見えない。


「マチ!」


 呼びかけたところで、返事が返ってくることはない。そう分かってはいても、叫ばずにはいられなかった。

 その言葉に、残っていた魔物が標的をオリバスに向けた。

 瞬時に背中の大剣に手を添えたオリバスだったが、オリバスに向かってくる魔物を見て、一瞬目を見開いた。


 その魔物には、片耳がない。そして、肉が腐ってもなお、抉られた頬の傷は残っていた。

 魔物は既に自己を失っているのだろう。なんの躊躇もなく、オリバスに向かってくる。すると、魔物の影から倒れているマチが見えた。

 頬が汚れ、真っ黒な艶やかな黒髪が地面に広がっている。


「マチ!!」


 オリバスは大剣を抜き取ると、一気に距離を詰め、魔物の胸元に大剣を突き刺した。

 肌を突き刺すような異臭に怯むことなく、そのまま力任せに剣を払うと、ビチビチと肉片を飛ばしながら、魔物がゆらりと体制を崩す。だが、その寸前、一瞬だけ魔物の瞳に力が宿り、オリバスを睨み付けた。


「――オロカモノ……!」


 しわがれた声を絞り出すと、ドロリとした血を吐きながら、大きな音を立てて倒れた。

 その目は既に生を失っていた。

 だが、オリバスはその場から動けずにいた。剣と、軍服についた血を茫然と見る。

 すると、足元から小さな声が聞こえた。


「……痛いの?」


 はっとして下を向くと、マチがオリバスを見上げていた。

 倒れてはいたものの、無事だったらしい。危機一髪といったところか。

 マチの姿を見て、オリバスが大きく息を吐き出す。それまで、息を詰めていたことすら気づいていなかった。

 何も答えないオリバスの手を、そっとマチが握る。

 魔物の血に汚れた手だ。払おうとしたが、思いのほか強い力でぎゅっと握ってきた。


「痛いの?」


 マチが再び、問いかける。その目には涙が浮かび、瞬く間にポロポロと落ちた。


 ああ、痛い。痛いとも。

 この手で、兄を殺した。

 魔物化していたとはいえ、その最期は紛れもなく兄だった。

 それを、この手で殺したのだ。

 オリバスは、もう何が正しいのかわからなくなっていた。


 その時、自分の手を握ってくるマチの手が、とても冷たくて震えていることに気が付いた。

 真っすぐ自分を見つめてくる黒い瞳に、呆けた顔をした己自身が写っていた。


 まだ。

 まだ俺は大丈夫だ。この手の感触が、真っすぐな瞳が、俺をこの現実に留めてくれている。


 オリバスはマチの手をそっと外すと、自分の軍服で丁寧に血を拭いた。


「痛くない。マチが無事なら、それでいいんだ」


 マチは、不思議な子だった。

 小さく、拙く紡がれた言葉で、一気にオリバスをこっちの世界に踏みとどまらせてくれた。

 マチを守っているのはオリバスだと思っていたが、マチがオリバスを守っていたのかもしれない。


 ならば、この身はマチに捧げよう。

 もう二度と泣くことのないよう、笑顔を見せてくれるよう、もっと、言葉を紡ぐよう、マチの傍にいよう。


 オリバスは初めて自分の意思で、マチの手を握った。


 壊さないよう、離さないよう――。


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