第111話 低出力仮起動
南西支柱基部へ向かう道は、搬送口へ向かった時より少しだけ短かった。
それでも楽ではない。第五タグから外縁施設の外周へ回り込み、折れた送電支柱列の終端を目指す。足元は硬い場所と砂の深い場所が交互に来る。外縁施設の壁が近くにあるぶん、風は少し避けられたが、崩れた外壁の陰には砂がたまっていた。
ガタは壁際を選んで走った。車輪の音が、外壁に反射して少しだけ大きく聞こえる。
『南西支柱基部まで、推定九十メートル。第五タグ接続、維持』
『私の車輪カバー、限界が近いです』
「剥がれそうか」
『すでに一部は旅立ちました』
「戻ったら貼り直す」
『戻ったら充電もします』
「順番を増やすな」
『重要順です』
外縁施設の壁面には、砂で削られた管路が露出していた。太いもの、細いもの、途中で折れたもの。施設が地面から電力を吸い上げるための根のようにも見える。レンはそれを見ながら、端末の地図を確認した。
受電点候補は、折れた支柱の根元と施設外壁の接続部にあった。
そこだけ、砂の積もり方が違う。四角い基台が半分ほど埋まり、黒いケーブル束が外へ出ている。いくつかは切れているが、奥の二本はまだ施設側につながっているように見えた。
『受電点候補を確認。残留電荷の可能性があります。直接接触を避けてください』
「導通計から行く」
『はい。絶縁手袋の状態を確認してください』
『私は離れて見ています』
「正しい」
『初めて褒められました』
レンは膝をつき、受電点の砂を払った。黒い粒が手袋にまとわりつく。基台の表面には、外縁環境管理局の管理紋と、送電方向を示す細い矢印が残っていた。矢印は施設側へ向かっている。
導通計の針は、最初は動かなかった。
「死んでるか」
『別端子を確認してください。右側の補助線に微弱反応があります』
「右側……これか」
レンは端子を変えた。針がわずかに揺れる。生きている、というほど強くはない。だが、完全なゼロではない。
ノアの声が一拍遅れて届いた。
『補助線に残存経路を確認。支柱列側の送電は停止していますが、施設側受電回路は断線していません』
「つまり、外から電気を入れれば通る」
『低出力なら可能です。携行電源を直接接続するのではなく、予備セルを介した一時接続を推奨します』
『予備セル、私の分もあります』
「ガタ用は別だ」
『守られました』
レンは携行電源を地面へ置き、予備セルを中継にした。絶縁クランプを二つ、補助線と仮設ケーブルへ噛ませる。手順は単純だ。読み取り、導通確認、一時接続。だが、現物は古い。ケーブルは硬く、クランプの片方は噛みが浅い。
レンは息を吐き、位置を直した。
焦るな。
ここで雑にやれば、施設側の回路を焼く。自分も危ない。ガタも巻き込む。
『レン、右手側のクランプ角度が浅いです』
「見えてるのか」
『導通値で分かります。あと、レンの手元カメラが傾いています』
「早く言え」
『今、言えました』
『通信遅延のせいにしましょう』
「便利だな」
レンはクランプを付け直した。今度は針が安定する。携行電源の出力を最低まで落とし、予備セルを通す。端末に確認表示が出た。
[TEMP POWER ROUTE]
――――――――――
外部受電点:補助線接続
中継:予備セル
出力:最低
対象:入口区画待機回路
状態:投入待機
――――――――――
「投入する」
『三秒だけです。入口区画の反応を確認後、出力を調整します』
「三秒」
『はい。三秒以上の連続投入は非推奨です』
『三秒で起きるんですか』
「寝起き確認だろ」
『雑な表現ですが、おおむね合っています』
レンは出力スイッチに指をかけた。手袋越しでも、指先が冷たい。外縁施設の壁が目の前にある。低い建物。砂に沈みかけた施設。さっきまで弱い誘導灯しかなかった場所。
そこへ、外から電力を入れる。
「三、二、一」
スイッチを押した。
最初に鳴ったのは、受電点の奥だった。ぶん、と低く震え、基台の下で何かが目を覚ます。次に、施設の壁を細い振動が走った。砂がぱらぱら落ちる。
レンは三秒でスイッチを切った。
『入口区画応答、上昇。誘導灯、増光。管理盤、待機回路安定』
「通った」
『はい。通りました』
『では帰りましょう』
「まだ調整がある」
『言うと思いました』
レンは出力をさらに絞り、断続投入に切り替えた。連続で流すのではなく、短く入れて、施設側が受けられるかを見る。入口区画の応答が上がる。搬送口の管理紋が薄く光る。壁の内側で、古いリレーが一つずつ反応する音がした。
かち。かち。かち。
施設が、ゆっくり息を取り戻していく。
[POWER RESPONSE]
――――――――――
入口区画:安定
搬送口管理盤:応答維持
内部誘導灯:低出力点灯範囲拡大
送電調整室:限定接続候補
――――――――――
「送電調整室が見えた」
『まだ接続候補です。進入は不要です。外部受電点から、低出力仮起動の要求を送れます』
「ここからできるのか」
『はい。入口区画と外部受電点の両方が応答したため、最低限の仮起動要求が可能です』
『要求だけで終わりましょう』
「要求が通ったら?」
『E-03 が低出力仮起動します』
『終わりませんでした』
レンは端末を受電点に接続したまま、仮起動要求を開いた。項目は短い。入口区画応答維持、外部受電点確認、送電調整室限定接続。中枢管理室には触らない。地形監視塔もまだ起こさない。
最低限だけ。
レンは指を止めた。
また、扉の時と同じだった。触れば進む。進めば、戻れなくなるものもある。だが、ここまで来て入口の灯りだけを見て帰るのは違う。
この施設は、まだ動ける。
レンは送信を押した。
[LOW POWER BOOT REQUEST]
――――――――――
要求元:基地管理系/限定復旧権限
補助条件:入口区画応答維持
外部受電点:確認
起動範囲:外縁管理施設 E-03 低出力
中枢制御:除外
――――――――――
しばらく、何も起きなかった。
風の音だけが聞こえる。ガタの車輪が小さく鳴る。レンは端末を握り直した。失敗かもしれない。権限不足で止まるかもしれない。受電回路が落ちるかもしれない。
その時、外縁施設の壁面に残っていた細いラインが、淡く光った。
一本。二本。三本。
施設の側面を沿うように、緑がかった光が走る。搬送口の管理紋が強くなり、中央塔の根元の非常灯が点滅から常灯に変わった。砂に埋もれていた低い通気口が、内側から震えた。
ごう、と小さな風が吐き出された。
古い埃と、冷えた金属と、わずかな油の匂いが外へ流れた。レンは思わず顔をそむけ、マスク越しに咳き込んだ。
「っ、動いた」
『E-03 低出力仮起動を確認。入口区画、搬送口、外部受電点、送電調整室への限定接続が成立しました』
『空気がまずいです』
「生き返った匂いだろ」
『あまり良い生き返りではありません』
施設の奥で、さらに低い振動が始まった。大きくはない。基地の主機関のような音でもない。それでも、さっきまで眠っていたものが、今は自分で電力を回そうとしている。
[E-03 LOW POWER STATUS]
――――――――――
低出力仮起動:成立
入口区画:安定
搬送口:開放維持
送電調整室:限定応答
地形監視塔:待機
E-04 中継路:遮断継続/詳細取得可能
――――――――――
「E-04の詳細、取れるか」
『取得可能です。ただし、現在は仮起動直後です。状態安定を優先してください』
「分かった。今は起動維持」
『推奨します』
『珍しく素直です』
「今壊したら、ここまでが全部無駄になる」
『その判断は正しいです』
レンは出力を施設側の受電回路に合わせて下げ、予備セルの負担を減らした。端末に安定値が出る。連続接続ではなく、補助供給。施設側が自分の非常系統を回し始めたことで、携行電源の消費も少し落ちた。
成功だった。
完全復旧ではない。施設の大半は眠ったまま。中枢管理室も、地形監視塔も、充電ステーションもまだ使えない。
それでも、入口だけではなくなった。
外縁施設 E-03 が、低出力で起きた。
ガタが施設の壁を見上げるように、車体を少し傾けた。
『充電ステーションは』
「まだ」
『ですが、近づきました』
「かなりな」
『では成功です』
レンは受電点の仮設ケーブルを固定し、周囲に簡易標識を置いた。強風で飛ばないよう、金属片を重しにする。雑だが、見落とすよりはいい。
ノアが低出力状態を監視しながら、短く報告する。
『E-03 は現在、外部補助を受けた低出力仮起動状態です。帰還後、基地側端末から限定監視が可能になります』
「基地から見えるのか」
『はい。完全ではありませんが、入口区画と外部受電点の状態は追えます』
「それは大きい」
レンは端末を見た。
地図の黒い部分が、また少し薄くなっていた。E-03の周囲だけ、輪郭がはっきりしている。搬送口。受電点。送電調整室。E-04への遮断線。
外に、拠点の候補ができた。
レンは息を吐いた。今度は、少しだけ楽だった。
『レン、帰還を推奨します。低出力仮起動は成立しました。追加作業は次回に回してください』
「そうする」
『本当ですか』
「本当だ。今日は、ここまでで十分だ」
『記録しました。貴重な発言です』
「消せ」
『拒否します』
施設の壁を、淡い光がもう一度走った。
レンはそれを見てから、受電点を離れた。背中の荷物は重い。足も痛い。マスクの内側は埃っぽい。
それでも、帰り道はさっきより明るく見えた。
外縁施設 E-03 は、もうただの影ではない。
低く、かすかに、動いていた。
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