21. 気持ちを勝手に解釈するのは良くない。
核を体に戻した後、突然の眠りについたガヴェルは二日後、すっきりとした顔で目を覚ました。
それでもまだ安静にしているべきだと、ベッドに腰かけたままのガヴェルの周りに集まる。集まったのは、ニコラス、フレーシャと私の三人だ。
あの日の出来事はガヴェルがぐーすか寝ている間に、きちんとニコラスにも報告してある。ドン爺の顛末も含めて。
彼は幽霊のような顔からさらに生気を失くし、ひと言「すまなかった」と私に謝った。そしてガヴェルが目を覚めてから、彼にも謝罪をした。
王族がこうもあっさり謝ってもいいのかとも思う一方、ニコラスの誠実な態度にはクソ魔王よりもよほど誠意を感じた。
「魔王はすでにここから去りました。サリーやガヴェルに害が及ぶことはないでしょう。もちろん、フレーシャ様にも」
そうなんだ。全く気付いていなかった。
ガヴェルをこの部屋に送り届けて以降、魔王の姿を見ていなかったけど興味ないし気にもしていなかった。
「あいつは、結局一体何がしたかったんだ?」
腕を組み、子供に似合わないしかめ面をしたフレーシャが呟く。
私はあの場での魔王の行動を思い出し、想像できる理由に顔を顰めつつ、それを口にする。
「もしかしたら、ガヴェルやフレーシャを助けたかったのかも?」
「は?」
「んー、僕もそう思う」
ベッドに横たわり、私の手を楽しそうにニギニギと揉みながらガヴェルも同意する。
そんな甘えた話し方をしてももう騙されない。
あの場でガヴェルは明らかに何事か私の知らないことを悟っていたし、幼さの欠片もない大人の表情を浮かべていた。
一体いつから、馬鹿ガヴェルを演じていたのか。
今はまだ弱っているから手をつなぐのも、触るのも許してあげる。
でも回復したら、絶対に近づかせてなんかやるものか。
口を二つに折ったパスタみたいにまげて、キッと鋭くガヴェルを睨む。
眉をへしょんっとさせて同情を誘う犬みたいな顔をしても、信じてやらないんだから。
「サリー……」
鼻をキュンキュンさせる犬みたいに甘えた声を出しても、知らない。
「んで? どういう意味だ? 助けるとは?」
「あ、うん、えっと、多分、魔王はドン爺……ホードンが何かを企んでフレーシャやガヴェルのそばにいたのに気づいて、それを阻止するために来たんじゃないかなって」
呆れた目をしたフレーシャに向け、早口で浮かんだ考えを説明する。
その私の言葉に同意し、ガヴェルも彼の考えを述べた。
「魔力の研究をするって結果的には魔人の研究だよね。魔人に対して非道的な実験とかをしようとしていたのかもしれない。でもボードンには魔人を捉えるような力もない。だから半端ものだった僕や、力を失いつつあるフレーシャに目を付けてたんだと思う」
ガヴェルが、長い文章を喋った。
しかも、とても説得力のあるまともな推察を、淀みない口調で。
これが、本当のガヴェルの姿? 今までのガヴェルは?
「サリー、お願いだから、そんな目で見ないでくれるかなぁ」
「知らない」
「うううう、サリーが冷たいよう」
情けない声を出すな、馬鹿犬。違う、もうガヴェルは馬鹿でも犬でもない。
だったらなんで私と手をつなぐのか。やわやわと私の手を包むその力は強くもなく、私が引っこ抜こうと思えばできるくらいで。
なんで、私に判断をゆだねるようなそんなことを。
悔しい。ぐちゃぐちゃだ。
ガヴェルが死にかけてから、ずっと頭の中がひっくり返ったクソ姉の宝石箱みたいにぐちゃぐちゃしてる。
その中に大切な何かがあるはずなのに、見つからない。
「とりあえずなんとなくだが分かった……お前たちはゆっくり話し合ってから休め。私はローザンヌのところに行く」
「うん、じゃあねー」
フレーシャは私とガヴェルの顔を交互に見て、ゆっくりと椅子から立ち上がりながら告げた。
「え、ちょっと、フレーシャ」
「では、私も失礼する」
「ニコも、ばいばーい」
いつも一緒のベッドで寝ていたのに、フレーシャは手をひらりと振って部屋から出て行ってしまった。
彼女の従者のように付き従うニコラスもそそくさと扉の向こうに消える。
ガヴェルと二人、残された私は気まずさに顔をガヴェルから背けた。
「サリー、ねえ、こっち向いてよ、サリー」
「話なら、顔を見なくても、きゃあ!」
突然腕を引っ張られ、起き上がったガヴェルのお腹の上に座らされる。
ガヴェルの赤い両目が私を下から覗き込んで笑みを作る。
「見ないならこうするよ?」
「もう、してるじゃない! 傷! 傷が開いちゃう!」
「大丈夫だよ。ふさがったのを、サリーも見たでしょう?」
見た。核を戻してすぐに、傷は跡形もなくふさがった。
でも、腹に大穴が開いていたんだから、安静にしているべきじゃないの。
「サリーも、ここ、怪我してる」
「あ」
地面に倒れこんだ時、手のひらから肘にかけて擦り傷ができてしまった。
深くもないし薄いかさぶたができているだけで血も出ていないけれど、広範囲で石や砂でこすったせいでピリピリと痛い。
私の腕を取ったガヴェルが、傷に触れないようにそっと肌を親指で撫でた。
くすぐったさに身じろいだ時、かすれて消えそうな声が耳に届く。
「ごめんね」
「え?」
「あの時、僕がサリーを押したから」
ガヴェルに言われて、あの場面が一瞬で蘇る。
フレーシャが倒れて驚いた直後、私の体は後方に押しやられた。そして顔を上げたら――ガヴェルの前に魔王が立っていた。
ガヴェルが、私を自分から遠ざけたのだ。迫る魔王の手から。
「私を、守ろうとしてくれたんでしょ。だったら謝らなくていい」
「守れてない。こんな怪我させちゃった」
「馬鹿。そんなことより、自分を守りなさいよ。こんな傷より、体の中から核をとられるなんて、そっちの方が」
「サリーが傷つくことの方が、僕は嫌だ」
落ち込んだ声でそう告げたガヴェルに、何と言ったら励ましになるのか言葉を探す。
ガヴェルは眉をしょぼんと下げたまま、徐に私の腕へと顔を近づける。
傷口に伸ばされた舌を見て、私は慌ててもう片方の手で勢いよくガヴェルの後頭部をぶっ叩いた。
「ば、馬鹿!」
「むぎゃ!?」
「な、なにを」
「え? 舐めたら治るかなって」
「馬鹿!」
ぺろりと舌を出してガヴェルがあっけらかんと言う。馬鹿か、こいつは。
ちょっとましになったと思ったのに、馬鹿だ。傷を舐めれば治るだなんて、野生の動物か、馬鹿犬。
ガヴェルから取り戻した自分の腕を守りつつ、バクバクと暴れる心臓をなだめる。
こんな傷、農作業とか、屋敷の手入れしてたらしょっちゅうなのに。
深窓の令嬢じゃあるまいし、こんなの気にするほどの傷じゃない。
「ごめんね」
「謝らないでいいって」
「そうじゃなくって……心配させて」
「……別に、勝手に私が心配してるだけだし」
捻くれた言葉しか出ない自分が嫌になる。グルグルの巻き毛と同じくらいひん曲がって、手に負えない性格。
ずっとクソ姉のせいにしてきたけど、私自身がクソな性根をしている。
本当に、救いようがない。
「僕、サリーが心配してくれて嬉しいな」
「心配、させないで」
「うん。今度魔王が来たらぶっ倒すね」
「それとこれとは関係ないけど、ぶっ倒すのは止めない」
んふふっと笑ってガヴェルが両腕を伸ばしてくる。
それにあっけなく誘われて、私はガヴェルの胸元に頬を寄せた。
服越しに馴染んだ温もりが伝わってくる。もぞりと動いて耳を心臓があるべき場所に寄せる。
ゆっくりと刻まれる音に安堵して、ほうっと長く息を吐いて全身から力を抜いた。
私の体を囲うガヴェルが、私のクルクルにねじ曲がったくせっ毛を指に巻き付けて遊び始めた。くすぐったいけど、悪い気はしない。
「心臓、動いてる。核とは違うの?」
「人間としての機能は心臓が必要だから。魔力は核が繋ぎとめてる」
「そう……ガヴェル、そんなまともな話し方できるようになったのはいつ?」
「え!?」
「声、大きい」
「ごめん」
全身を跳ねさせて大声を上げたガヴェルに文句を言う。
至近距離でその声量は耳が痛いじゃない。
ガヴェルは「うううう」となぜか唸り声をあげた後、ぽつりと「怒らない?」と聞いてきた。
これは怒られるのが分かっている時の台詞だ。
「聞いてから怒るかどうか決める」
「サリー、酷い」
「いいから、話して」
せっつくように二の腕の下側の皮膚を引っ張ると、小さく「いててて」とガヴェルが悶える。
全身筋肉男には下手に力で対抗するよりも、地味な攻撃のほうが効くと学んだ。
ガヴェル以外に使える場所がないのがとても残念。
「僕ね、なんとなく、魔力の中に残った魔人さんの考えが分かるんだ」
これまで通りの、どこか幼い口調でガヴェルは話し始めた。
核が成長するにつれ、魔力を自分の体に取り込む時、なんとなく魔力から魔人の考えが分かるようになった。
それは単なる呟きや感情のようであったり、時には魔人の持った知識の羅列だったりと様々。
一方的に与えられる情報に当初ガヴェルは戸惑っていたけれど、徐々にそれらを元に自分で考えられるようになった。
「たくさん先生ができた感じ? 僕の質問には答えてくれないけど」
「自分勝手な魔人らしいわね」
「ふふふっ、そうだねぇ」
ガヴェルは小さく笑い、髪に鼻を埋めてくんくんと嗅いでまた「んふふ」と笑う。馬鹿犬か。馬鹿犬だ。
私は怒るべきなのか。
ガヴェルはいつの間にか成長していて、十八歳という年齢にふさわしい知能を得ている。
老成した魔人たちの知識が集まったなら、それよりも幅広い知識を持っているだろう。
総合して判断すると、いいことなのだ。なのに、ちょっとイラっとかしちゃうのはなんでなのか。
「……怒った?」
おずおずと怒られるかなといった様子のガヴェル。
ぷにっと皮膚を引っ張ると「んひゃ」っと変な声を上げた。
「怒らない。けどちょっとむかつく」
「ええええ。僕、どうしたらいい?」
「……その喋り方はそのまま?」
「んー、たぶん。頭は良くなった感じがするけど、僕は僕だから」
「そう。なら、いい」
ガヴェルがガヴェルであるのなら、それでいい。
私は、それに納得できれば、もうこだわることはない。
でもちょっとだけ、いたずら心で黙っていたことに仕返しさせてもらおう。
「それじゃ、べったり一緒にいなくてもいいってことね」
「え、やだ!」
ガヴェルはやだやだやだと頭をぐりぐりとこすりつけてくる。
痛い。圧が強い。でも必死な様子が馬鹿犬のままで安心する。
私は、このままのガヴェルが好きなのだ。
……好き、なのかな?
「趣味が悪い、私」
「ん? どうしたの?」
少しだけ体を離して、ガヴェルが私の顔を覗き込んでくる。
サラリとした赤銅色の髪と、深いホットワインみたいな赤。温かみのある色。
指先で目元のほくろを撫でると、ガヴェルは「んふん」とご機嫌な犬みたいな声を上げて私の手のひらに頬を押し付けてくる。
「ガヴェルは……」
言いかけてやめた私に、ガヴェルは一度ぱちりと瞬きをして首を傾げる。
ゆらりと揺れるワインのような、心を落ち着かせる瞳が私に言葉の先を促す。
ほろ酔いになったみたいに、いつも捻くれた私の口から、ぽろりと本音が漏れた。
「ガヴェルは、私の事が好きなの?」
ガヴェルの瞳から、温度が消えた。




