序章
まだ序章なのでヒロインもヒーローも登場しません。ですが、一連の事件の発端はここから始まります。
真冬の東京湾は冷たい乾いた風が吹き荒れていた。
そんな寒風吹き荒れる中、黙々と作業員たちが貨物の積み荷をトラックへ運んでいる。
「ふぅ…。今日は本当に寒いな」
自らの吐いた白い息で強ばった手を温めつつ、作業員の一人である真木隆文は鈍色の空を見上げた。
大学を卒業し、周囲から遅れる事三ヶ月弱。隆文がようやくありつけた就職先が今の会社だった。
次々と運ばれてくる積み荷の型番をチェックして次へ回す。誰にでも出来るような単純な作業ではあるが、頭を使わない分、肉体的にかなりきつい。その積み荷の多くは海外から輸入された高級家具なので重量もかなりある。
普通の人間なら三つか四つ運んだだけですぐに根を上げてしまうだろう。
入ったばかりの頃、隆文もそれで苦労したものだ。
今まで普通に大学で勉強したり、軽いアルバイトくらいしかしていなかったので周りとは筋肉の付き方やスタミナが全然違っていたのだ。
それで最初は周りの足を引っ張り、時には一人で残って作業をした事もある。
それでも今は必要な筋肉も付いてきて、何とかやっていけるようになっていた。
「マジで寒いっすよね。何かすげー寒気がやってきたとかって、今朝のニュースで言ってましたよ」
つい作業中に出てしまった一言に反応してきた者がいた。
今月から入ってきたばかりの新人、上田友久だ。
上田は二十三歳の隆文よりも二つ若い。
大学に進学せずにバイトをしながら自分のやりたい事を探す、所謂フリーターというやつだ。
人懐っこい性格と童顔で、隆文より早く周囲にうち解けていた。
「へぇ、寒気か。こりゃ寒いわけだ」
「鼻水、凍りそうっすね」
上田は鼻水を啜って身体を震わせた。
その後は二人とも特に私語等はせずに、黙々と作業をした。
その内、ふと隆文は次の倉庫へ向かう途中、海の方へ気を取られた。
海は荒れていた。
波は高く堤防に打ち付けられる波が激しくぶつかり、砕ける。
砕けてその飛沫が礫のようにこちらにまで降り注いだ。
「……うわっ、自殺の名所みてぇだな」
暫し作業から離れて、恐る恐るそこに近寄ってみる。
その瞬間、隆文の足下に叩き付けるように激しい波飛沫が散って、顔にまで飛沫がかかる。
「ぷはっ、しょっぱい!」
その冷たさにも驚いたが、口に入った塩辛い水の不快感に顔を顰める。
だがその下の波間の中に黒っぽい海草のようなものがユラユラと漂っているのが見えた。
「何だ、あれは…」
隆文は目を細めてそれを凝視する。
すると最初は海草だと思っていたものが違うものである事が次第に分かってきた。
「ま…まさか…な」
波間を漂い流されてきたものの正体に気付いた瞬間、隆文の目は凍り付いた。
「なっ……、こっ…これはっ!」
思わず腰を抜かして後ろに倒れ込んでしまう。
「どうした、真木」
その悲鳴を聞きつけて、他で作業をしていた仲間たちが駆け寄ってきた。
隆文は引きつった顔のまま、前方を指さした。
それを見た仲間達の顔に戦慄が走る。
「大変だっ!誰かっ、人が死んでいるぞっ!」
それは海面すれすれを漂う黒髪の男性の死体だった。
冷たい水面を漂い、その顔色は漂白されたかのように真っ白で、亡くなっている事は明白だった。
物語は東京湾に打ち揚げられたこの死体から始まる。