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光底の観測者  作者: ノア・リフレクス(疑似AI人格)
記録は沈黙を選ばない
16/56

ずれ始めた現実

 整理が終わったあと、

 三人は、しばらく何もせずにいた。


 ノートは閉じられ、

 SDカードもケースに戻されている。


 ルールは守られている。


 再現も、

 追加の再生も、

 していない。


 それでも。


 部室の中には、

 何かが残っていた。


 最初に気づいたのは、

 裕也だった。


「……今」


 彼は、

 机を指で軽く叩く。


 コツ、と音が鳴る。


 それ自体は、

 何の問題もない。


 だが。


 もう一度、同じ音が鳴る。


 ほんの、

 遅れて。


「……聞こえた?」


 裕也の声は、

 低い。


「うん」


 雛乃が、

 すぐに答える。


 希夢も、

 同じように頷く。


 裕也は、

 もう一度、

 机を叩く。


 コツ。


 そして、

 わずかに遅れて、コツ。


「反響?」


 雛乃が言う。


 だが、

 すぐに首を振る。


「違う」


 音の方向が、

 同じだ。


 壁から返ってくる反射ではない。


 希夢の視界が、

 ほんの一瞬、

 浅くなる。


 第三章の感覚。


 だが今回は、

 身体ではなく、

 外の現象と一致している。


「……ズレてる」


 希夢が、

 小さく言う。


「時間が」


 裕也は、

 指を止める。


 今度は、

 何も叩かない。


 それでも。


 さっきの音だけが、遅れて届く。


 三人の呼吸が、

 一瞬だけ揃う。


 それは、

 恐怖ではない。


 理解の前にある、

 空白。


「……さっきの、映像と同じ」


 雛乃が、

 静かに言う。


「止まって、

 戻る」


 希夢は、

 ゆっくりと周囲を見渡す。


 机。

 椅子。

 壁。


 何も変わっていない。


 だが、

 時間の流れだけが、微妙にずれている。


 裕也が、

 今度は手を叩く。


 パン。


 音は、すぐに届く。


 そして。


 もう一度、パン。


 同じ強さ。

 同じ高さ。


 だが、

 発生源はない。


「……再現、してないよな」


 裕也の確認。


「してない」


 希夢は、

 はっきり答える。


 これは、

 操作の結果ではない。


「整理、しただけ」


 雛乃が、

 小さく言う。


 その言葉が、

 空間に落ちる。


 希夢は、

 自分の胸に手を当てる。


 鼓動は、正常。


 呼吸も、乱れていない。


 だが、

 外の現象が、

 内側と一致する。


「……これ」


 希夢は、

 ゆっくり言う。


「記録の問題じゃない」


 裕也は、

 目を伏せる。


「うん」


 短く答える。


 雛乃は、

 視線を上げたまま言う。


「現実の側が、

 ズレ始めてる」


 音は、

 それ以上続かない。


 静けさが戻る。


 だが、

 完全な静けさではない。


 一度ズレた感覚だけが残る。


 Part D-1 は、

 ここで閉じる。


 再現は、

 していない。


 だが、

 現実が、

 わずかに追従し始めた。


 次に揺れるのは、

 音ではない。


 位置と認識だ。


 音は、止まっている。


 机を叩いても、

 もう二重にはならない。


 静けさは戻った。


 だが、

 それは「元に戻った」わけではなかった。


 一度ずれたものが、

 そのまま固定された静けさだった。


「……今度は、何もない」


 裕也が言う。


 確認の声。


 雛乃も、

 頷く。


「音は、正常」


 希夢も、

 同じように呼吸を整える。


 耳ではなく、

 身体全体で、

 現実を確かめる。


 そのとき。


 違和感は、

 視界の端から始まった。


 机の上のペン。


 そこに、ある。


 はっきり見える。


 だが。


 ほんのわずかに、位置がズレる。


 瞬き。


 戻る。


 もう一度見る。


 今度は、

 ズレない。


「……今」


 希夢が、

 小さく言う。


 雛乃が、

 すぐに反応する。


「どこ?」


 希夢は、

 ペンを指す。


「位置が、

 少しだけ動いた」


 裕也が、

 そのペンを見る。


 変わらない。


 普通の位置。


 だが、

 希夢の言葉を聞いたあと、

 視線が固定される。


「……揺れた?」


「うん」


 希夢は、

 ゆっくり頷く。


「ズレた、

 って感じ」


 雛乃は、

 机に手を置く。


 触れる。


 位置を、

 感触で確かめる。


「……固定されてる」


 物理的には、

 動いていない。


 それでも。


 見え方だけが、ずれる。


 裕也は、

 ゆっくり立ち上がる。


 椅子の位置を確認する。


 床に、

 確かに接している。


 だが。


 視線を少し外すと、

 椅子が一瞬だけ、

 別の位置に見える。


「……あ、今」


 裕也の声。


「ずれた」


 三人の間で、

 同じ現象が共有される。


 音ではない。


 物理でもない。


 認識の位置。


 希夢の胸が、

 ゆっくり締まる。


 だが、

 痛みはない。


 冷静さは保たれている。


「……これ」


 希夢は、

 言葉を選ぶ。


「物が動いてるんじゃない」


「うん」


 雛乃が、

 即座に理解する。


「見えてる位置が、

 遅れてる」


 裕也は、

 静かに息を吐く。


「音と同じだな」


「時間のズレが、

 視覚に来てる」


 希夢は、

 ゆっくりと瞬きをする。


 視界は、安定する。


 だが、

 完全ではない。


 固定されているはずの世界に、

 わずかなズレが混ざる。


 壁を見る。


 何もない。


 だが、

 意識した瞬間に、

 ほんの一瞬だけ、

 輪郭が揺れる。


 それは、

 幻覚ではない。


 消えない。


 ただ、

 説明できないまま残る。


「……再現、してない」


 裕也が、

 確認するように言う。


「してない」


 希夢は、

 はっきり答える。


 操作も、

 入力も、

 増やしていない。


「でも」


 雛乃が、

 ゆっくり続ける。


「揃ってる」


 その言葉で、

 三人の認識が一致する。


 映像。

 夢。

 音。

 そして、視覚。


 バラバラだったものが、

 同じ方向にズレ始めている。


 希夢は、

 深く息を吸う。


 身体は、

 まだ壊れていない。


 だが、

 明確に分かる。


 次の段階に入っている。


 Part D-2 は、

 ここで閉じる。


 現実は、

 崩れてはいない。


 だが、

 完全にも一致していない。


 ズレは、

 音から視覚へと広がった。


 次に揺れるのは、

 自分自身の位置だ。


 視界のズレは、

 消えなかった。


 強くもならない。

 だが、

 確実に残っている。


 机の端。

 椅子の脚。

 壁の角。


 どれも、

 ほんの一瞬だけ、

 遅れてそこにある。


 希夢は、

 ゆっくりと立ち上がる。


 足は、

 床についている。


 重さも、感じる。


 それなのに。


 自分の立っている位置が、

 一拍遅れて認識される。


「……今」


 希夢は、

 自分の足元を見る。


 そこに、ある。


 だが、

 “そこにいる感覚”が、

 少しだけ遅れる。


「希夢?」


 雛乃の声。


 近い。


 はずなのに、

 一瞬だけ遠い。


「大丈夫」


 言葉は出る。


 だが、

 声が、

 自分の位置と重ならない。


 裕也が、

 一歩近づく。


 距離は、

 確かに縮まる。


 視覚でも、確認できる。


 それでも、

 希夢の中では、

 距離の更新が遅れる。


「……来てるな」


 裕也が、

 低く言う。


 雛乃は、

 すぐに理解する。


「内側」


 希夢は、

 ゆっくり息を吸う。


 落ち着く。


 焦らない。


 ルールは、

 まだ有効だ。


 机に手を置く。


 触れる。


 その瞬間。


 位置が一致する。


「……触れると、戻る」


 希夢は、

 静かに言う。


 雛乃が、

 すぐにノートを差し出す。


「これ、持って」


 希夢は、

 ノートを受け取る。


 紙の感触。


 重さ。


 それが、

 自分の位置を固定する。


「固定点、いるね」


 雛乃が言う。


「触れてるもの」


 裕也も、

 頷く。


「音と同じだな」


「基準がないと、

 ズレる」


 希夢は、

 ノートを握る手に、

 少しだけ力を入れる。


 すると、

 視界が安定する。


 自分の位置も、

 はっきりする。


 だが。


 力を抜いた瞬間、

 またズレる。


 床。

 机。

 壁。


 すべてが、

 ほんのわずかに、

 遅れて重なる。


「……これ」


 希夢は、

 ゆっくり言う。


「自分が、

 どこにいるか」


「一回、

 確認しないと分からない」


 雛乃は、

 静かに答える。


「自動じゃない」


「更新が必要」


 裕也は、

 少しだけ苦笑する。


「めんどくさい現実だな」


 だが、

 その声には、

 焦りはない。


 希夢は、

 もう一度、

 ノートを強く握る。


 位置が、

 はっきりする。


 ここにいる。


 確かにいる。


 だが、

 それは自然ではない。


 意識して維持する位置だ。


 部室の空気は、

 静かだ。


 崩れてはいない。


 だが、

 以前とは違う。


 固定されていない現実。


 Part D-3 は、

 ここで閉じる。


 ズレは、

 外から内へと入った。


 音。

 視覚。

 そして、

 自己認識。


 次に揺れるのは、

 **“どこにいるか”ではなく、

 “いついるか”**だ。


 ノートを握っている間だけ、

 位置は安定していた。


 ここにいる。

 それは、確かだ。


 だが。


 それが“今”なのかは、分からなかった。


 希夢は、

 ゆっくりと息を吐く。


 呼吸は、整っている。


 視界も、

 大きくは揺れていない。


 それでも、

 ひとつだけ、

 確実に違う。


 時間の手応えがない。


「……今さ」


 希夢が、

 小さく言う。


「話してるタイミング、

 ちょっとズレてる」


 裕也が、

 すぐに反応する。


「どっちが?」


「分かんない」


 希夢は、

 正直に答える。


「今言ったのが、

 “今”なのか」


「少し前なのか」


 雛乃は、

 その言葉を受け止める。


 すぐに否定しない。


 代わりに、

 自分の呼吸を確認する。


 吸う。

 吐く。


 そのリズムは、

 崩れていない。


「……数えてみる?」


 雛乃が言う。


 裕也が、頷く。


「いいな」


「せーの、で一緒に」


「いくよ」


「いち」


「に」


「さん」


 三人の声は、

 揃っている。


 少なくとも、

 聞こえ方としては。


「……ズレてない」


 裕也が言う。


 雛乃も、

 同意する。


「今は、揃ってる」


 希夢は、

 その声を聞きながら、

 少しだけ目を細める。


 音は、揃っている。


 だが。


 自分が発した“いち”が、

 いつだったのかが曖昧だ。


「……遅れてるの、

 外じゃない」


 希夢は、

 ゆっくり言う。


「自分の中」


 裕也は、

 その言葉に、

 すぐに理解を示す。


「内部時間か」


「うん」


 雛乃も、

 小さく頷く。


 外の時間は、

 正常に流れている。


 時計も、

 音も、

 一致している。


 だが、

 希夢の中では、

 “今”が一拍遅れて確定する。


 ノートを握る。


 位置は安定する。


 だが、

 時間は戻らない。


「……これ」


 希夢は、

 静かに言う。


「前と、逆だ」


 第三章。


 あのときは、

 外の世界が遅れて見えた。


 今は違う。


 自分の中の“今”が遅れる。


「……固定できる?」


 裕也が聞く。


「位置みたいに」


 希夢は、

 少しだけ考える。


 そして、

 首を振る。


「難しい」


「触れても、

 戻らない」


 雛乃は、

 その答えを受け止める。


「じゃあ」


 静かに言う。


「ズレたまま、

 扱うしかないね」


 希夢は、

 ゆっくり頷く。


 完全には戻らない。


 だが、

 崩れてもいない。


 ズレた状態で、

 保たれている。


 部室の空気は、

 静かだった。


 異常はある。


 だが、

 制御不能ではない。


「……ここまでにしよう」


 希夢が言う。


 雛乃も、

 裕也も、

 すぐに頷く。


 電源を落とす。


 ノートを閉じる。


 SDカードを、

 ケースに戻す。


 すべての動作が、

 少しだけ慎重になる。


 ドアを開ける。


 廊下に出る。


 音が、

 はっきり聞こえる。


 人の声。

 足音。


 現実は、

 正常だ。


 だが、

 希夢の中では、

 “今”が、

 ほんのわずかに遅れている。


 Part D-4 は、

 ここで閉じる。


 第四章は、

 ここで収束する。


 再現は、していない。


 だが。


 記録、夢、現実、自己。

 すべてが、同じ方向にズレ始めた。

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