第5話
ーーーカチリ。
火縄が火皿に落ちる。
しかし、ガストンの銃から轟音が響くことはなかった。
不発だ。粗悪な黒い粉が、湿った秋の空気に負けて煙を上げただけだった。
だが、ガストンの周囲に並ぶ数十の筒からは、容赦なく最後の斉射が放たれた。
ひときわ激しい金属音が響き、アルベリックのすぐ隣にいた副官の胸当てが、ひしゃげて弾け飛んだ。
副官は叫ぶ間もなく馬から転落し、泥の中に沈んで二度と動かなくなった。
「……ああ、あああ……!」
アルベリックの喉から、言葉にならない悲鳴が漏れる。
彼の愛馬もまた、脚に弾丸を受け、激しい地鳴りを立てて横倒しに崩れ落ちた。
白銀の甲冑が、泥濘の中に叩きつけられる。
その衝撃で、アルベリックの身体から、騎士としての最後の力が完全に抜け落ちた。
重い甲冑のせいで、泥の中から一人で立ち上がることすらできない。
もがけばもがくほど、美しかったはずの白銀の板金は、黒い泥に塗れて汚れていく。
バイザーの隙間から見上げる空は、無数の銃口から吐き出された硝煙で、どんよりと灰色に曇っていた。
戦いは、終わった。
わずか1時間にも満たない、一方的な虐殺だった。
平原を埋め尽くしたのは、勝鬨の声ではない。
ただ、二千人の平民たちが、一斉に深く息を吐き出す、安堵の混じった地鳴りのようなざわめきだった。
「終わった……のか?」
隣の少年が、煤で真っ黒になった顔で、呆然と呟いた。
その手にある鉄の筒からは、まだ細い白煙が、命の終わりのように揺らめきながら立ち上っている。
ガストンは、何も言わずに銃を下ろした。
右肩は反動で激しく腫れ上がり、感覚がなくなっている。
だが、彼の中に勝利の昂ぶりは微塵もなかった。
あるのは、ただ「作業を終えた」という、畑仕事のあとのような奇妙な疲弊感だけだった。
「おい、動く奴は片端から突け。旦那方の身ぐるみを剥ぐぞ」
傭兵上がりの隊長が、冷淡な声で命令を下し始める。
平民の兵士たちが、クワや鎌に持ち替え、泥の中に転がる騎士たちの死体へと歩み寄っていく。
かつて彼らが、道端で出会えば地面に額を擦り付けて平伏していた、雲の上の支配者たち。
その高価な鎧を剥ぎ取り、懐の金目のものを漁る彼らの目に、かつての畏怖はもうなかった。
ただの、肉。
ただの、自分たちと同じように、鉛の玉が当たればあっけなく死ぬ、脆い人間。
その事実を、彼らは知ってしまったのだ。
泥の中に横たわるアルベリックの前に、一人の平民が立ち止まった。
ガストンだった。
アルベリックは泥まみれの顔を上げ、バイザーの奥から、ガストンを激しく睨みつけた。
その目には、敗北の悔しさよりも、己の信じた世界を汚されたことへの、深い拒絶と憎悪が宿っていた。
「……殺せ」
アルベリックは、掠れた声で言った。
「農奴の分際で、誇り高き騎士を騙し討ちにしおって……。神の秩序を乱した罰は、必ずお前たちに下る。私を殺すがいい」
ガストンは、その言葉を静かに見下ろしていた。
その目には、怒りも、嘲りも、憐れみすらなかった。
「……神の秩序なんてものは、最初からなかったんだと思います」
ガストンは、低く、冷めた声で言った。
「俺たちは、馬の乗り方も、剣の使い方も知りません。でも、この筒の使い方は、三週間で覚えました。
あんたたちが一生をかけて磨いたっていうその『誇り』は、俺たちの三週間に負けたんです。それだけの話です」
ガストンは、それ以上アルベリックに言葉をかけることはなく、背を向けて歩き出した。
彼にとって、目の前の高貴な騎士は、もう恐れるべき対象ではなかった。
ただの、過去の遺物。
これからの時代には、もう居場所のない哀れな敗北者。
アルベリックは、去りゆくガストンの背中を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
彼の耳に、遠くから新たな足音が聞こえてくる。
それは、ルアール軍の次陣が、大量の「鉄の筒」を荷車に載せて進軍してくる音だった。
ガシャン、ガシャン、と不骨な鉄の音が、盆地に不気味に響き渡る。
それは、数百年続いた華やかな騎士の時代の終わりを告げる葬送曲であり、
同時に、数週間の訓練を受けただけの凡庸な人間たちが、戦場を、そして世界を蹂躙していく「新時代」の幕開けを告げる、容赦のない足音だった。




