20. 出したら戻す。
私の手に重なったガヴェルの手が微かに震える。
私は魔王を見上げていた首を緩慢に動かし、すぐそばにあるガヴェルの顔へと焦点を当てた。
ガヴェルは、情けない雨に濡れた犬みたいな緩い笑みを浮かべていた。
「サリー、大丈夫。僕の核は、サリーに悪さはしないよ」
「悪さ……」
ホードンをあんな風にして……殺した核に対して、その表現はどうなのか。
あんたの核は庭で遊びまわるためのボールでもなければ、噛み過ぎてボロボロになったお父様の革靴でもない。両方とも、ちょっとばかり触るのは、ためらわれるけど。
あまり助けにならないガヴェルの励ましを受け、私は膝立ちになり、両手を魔王に向かって伸ばす。
「こっちに、渡して」
「いいのか? サリー」
「そいつにガヴェルの核を持っていさせたくない。ガヴェルのものは、返してもらう」
肩越しに振りかえって尋ねたフレーシャに向かって言い切る。
そう、あれはガヴェルの命だ。
とっとと返しやがれ、クソ魔王。
「気が強いだけでは生きていけないぞ、魔女」
「尻尾巻いて逃げて後悔するよりマシ」
さっさとしろと睨みつけた私を睥睨し、魔王は右手から私の手のひらの上にぞんざいに核を落とした。
ホードンを苦しめ、壮絶な死をもたらしたはずの核。
どうやってホードンの死体からこれを回収したのかは見えなかった。
表面をトロリとしたものが覆っていることから目をそらしたい。
そう思いつつ、手のひらに伝わるであろう生温かい感触を覚悟した。
だが、落とされた核は、私の手に触れる直前でコロンと転がった。
「……え?」
思わず、両手の間でコロコロとその塊を転がす。
複雑に表面をカットされた宝石のような形。
だけど手のひらにあたる感触はとても滑らかで、何の引っ掛かりもない
「ほう、なるほどな」
「そうなったか。これは想定外だった」
魔人二人が興味深そうに私の手を覗き込み、それぞれ感想を呟く。
おい、コラ。この変化を想像していなかったっていうのか、クソ魔王。
「サリー、サリー?」
「あ、ごめん。これ、ガヴェルの核だって。石みたいになっちゃった」
親指と中指で、私の握り拳よりも小さな石を摘まんでみせる。
掲げてみて、それがガヴェルの瞳の色のような深いワイン色をしていることに気づいた。
「……綺麗」
「へへー、ありがとう」
こぼれ出た言葉に、ガヴェルが照れくさそうに礼を言う。
褒めたつもりは……確かに誉め言葉だったけど、対象がガヴェルの核で、心臓のようなものだと思うととてつもなく微妙だ。
心臓を綺麗と褒める女……怖すぎるでしょ。
んんっと喉を払い、地面に腰を下ろしてガヴェルの体に向き直る。
それと同時にガヴェルは自分の手を腹からどけた。破れた服の周囲にはわずかな血がついているだけで、想像よりも悲惨な状態ではない。内臓が、えぐれて見えているとかもない。
知らず、一つ息を吐く。
今からガヴェルの体にこの核を戻さなくてはいけない。
「どうすればいい?」
視線をガヴェルの腹部に落としたまま、私は魔王に尋ねる。
核を無理矢理引きずり出したのはクソ魔王だ。戻し方も知っているだろう。
「そのまま体の上に置けば戻る」
「それだけ?」
「ああ」
さも当たり前かのように答えるな。魔人の常識は人間の常識じゃないと知れ。
核を引っこ抜かれて弱ってはいるものの、普通に生きているガヴェルも常識から外れているけど。
でも今はガヴェルが半分魔人であることに感謝する。人間だったら、心臓をくりぬかれて生きていられない。
ふっと迷いや不安を吐き出し、覚悟を決める。
私は魔女。
魔王とフレーシャの様子から、”魔女が核を戻すこと”に意味がある。
遅かれ早かれ、その意味を、その結果を私は知ることになる。
それでも私は、ここから逃げることはしない。
「ガヴェル、核を戻すから」
「うん、よろしく」
全て私に任せるというように、軽くガヴェルが答えた。
お腹をさらけ出して私に撫でろと主張してきた馬鹿犬みたいだ。
そんなに私を信用するもんじゃない、馬鹿たれ。
ころりと手のうえで転がる核をガヴェルの腹の上にそっと乗せる。
胃がキリキリと痛むほどの緊張を飲み込み、じっとそれを見つめる。
どうか、戻って。
ぴったりと視線を核に当てたまま、願う。
すると核がどろりと溶けた。
「あ」
咄嗟に、手を伸ばす。
ホードンのあの最期が頭の中によぎった。
「サリー、大丈夫」
その私の指先を、ガヴェルが優しく掴んだ。
僅かに逸れた意識が、核が揺れたことで再びそこに戻される。
ギュッと握られたままの手が、何も言われなくても「大丈夫」だと私に告げている。
信じるしかない。それ以外、私にはできない。
とろりと溶けた核は、ゆっくり、ゆっくりとガヴェルの肌の上に広がり、それからガヴェルの体の中に染み込んでいった。
残されたのは、傷一つないガヴェルの肌。
凝視していると、ガヴェルがふふっと小さく笑う。
今度こそ顔を上げてちゃんとガヴェルを見ると、なぜか恥ずかしそうな笑みを返された。
「……なに?」
「そんなにお腹見られると照れちゃう」
「馬鹿?」
何を言っているのだ、この馬鹿は。
そう思いながら冷ややかな目で見つめていたガヴェルの顔が、突如歪んだ。
「くっ」
歯を食いしばり、強張った頬の筋肉が盛り上がる。
ガヴェルの手にも力がこもり、握られたままの私の手に痛みが走った。
「ガヴェル!?」
もう片方の手を伸ばし、汗が浮かび始めた頬に添える。
痛みをこらえるために閉じられた瞼が開き、赤い目が熱を持ったように揺れた。
「サリー……」
「ガヴェル、どうしたの? 痛い? 何をすれば」
「ごめん」
小さな謝罪に、どくりと心臓が跳ねる。
やっぱりあの核は戻してはダメだったのだろうか。どうすればもう一度取り出せる?
焦りを口にしようとしたところで、ガヴェルが力なく笑った。
「これ、めっちゃきつい」
「当たり前だろう。体が変化するのだから」
「おじさん、うるさい」
魔王の言葉に不機嫌そうに眉を寄せ、ガヴェルは口を尖らせる。
それから深い息を吐き、私の手に頬を擦り付けた。
「サリー、ごめんね」
「なんで、謝るの……」
「ちょっと僕、寝る」
そう告げたガヴェルの両瞼がそっと閉じられる。
「ちょっと、ガヴェル? ガヴェル!」
焦ってガヴェルの名を繰り返す私の肩に、小さな手が乗る。
フレーシャだ。
振り返ってみれば、完璧な人形のような顔が左右に振られた。
どういう意味? なぜ、首を振るの?
まさか、ガヴェルが死――
「ガヴェルは数日は起きない」
「そっちか!」
「は?」
激しい反応をしてしまった私の目の前で、フレーシャの眉間に皺が寄る。
いや、だって、今のはものすごく誤解を招く仕草だった。
とはいえ、フレーシャに文句を言っても分かってもらえる気などせず、詳しい説明を求める。
「ガヴェルは寝てるの?」
「おそらく。核が体になじむまで、早ければ一日ほど。だがガヴェルは半魔人だからもう少しかかるかもしれん」
「そっか……命に影響は?」
「ないとも言えんが、問題ないだろう」
無いときっぱり言い切らないフレーシャ。
そこにクソ魔王が口を挟む。。
「そいつも核を戻すことで自身の影響を分かっていた。今更グダグダ言っても変わらんだろう、魔女」
「クッソむかつく、こいつ」
顔を背け、斜め下に向かって吐き捨てる。確かに、ガヴェルは何かを知っている様子だった。
握られたままの手元に目を落とし、そしてため息を吐く。
今は一旦忘れよう。ガヴェルがちゃんと目を覚ましたら聞けばいいことだ。
「では、私はいく」
「待って」
踵を返そうとしたクソ魔王を呼び止める。
高い位置から赤くやたらと主張する目が私を見下ろしてきた。
「なんだ、魔女。私と来るか?」
「そんなわけないでしょ」
クソ魔王の寝言を一蹴し、開いた手でガヴェルを指さす。
私が言いたいことを理解できなかった魔王が首を傾げた。私のウネウネの髪とは違って、嫌味なほどにまっすぐな銀髪がサラリと流れた。
ビシッと再度、地面に横たわり、幸せそうな顔で爆睡中のガヴェルの巨体を示す。
「運んで」
一言。
魔王の眉根がピクリと動く。
分かれ、クソッタレ。
「私たちで運べるわけないでしょう。原因は全部あんたなんだから、運んで。っていうか、運べ」
「……魔女は」
「黙って、運ぶ」
しばしのにらみ合いの後、魔王はガヴェルを荷物のように担いで屋敷まで運んだ。
それから外に出てきた幽霊男ニコラスと二、三言交わして魔王は去っていった。
「また来る」と言い残して。
二度と来んな、クソッタレ。




