後編
ドサッ!
「おじたま。」
「うぐっ……リリィ、頼むから不意打ちはやめてくれ……。」
いくら騎士団長として鍛えていても、勢いよくお腹の上に飛び乗ってきた幼女に白旗を上げるしかなかった。
まだ三歳の娘は、シルヴィア・アルジェントの第二子である。
「とうたまはだいじょーぶ、っていうよ?」
「クリストファーのやつ、甘やかしすぎだろう。いいな、おじたまはもう年寄りだからそんなに丈夫じゃないんだ。だから乗っかるならとうさまだけにしておきなさい。」
「はーい。」
翠玉の瞳をのぞき込んで、言い聞かせるとあっさりうなずくあたり、確信犯かと思ってしまう。まだ三歳なのだけれども。
「おじ様はまだ四十代ではないですか。まだまだ元気でいてください。」
くすくす笑いながら部屋に入ってきたのは、母親のシルヴィアだ。
公の場ではディレスト侯爵と爵位で呼んでいるが、身内だけのときは子供のころと同じ呼び方をしてくる。つられて子供たちもすっかり「おじさま」呼びが固定されてしまった。
ここはアルジェント領の伯爵家本邸である。
アルフォンスは、憂鬱な仕事を国境沿いで終わった後、部下たちと離れ単身アルジェント領までやってきたのである。
シルヴィアが連れてきた侍女にリリィを渡すと、侍女は一度頭を下げて部屋を出ていった。残された大人2人は向かい合わせのソファにそれぞれ座った。
「お輿入れはつつがなく?」
「ああ。大人しく隣国に入っていったよ。」
数日前、この国の第一王女が隣国に嫁いだ。
騎士団長の責務として、国境沿いまで王女一行を送り届けたのだが、早く終わらせたくて仕方がなかった。
なにせ、くだんの第一王女はアルフォンスに懸想をしていると評判だったのだ。
王女とは一年前の婚約発表の舞踏会以来、顔を合わせることはなかった。それにも関わらず、秘密裏に送られてくる手紙にうんざりさせられていたのだ。
隣国の使者に引き渡す時も、嫌がって抵抗するのではないかと内心ひやひやしたが、王女を乗せた馬車は隣国の皇帝のもとに向かっていった。
「どうにか終わってほっとしたよ。」
「ふふ。王女殿下の胸には紅玉のブローチが飾られていたそうですわね。」
「ブローチ?」
仮にも一国の王女が装飾品を身につけているのは当たり前のことだ。
ブローチ、あったような、なかったような。
「大粒の紅玉で出来た見事な品だったそうです。手紙とともにどなたからか送られた品だとか。」
「は?」
楽しそうに笑うシルヴィアの視界には赤髪碧眼の自分の姿がいるだろう。言い切った後で笑いが止まらなかったらしく、声をあげて笑い続けている。
「おいおい。そこまでやるのか。」
「万全を期したかったのでしょう。」
「だが納得した。やけに大人しいと思ったんだ。」
王女に問題を起こさせないために、如何にもな一品を用意したのはおそらく王家だろう。
小娘の頭の中には、国のために恋を諦める自分、切ない思いを抱えて自分を見送る騎士の構図ができていたに違いない。
王女が嫁いでも、思い人がいる故国のために尽力するように。
「全く反吐の出る話だ。」
1日でも早く、母親そっくりの王女が消えることを望んでいた自分に、不愉快でしかない物語を背負わせるはめになるとは。
「母親そっくりだ。」
傾国と呼ばれ、アルフォンスが愛した少女を追放したあの女に。
オウブレス王国には「大学」と呼ばれる学府がある。
年齢性別不問。様々な分野の第一人者がこの学府にて研究し、その一端を学べる場として多くの生徒が門を叩いた。生徒達は、自分の学びたい科目を選択し、学びたいだけ学ぶと学校を去っていく。大学を卒業したということは、一定の優秀さの証であり、多くの貴族子息がこの大学へ入学した。
皆真摯に学問に打ち込む大学特有の空気を、アルフォンスは気に入って騎士に関する科目を取りまくっていた。同学年の中には、時の第二王子や宰相の息子など将来を担うであろう多くの若者達が集まっていた。時々、女遊びもしたが後腐れのない女性ばかりを選んで楽しんでいた。
このまま、卒業して騎士になって、と将来のことを薄ぼんやりと確信していた頃にやってきたのが、のちに傾国と称された子爵家の令嬢――のちに傾国と称された少女である。
アルフォンス達の後輩として入学した彼女は、当時でも珍しい女当主になるために研鑽を積むつもりだと話していた彼女が真っ先にしたことが、大学に通う有力貴族の子息達を誘惑することだった。
ただひたすらに研究を続ける生徒のほとんどは、彼女という異物に嫌悪を覚え、相手にしなかったが、よりにもよって引っかかったのが、第二王子を始めとするアルフォンスの友人達。将来の道筋がある程度安定したことによる隙か、すぐに彼らは堕落していった。
馬鹿なことをやめろ、と忠告したのは一度や二度ではない。中には婚約者がいるものもおり、女1人にコロリ転がされる息子に失望の声も上がっていた。
『でも、彼女が好きなんだ。』
そう言って目を輝かせたのは当時の宰相の息子だったか。父親と同じ文官の道を志していた彼は廃嫡され、実家の一地方にて平文官をしているという。
アルフォンスは目が覚めない友人達にも腹が立ったが、例の子爵令嬢にも腹を立てていた。
彼女はアルフォンスにも食指を伸ばしたからである。
『なぜですの?私はこんなにもあなたを慕っているのに……。』
半裸で自分にすがりつこうとする娼婦のような女がただひたすらに気持ち悪かった。
しかもアルフォンスには当時恋人がいた。国境沿いの伯爵家の末娘。彼女に変な勘違いをされることの方が怖かった。
『気持ち悪い。二度と近づくな。』
切り捨ててそれで終わりだと思っていた。
まさか、あの女が自分の信望者を恋人に嗾しかけ、大学から追放させるとは思ってもいなかった。
そして、彼女に二度と会えず次に来た連絡は彼女の訃報だった。
訃報を片手に、単騎で伯爵家に駆けつけるも、彼女の父親と嫡男に袋叩きされるだけだった。その後、何度も伯爵家を訪問するも門前払いは当たり前、屋敷に入れてもらうも私兵の訓練に放り込まれてズタボロにされた。
シルヴィアに初めて会ったのもその頃だ。あまりにも喪った彼女に生き写しで、つい声をかけたら、孫娘にまで手を出すつもりかと伯爵に蹴り飛ばされた。
騎士として勤めながらも伯爵家と往復する日々の中、騎士としてトントン拍子に出世していった。元々の爵位もそうだが、伯爵家で学んだこともその一助となったと思っている。
傾国は最終的に大学を退学し、子爵家を継ぐ話は何処へやら、最終的に第二王子の愛妾となった。第二王子は兄が王位を継ぎ、王弟となった後も未婚のまま愛妾を溺愛し、愛妾に子が産まれる直前に事故で命を落とした。
愛妾は難産の末、自分と同じストロベリーブロンドの娘を産み落とし、そのまま産褥で亡くなった。
この二人の遺児こそが、第一王女その人である。
なぜ王弟の息子が王女となったのか。それは隣国の皇帝が王女に興味を示したからであった。
まさか当時は皇太子であったその人が素性を偽って大学に通い、愛妾に接触していたとは誰も思っていなかった。
皇帝はかつて心弾ませた女性の遺児が、彼女と同じ髪と目の色だと知って側室にと望んだ。
隣国との戦争が終わった直後、王族の婚姻政策は昔からある手段であり、オウブレス王国側に断る理由はない。
周囲に持て余されていた赤子は、第二王子の兄である国王の養女となり、隣国への花嫁として教育されることになったのだ。
アルフォンスは王女に興味はなかった。アルフォンス自身も父親から爵位を継いだばかり。しかもシルヴィアも、家族を全て失ってそれでも家を再興しようと奮闘していた。
以前ほど自由にはならない身でも、シルヴィアを気にかけ続け。自分たちのことに必死で意識を別に向ける余裕などなかった。
だからこそわからない。王女が自分に執着した理由が。
『ディレスト侯爵。』
母親と同じ、毒のような顔に吐き気がした。
「おじたまーいっしょにおやつにしましょー。」
我に返れば、いつの間に戻ってきたのか小さなリリィが立っていた。
「もう、そんな時間か。」
「はい。とうさまも、にいさまもいらっしゃいますよ。」
「リリィは本当におじさまが好きなのね。」
「はい!」
幼子の無垢は笑みは見るものの心を温かくしてくれる。
こうして愛する者に囲まれていれば、体中にまとわりつく毒はやがてきれいに拭われることだろう。
今はただ、愛する者たちの中でほほ笑んでいたい。