19. 失ったもの。
あいつらの狙いは、ここにある私によって昇華された後の創造神の力。
それとガヴェルの核を使い、新しく人でありながら女神の力を持った命を作ること。
神の御業に挑もうとしているのだ。
胸糞が悪い。
私の力を悪用しようとしていることも、ガヴェルから核を奪おうとしていることも。
「それ以上こっちに来てみろ。お前らを串刺しにしてやる」
低い声で牽制したフレーシャの両手が高く掲げられる。
同時に、空気が震えた。
肌の表面がピリピリと痛い。
洞窟内の魔力とは違う、フレーシャの魔力が周囲に渦巻いている。
カタカタと周囲に転がるガヴェルの頭ほどはありそうな岩が次々と浮き上がり、歪に切り取られ尖った切っ先が全て魔王とホードンに向く。
魔法だ。
現実に影響を及ぼす超人的な力――魔法。
「フレーシャ!」
腰を低くし、後ろに私をかばったままでガヴェルはフレーシャの名を呼ぶ。
魔法に見惚れていた私の意識が、ハッと引き戻された。
そうだ、魔力を使ってはダメだ。
フレーシャの核は限界が近い。
ここで魔法なんて使ったら、どうなるかなんて目に見えている。
「死にかけが。そう出しゃばるもんじゃないぞ?」
精巧な作りをした魔王の顔に嘲笑が浮かぶ。
それから気障な仕草で魔王は胸元で手のひらを上に向け、ふっと息を吐くように魔法を行使した。
どこか芝居じみた動作なのに、鮮やかで目が引き寄せられる。
そして、直後――
パンッ!!
宙に浮かんでいた岩が砕け散る。
次々と響く破裂音に、咄嗟に両耳を覆った。
パアアアン!!!
パアアアン!!!
一つ、また一つと岩が弾ける。
その度、びくぴくと肩が跳ねるのを抑えられない。
「くっ」
微かに、フレーシャの口から苦悶の声が漏れた。
気づかぬうちに閉じてしまっていた瞼を開ければ、フレーシャの額に浮かぶ大粒の汗が光って見える。
さらには食いしばった歯が口内を切ったのか、唇の端から赤い血が流れ出た。
限界が、近づいている。
そう直感した、その時──ふらりと小さな体が揺れ、地面に崩れ落ちた。
「フレーシャ!」
彼女の名を呼び、一歩前に出ようとした。
その私の体が突如、後ろに強く押される。
ドンッという衝撃と共に、地面に転がった。
ザリザリと岩が肌を削り、痛みに顔がゆがむ。
痛みに狭まった視界。
それが、一瞬で、赤く、染まる。
「ぐっ……」
私を庇うように広げた大きな手。
その向こうにあるガヴェルの肩。
逞しいその背が大きく震えて──力を失ったように、がくりと地面に膝をついた。
その時になってやっと、私はガヴェルの正面に人が立っていたことに気づいた。
何の感情も浮かべずにガヴェルを見下ろしている、どこまでも冷酷な赤い瞳。
その人物の手に握られている赤い、塊──
不気味な雫がぽたりとこぼれ落ちる。
息が止まった。
まさか、あれは。
吸い込んだ口から、嗅ぎなれない、でも確かに知っている刺激臭が鼻孔へと流れる。
あれは、血だ。
「ほう、まだ生きているか」
興味深いと呟いた魔王の口角が上げる。
ガヴェルは、ガヴェルは……胸を守るように前屈みになり、ゆっくりと顔を上げた。
ここから彼の表情は見えないのに、その口元に強気な笑みを浮べているのが分かる声がした。
「元々、僕に、核は、なかったからね……死ななくて、ごめんね?」
「そんな状態でそんな口が聞けるとは。まあ、良い。お前はそこで自分の無力さを嘆いて見ていろ」
冷たい目でガヴェルを、そして無様に転んだままの私を一瞥し、魔王は踵を返す。
その時になってやっと私の体はぎこちなく動き出した。
「ガ、ガヴェル!」
地面を這うように進み、ガヴェルの体に手を伸ばす。
そして指先が触れた途端、ガヴェルの大きな体がぐらりと揺れて倒れこむ。
必死に伸ばした両腕でも巨体を支えきれず、二人共に土の上に転がった。
背中を強かに打ち、堪え切れず口からうめき声が漏れた。
「あ、サリー、ごめんね」
「ば、馬鹿。こんな、時に」
ガヴェルがいつも通りに喋るから、思わず私も同じように返しそうになった唇が途中でピタリと止まる。
ガヴェルの右手が添えられた腹部。
そこから絶えず流れ出るもの――赤い、こんな暗闇でも鈍く光を反射する、赤い液体。
「ガヴェル?」
視線を腹部から引きはがして名前を呼ぶ。
地面に横たわったガヴェルの顔を覗き込めば、彼は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ごめん。核、取られちゃった」
「そんなこと」
驚くほど冷静に、ガヴェルは告げる。
核を取られてなんでそんな喋られるのかとか、なんでお腹をえぐられて生きていられるかとか、頭の中にぐちゃぐちゃな問いたちが暴れている。
「ど、どうしよう。どうしたらいい?」
震える指先をガヴェルの手の甲に乗せる。
ぬるりと濡れた感触に一瞬怖気づいた手は、考える間もなくガヴェルの手を包んだ。
これは、ガヴェルの命だ。
魔人としての命である魔力を繋ぐ核は奪われた。
それでも人としての形を保とうとしているガヴェルの命の源。
「出て、行かないで」
魔力だろうが、創造神の力だろうがなんだっていい。
ガヴェルを繋ぎとめておくことができるのならば、どんな力でもいいから私を手伝って。
そう願った時、耳障りな歓声が響きわたった。
「魔王様! 素晴らしい!」
ヒィヒィと呼吸を荒くしたホードンが魔王の元に駆け寄る。
いつも半分以上閉じた両目は見開かれ、爛々と異様な輝きを放っている。
枯れ木のような両腕が伸び、魔王がその右手に鷲掴みにしたままのガヴェルの核の手前でサワサワと揺れた。
「ああ、ああ……素晴らしい。これが、神の力の核……これがあれば、私も」
興奮のままにうわごとのように垂れ流される呟き。
勝手なことを。
今すぐ、あのクソッタレな枯れ木を真っ二つにへし折ってやりたい。
奥歯を噛みしめ、倒れ伏したままのフレーシャの向こうにいる二人を睨む。
「お前の物だ。しっかり、受け取れ」
魔王は粗雑に差し出したそれを、ホードンの両手の上にぼとりと落とした。
ドロリと核が纏うガヴェルの血が、小枝のようなホードンの指の間を伝って地面に垂れる。
「ああ、これが……」
恍惚とした顔でホードンは核を掲げ持つ。
まるで世界最大の宝石を手に入れたかのように、ホードンは陶然と核に魅入られている。
どろり……
その核が、溶けた。
いや、核だけではない。
それを持ったホードンの両手ごと、突如ドロリと溶け始める。
「ぎゃあ!?」
汚い悲鳴を上げ、ホードンは慌てて両手を引いた。
いや、核から手を放そうとしたのだろう。
だがその時にはすでに核はそこにはない。
核どころか、それを持っていたはずの両手も。
「うぎゃあっ!?」
掲げた腕の先が、どろどろと溶けていく。
真夏の炎天下に置かれた氷よりも、何倍も速く。
手首から、肘、そして――
「ひあ、あああああああああああ!!」
迫る何かから逃げるように、ホードンは体をよじる。
ねじれた枯れ木のような体は、操り人形のようにぎこちなく踊る。
しかしそれは止まらない。
肘から上、老人のたるんだ皮に包まれた二の腕を飲み込み、さらに先へ――
「うああ、ああああ! 助け、助けて!」
「ああ、駄目じゃないか。しっかり受け取れと言っただろう?」
泣き叫び、半狂乱に体をくねらせ、跳ねるホードンの前で魔王は冷静に告げる。
赤い両目は、道端で死に行く羽虫を見るかのように無だ。
「うぎゃあああああああ!」
叫び声と同時、地べたに倒れこみ、侵食するそれを追い払うようにホードンは肩を地面に擦りつける。
全く無意味だというのに。
肩を越えたそれは止まることなく、ホードンの内部に入りこむ。
ホードンの枯れ木のような体がのけぞった。
「ぐおおおおお、おお、おおおおおおおおおお!」
胸を跳ね上げ、足をばたつかせ、もがき声を上げる。
腕を失ってなお転げ回るその姿は、まさに羽をもがれた虫のよう。
呆然とその様子を見ていた私の両目の前に、小さな手がかざされた。
「見るな」
いつの間にか、フレーシャが私の横に立っていた。
銀の美しい髪が乱れ、頬に砂を付けていても美しい少女が。
「見るな」
再度告げられ、私は視界を覆い切れていないフレーシャの指の隙間から見えるものを瞼の裏に隠す。
暗闇の中、一層高くホードンの絶叫が響き渡る。
「あぎゃ、ああああああ! ぐあああああ!」
「うるさいな」
小さく呟く魔王の声が聞こえた。直後――
ズパン!
何かが、はじけ飛ぶ音。
そして微かに、ぬかるみに足を踏み入れたような音が、数回。
やっと、辺りが不気味なほどの静寂に包まれた。
ふるりと体が震える。
今見たもの、聞こえたもの、それが閉ざされた視界の中で何度も繰り返される。
「サリー」
カタカタと震え出した私の手を、強く握る手があった。
続いて私の名を呼ぶ柔らかな声。
その声に鼓舞され、両目をゆっくりと開ける。
目の前にはフレーシャの手はすでになく、そして異様なホードンの姿もない。
その代わり、ゆっくりとこちらに歩いてくる魔王。その手には、明らかに何かが握られている。
「魔女。受け取れ」
つい、先ほど聞いたものと同じセリフが魔王の口から出た。
無造作に伸ばされた魔王の手。
その中にまるで何事もなかったかのように存在する核。
「え?」
「受け取れ」
それしか言えないのか、クソ魔王。
頭の奥がチリチリと痛む。
脳内にこびりついたさっきの光景が鮮明すぎて。
「魔王、やろうとしていることの意味を分かっているのか?」
冷静な声で確認するフレーシャに魔王は黙したまま答えない。だが輝きの強い目をガヴェルへと流し、告げた。
「そいつ自身が、分かっている」




