第15話 落下予測、拠点直撃
上部補正台への梯子は、さっき登った配線盤よりさらに状態が悪かった。
細い金属段は砂でざらつき、ところどころ曲がっている。壁の内側に固定されているはずなのに、塔が揺れるたびに指先へ振動が返ってきた。レンは片手で梯子をつかみ、もう片手で工具バッグを押さえながら上を見る。
「ノア、本当に上なんだな」
『気象制御レーザーの手動補正台は観測塔上部です。現在位置から七・四メートル。構造材の腐食があります。荷重を一点にかけないでください』
「注文が多い」
膝が痛い。さっきから「あとで見る」と言い続けている膝だ。今は見るまでもなく痛い。階段ならまだいい。梯子はよくない。体重が一点にかかる。レンは呼吸を整えながら一段ずつ登った。外の砂嵐が壁を叩く。塔全体が低く震える。ヘルメットの内側で、呼吸が短くなっていく。
『軌道リング断片、落下予測まで六時間十八分。現時点では拠点直撃ではありませんが、外気取入口への衝撃波到達確率が上昇しています』
「分かった。急ぐ理由は十分だ」
補正台のある足場に着いた。
狭い。工具バッグを置くと足元の逃げ場が半分なくなる。壁には古い照準パネル。天井側には、塔の外へ伸びるレーザー基部の駆動ユニットがあった。もっと大きな砲台みたいなものを想像していたが、実際には配管と回転軸と制御箱が詰まった細い機械だった。外の高密度砂塵を測るための観測装置。兵器ではない。だから、今やろうとしていることもかなり無理がある。
レンは端末を接続した。
[WEATHER LASER CONTROL]
――――――――――
用途:砂塵粒子観測/微弱加熱
出力:低
照準補正:手動
軸調整:不安定
外部視界:砂塵妨害
応用処理:降下物姿勢補正
――――――――――
「応用処理って書くと、だいたい本来用途じゃないよな」
『本来用途外です。砂塵観測用の微弱加熱を、降下中断片の外殻加熱へ転用します。照射は三回。出力過多なら破片分裂、出力不足なら姿勢補正失敗です』
「濁す気がない説明だな」
レンは表示を切り替えた。
上空の軌道リング断片が、赤い線で示される。現在位置。降下角。回転状態。予測落下範囲。
拠点は赤い楕円の外にある。
だが、衝撃波と二次砂塵波の範囲は、外気取入口にかかっていた。外気取入口が壊れれば、せっかく復旧した生命維持が止まる。空気循環も水処理も、栽培区画も落ちる可能性がある。
逃げればいい、では済まない。
逃げた先に、戻る場所がなくなる。
「どれくらいずらせばいい」
『落下中心を東へ二百八十メートル。最低値です。第一照射で回転を遅らせ、第二照射で降下角を変え、第三照射で落下中心を確定させます』
「最低値って言葉、嫌いになってきた」
端末に補正案が出た。
[TRAJECTORY SHIFT PLAN]
――――――――――
目標:リング断片外殻の微弱加熱
効果:姿勢変化による降下角補正
必要照射:三回
許容誤差:小
危険:破片分裂/予測不能降下
――――――――――
レンは手動補正台のカバーを外した。
中には古い操作ハンドルと、二つの微調整ダイヤルがあった。電子制御は最低限。観測核が出す予測に合わせて、最後の照準だけ人間が補正する作りらしい。
人間がいる前提の設備。
しかも、その人間が今はレンしかいない。
レンはハンドルを握った。金属が冷たい。手のひらには、前話で熱を持った感覚がまだ残っている。握ると少し痛い。
『照準補助を表示します。赤が断片の加熱点、白が照準枠、右下が補正角です。情報量を抑えますが、砂塵妨害で表示遅延が出ます』
「まだ多い」
『これ以上減らすと命中率が下がります』
「じゃあ、それでいい」
視界の端に、赤い点、白い照準枠、補正角、残り時間だけが残った。
レンはハンドルを少し動かした。重い。軸が砂を噛んでいる。回転が滑らかではない。微調整しようとしても、一拍遅れて動く。ガタの操縦に似ていた。嫌な共通点だ。
「軸が遅い。潤滑できるか」
『現在位置からは困難です。機械的抵抗を前提に、早めの入力補正をしてください』
「つまり根性」
『不正確ですが、作業上は近いです』
レンはハンドルに体重をかけた。
照準枠が赤い点へ近づく。行き過ぎる。戻す。遅れて戻りすぎる。手の動きと画面の動きが噛み合わない。塔は揺れ、足場は狭く、膝は痛い。
『第一照射点まで二十秒』
レンは呼吸を止めた。止めるな、とノアが言いそうだったが、言わなかった。たぶん監視はしている。警告を出さないだけだ。
赤い点が照準枠へ近づく。
手が震える。
膝が痛い。
塔が揺れる。
『十秒』
レンは左手でハンドルを固定し、右手で微調整ダイヤルを回した。ほんの少し。まだずれる。もう少し。照準枠に赤い点が入る。
『五秒』
「まだだ」
赤い点が中央に入った。
「今!」
照射ボタンを押す。
塔の上部で、低い電圧音が鳴った。端末に細い白線が走る。
[LASER PULSE 1]
――――――――――
照射:実行
命中判定:浅い
姿勢変化:微小
破片分裂:なし
――――――――――
「浅い、か」
『必要量の六十二パーセントです。分裂はありません。次照射で補正可能です』
レンは舌打ちした。だが、分裂はしていない。一発目は生きた。
端末上でリング断片の降下角がわずかに変わる。赤い楕円が少しだけ東へ動いた。外気取入口には、まだかかっている。
『第二照射点まで一分四十秒。断片が回転しているため、次の照射面は短時間しか露出しません。今度は右方向へ大きめの補正が必要です』
「回るなって言っても無理か」
レンはハンドルを握り直した。
次の照射点は角度が違う。ハンドルを大きく右へ切る必要がある。だが右方向は重い。軸が引っかかる。手動補正台そのものが限界に近い。握った金属越しに、ざらついた抵抗が伝わってくる。
レンは足場に片足を突っ張った。
右膝を使う。
痛い。
「あとで見る」
『四回目です』
「数えるな」
ハンドルを右へ押す。動かない。さらに押す。動く。急に動く。照準枠が大きく流れた。戻す。遅い。戻りきらない。
塔が揺れた。外の砂嵐が強まる。上部の構造材が低く鳴り、足場のボルトが震える。レンは一瞬、壁へ肩を預けた。その拍子に、微調整ダイヤルへ肘が当たった。
照準がずれる。
「……最悪だ」
『補正可能です。第二照射点まで四十秒』
「言われなくてもやる」
レンはダイヤルを戻した。戻しすぎる。赤い点が照準枠の外へ逃げる。
『十五秒』
汗が目に入りそうになる。ヘルメットの内側だから拭けない。レンはまばたきして、視界を戻した。
白い枠。
赤い点。
補正角。
余計な情報は見ない。
微調整。
もう少し。
『五秒』
赤い点が枠に触れる。
まだ浅い。
「もう少し」
ハンドルを押す。軸が引っかかる。動かない。
「動け」
押す。軸が外れる。照準が入る。
「今!」
照射。
[LASER PULSE 2]
――――――――――
照射:実行
命中判定:有効
姿勢変化:発生
破片分裂:なし
落下中心:東へ移動中
――――――――――
「入った」
『有効です。落下中心が東へ移動しています。ただし、拠点外気取入口の安全範囲からはまだ外れていません。第三照射が必要です』
端末上の赤い楕円が動く。拠点の外気取入口から少し離れる。まだ足りない。
あと一回。
レンは息を吐いた。吐いた途端、膝の力が抜けかける。足場の端にブーツが当たった。下を見るな。そう思ったのに、少し見てしまった。
狭い足場。
暗い塔内。
下の端末の橙色ランプ。
落ちたら、たぶん動けない。
『第三照射点まで三分二十秒。最後の照射点は効果が大きいと推定されます。出力過多なら分裂リスクが上がります。出力不足なら姿勢補正が足りません』
「真ん中か」
『はい』
レンは笑いそうになった。
真ん中。
こういう時に一番難しい言葉だ。
強すぎず、弱すぎず、ずらす。
落とさず、割らず、壊さず、動かす。
壊れた惑星でやる作業にしては、ずいぶん繊細だった。
レンは手のひらを開閉した。痛い。熱い。痺れている。
「ノア、手の震えは補正できるか」
『表示遅延を〇・二秒増やせば、細かい震えを平均化できます。ただし、操作反応は遅れます。第三照射では有効です』
「やる」
照準表示が少し重くなった。赤い点の動きが滑らかになる。実際の動きではなく、表示処理でそう見せているだけだ。それでも、見やすい。
『三回目の照射失敗時は退避を推奨します。拠点損傷確率は高く、退避先は未確保です』
「それ、退避じゃなくて漂流だな」
『近似的には』
「近似したくないな」
レンはハンドルを握った。
最後の赤い点が近づく。
上空のリング断片は見えない。塔の中から直接空は見えない。だが、端末上ではそれが落ちている。数値として。線として。赤い点として。
遠い空から落ちる金属片を、古い塔の中で、壊れかけのハンドルでずらそうとしている。
馬鹿みたいだ。
でも、他にやる人間はいない。
『第三照射点まで三十秒』
レンはハンドルを左へ切った。
重い。
戻す。
少し。
照準枠に赤い点が近づく。
まだ高い。
ダイヤルで下げる。
下げすぎない。
『十五秒』
塔が揺れる。
今度は手を止めない。
揺れに合わせてハンドルが逃げる。レンは肩で押さえ込んだ。膝が痛む。息が詰まる。
『十秒』
赤い点が枠の端に入る。
中央ではない。
中央にするには、もう一押し。
押せば行きすぎるかもしれない。
レンは息を止めた。
ハンドルを、ほんの少しだけ押した。
軸は動かない。
もう少し。
動く。
赤い点が中央へ滑る。
『三秒』
まだ早い。
二秒。
赤い点が中央を通過しかける。
「ここだ!」
照射ボタンを押した。
塔全体の照明が、一瞬だけ落ちた。
端末が暗くなる。
次の瞬間、画面が戻る。
[LASER PULSE 3]
――――――――――
照射:実行
命中判定:有効
姿勢変化:確定
破片分裂:なし
落下中心:再計算中
――――――――――
「割れてないな」
『破片分裂なし。落下中心を再計算しています』
レンは端末を見つめた。
赤い楕円が揺れる。
拠点に近づく。
離れる。
また揺れる。
長い。
数秒なのだろう。
だが長い。
レンはハンドルを握ったまま、動けなかった。
端末の赤い楕円が、ゆっくり東へ移動した。
拠点外気取入口から外れる。
衝撃波範囲も、ぎりぎり外へ抜ける。
[DEBRIS PREDICTION UPDATE]
――――――――――
落下中心:拠点東方砂丘帯へ移動
拠点直撃:回避
外気取入口損傷:回避見込み
二次砂塵波:中リスク
推奨:帰還後、外壁吸気フィルタ点検
――――――――――
レンはその表示を二回読んだ。
外れた。
拠点から、外れた。
「……よし」
声が小さく出た。
『姿勢補正、成功です』
「今のは褒めていいぞ」
『よく成功しました』
「雑だな」
『表現調整は専門外です』
「知ってる」
レンはハンドルから手を離した。
手のひらが痛い。
膝も痛い。
肩も、背中も、たぶん全部痛い。
でも、赤い楕円は拠点から外れている。
空気が残る。
水処理も落ちない。
栽培区画も、たぶん守れる。
レンは足場に背を預け、数秒だけ目を閉じた。塔の振動はまだ続いている。外では砂嵐。上空では、リングの欠片が落ちている。
だが、落ちる場所は変わった。
端末に、新しい警告が出た。
[POST-SHIFT SIGNAL]
――――――――――
軌道リング断片:姿勢変化後、内部信号を検出
信号種別:旧文明管理系
状態:微弱
推奨:落下後、現地確認
――――――――――
「まだ生きてるのか」
『断片内部に稼働領域が残存している可能性があります。推奨は、帰還および補給後の現地確認です』
「今度は順番を守るんだな」
『学習しています』
「ほんとかよ」
レンは足場の端から下を見た。
降りるのも面倒だった。
だが、帰らないといけない。
外にはガタ。
砂嵐。
拠点までの道。
それから、落ちたリングの欠片。
次にやることが、もう決まっている。
レンは工具バッグを持ち直した。
「ノア」
『はい』
「帰ったら、膝を見る。あと手も」
『記録済みです』
「忘れてくれ」
『拒否します』
レンは少しだけ笑って、梯子に手をかけた。
拠点は守った。
でも、空から落ちたものは、まだ黙っていなかった。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。




