第169話 担当固定で第一ロックを待たせる
出発待機線の横に置いた温食容器は、まだ熱を逃がしていなかった。
レンはその湯気を見てから、運用図を開いた。第一ロック地上保守、実送信前手順。前話で四つに割った枠のうち、今日は姿勢確認だけを本物の地上網で走らせ、保守信号送信は鍵の手前で止める。基地、通信塔、E-03、保守棟の四点を同時に見なければ、担当を決めたつもりになっても、結局レンが全部の窓へ張り付くことになる。
『第一ロック、未解除。軌道アンカーへの送信経路は閉鎖状態です』
「閉じたままでいい。今日は誰がどこを見るかを固定する」
『候補は、ノアが監視、ガタが現地安全、レンが承認です』
『右輪、黄色。現地安全の全域担当は嫌です』
「全域じゃない。行ける場所と、行かない場所を線で分ける」
ガタは整備台の充電端子を外され、床へゆっくり降りた。右輪の表示は黄色のまま細く揺れている。レンはガタの前へ、通信塔側の長い直線、基地外縁の帰還線、保守棟入口前の平坦部、E-03へ向かう砂の浅い区間を順に表示した。そのうち、通信塔基部の段差と保守棟裏の崩れた配管沿いには赤い×を置く。
『通信塔基部、段差。行きません。保守棟裏、粉塵溜まり。嫌です』
「嫌でいい。現地安全は突っ込む係じゃない。そこで止める係だ」
『止める係。許容します』
レンは次に、基地中央端末の監視窓をノアへ渡した。基地の生活系、通信塔の姿勢、E-03の水循環、保守棟の補助電池。四つの窓は、レンが触るとすぐ大きくなりすぎる。細い警告や待機音まで追っているうちに、給水棚の補充や温食の保温を忘れる。だから監視窓の上に、ノア専用の白い枠を重ねた。
「ノアは、見張る。判断は俺へ戻す。勝手に承認しない」
『監視のみ。条件逸脱時は警告、承認入力は要求しません』
「警告は短く。生活系、姿勢、現地安全、承認待ち。この四つのどれかで出して」
『分類しました』
承認待ちの枠だけは、レンの手元に残した。端末の右側へ物理キーを差し、左側に取り消し板を置く。キーを押す前に、ノアの監視白、ガタの現地安全白、生活系白、出発待機線白を順に見なければ、承認板は開かない。押し間違い防止としては古くさいが、古い方が手で分かる。
「俺は承認。送信じゃない。第一ロックへはまだ出さない」
『承認対象は、地上担当固定試験です。低出力保守信号の生成はロックされています』
「その文言、表示の一番上へ」
『表示しました』
同時試験を始める前に、レンはわざと生活側を動かした。給水棚で空の携行容器を一本満たし、保温棚から温食容器を食事区画へ移す。出発待機線の重量体と出発箱は壁沿いの黄色枠に収まり、中央の担架線を塞いでいない。静養室の一床は白く、寝台区画の空調音もいつもの低さだった。
『基地生活系、白。給水継続。温食保温継続。出発待機線、阻害なし』
「通信塔」
『姿勢監視、白。外部送信なし』
「E-03」
『水循環、白。貯水と予備電池、低下なし』
「保守棟」
『補助電池、白。通常監視へ復帰可能』
レンは最後にガタを見た。ガタは通信塔へ向かう直線の手前で停止し、右輪に負担がかかる手前の位置で前輪灯を点けている。そこから先は、ガタが走る場所ではなく、走れないと報告する場所だった。
『現地安全。通信塔直線、通行可。基部段差、不可。帰還線、白』
「保守棟前」
『入口前まで可。裏は不可』
「E-03側」
『浅砂まで可。深砂は嫌です』
「よし。嫌の場所も安全情報に入れる」
『記録』
レンは承認キーへ手を置いた。指先に硬い縁が当たり、古い端末の表面がわずかに冷たい。画面中央には、第一ロック未解除、外部送信なし、応答再取得なしの三行が固定表示されている。その下で、ノア監視、ガタ現地安全、レン承認の三つの札が白く点滅した。
「担当固定試験、開始」
『監視開始』
『現地安全、開始』
承認キーを押すと、基地の床下で短い切替音が鳴った。通信塔へ伸びる線が白く細り、保守棟の補助電池表示が通常監視から試験待機へ変わる。E-03の水循環音は変わらず、給水棚の水は携行容器の規定線まで静かに上がっていった。
異常は、ない。
ただし、それだけでは足りない。レンは手順表どおり、端末から一歩離れた。保温棚の横へ移り、温食容器の蓋を締め直す。容器の金属縁は熱く、手袋越しにじんわりと温度が伝わった。背後で端末が鳴るなら失敗だと思ったが、鳴ったのはノアの短い報告だけだった。
『監視継続。基地、通信塔、E-03、保守棟、白』
「俺が画面を見てなくても?」
『はい。承認待ち以外の監視を継続しています』
『現地安全、帰還線白。右輪黄色、悪化なし』
ガタの声は通信塔側から戻ってきた。短く、余計な解釈を含まない。レンはその報告を聞きながら、満たした携行容器の蓋を締め、出発箱の固定具へ戻した。固定具が小さく鳴り、箱の中で水も食料も滑らない。出発待機線の重量体はまだ黄色枠の内側にある。
「ノア、俺が補給を触っている間、承認板は?」
『未操作。承認入力なし。低出力保守信号ロック継続』
「ガタ、通信塔基部」
『行きません。段差、右輪に悪い』
「それでいい。行かない線を固定」
『固定』
レンは端末へ戻り、今度は承認取り消し板に手を置いた。試験の終わらせ方も担当に含める。ノアが白を見て、ガタが戻れる線を持ち、レンが承認と取り消しを握る。その三つが揃わなければ、低出力どころか模擬の次にも進めない。
「停止条件を一つ入れる。通信塔基部に粉塵警告、模擬」
『模擬警告。生活系への影響なし』
通信塔の窓だけが黄色に変わった。ノアの報告はすぐに来た。
『現地安全分類。通信塔基部、黄色。ガタ進入不可。基地生活系、白。E-03、白。保守棟、白。承認停止を推奨します』
『進入しません。帰ります』
ガタの駆動音が遠くから低くなり、通信塔直線の安全位置から基地へ向きを変えた。右輪を軸にしない、小さな左寄りの旋回だ。粉塵警告は模擬でも、戻り方は本物でなければならない。ガタが出発待機線を横切らず、外部扉側の帰還線を通って整備台前へ戻るまで、レンは承認板を開かなかった。
「停止承認」
『担当固定試験を停止します。保守信号送信なし』
取り消し板を押すと、通信塔の黄色が消え、保守棟の補助電池が通常監視へ戻った。E-03の水循環は音を変えない。給水棚の白表示も、温食の保温も、静養室の待機光も残っている。ガタは整備台の前で止まり、右輪の黄色を保ったまま充電端子へ鼻先を向けた。
『本機、帰還。右輪、黄色のまま』
「悪化なし」
『重要です』
「分かってる。現地安全担当としては、そこが合格だ」
レンは端末へ戻り、三つの札を候補から担当へ変えた。ノア監視。ガタ現地安全。レン承認。肩書きだけなら一秒で書けるが、いまは違う。水を満たし、温食を残し、出発待機線を塞がず、通信塔の黄色でガタを止め、E-03と保守棟を白へ戻した後の担当だった。
[FIRST LOCK GROUND ROLES]
――――――――――
ノア:基地/通信塔/E-03/保守棟の監視、逸脱分類、承認入力なし
ガタ:現地安全、通行可能線と進入不可線を報告、右輪黄色で無理をしない
レン:承認と取り消し、押し間違い防止キーを使用
生活系:給水/温食/静養室/寝台/ガタ充電を継続
出発待機線:重量体と出発箱を保持、担架線を阻害しない
第一ロック:未解除/低出力保守信号なし/応答再取得なし
次作業:同じ担当で、解除を伴わない低出力保守信号を送る
――――――――――
ログを閉じても、三つの札は消えなかった。ノアの監視枠は端末の上段に残り、ガタの現地安全線は床の運用図に白と赤で残った。レンの承認キーだけが、手元の古い金属片として冷えている。
彼はもう一度、端末から離れた。食事区画へ行き、温食容器を低い台へ置く。出発待機線の横で湯気が立ち、携行水の固定具は動かない。背後ではノアが監視を続け、整備台のガタが充電音を受けながら、右輪黄色の表示を小さく点滅させていた。
『監視継続。基地、通信塔、E-03、保守棟、白』
『現地安全、待機。右輪黄色』
「承認担当、飯の横でも待機」
『承認入力は端末前のみです』
「だから、勝手に進まない」
第一ロックはまだ閉じている。返事も取り戻していない。だが、レンが画面から手を離しても、水と温かい食事と出発待機線は止まらず、通信塔とE-03と保守棟の白は誰かの担当として残った。
次に押すキーは、レン一人の気合いではなく、三つの担当が止められる状態で押すキーになった。
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