侍女になるための選択肢はあるようでない
「じゃあ、行こうか!」
抜けるような青空みたいに伸びやかなアルヴィンの声が、リミナルの背中を軽快に叩く。
しかしながら、「ええ、行きましょう!」と返せるほどのノリの良さをしがないアイテム販売員は持ち合わせていなかった。
カウンターの向こうで些か顔色を悪くしたリミナルが絞り出すような声で尋ねる。
「……どこへ、ですか?」
言葉遣いが適切かどうかもわからない。
そもそも自分のような平民がが話しかけてよい相手かすらわからない。
しかし、確かめないのも怖い。
なんせ、やんごとなき身分の方は自分をどこかへ連れて行こうとしているのだから。
カウンター越しに対峙するアルヴィンは気分を害した様子など微塵もなく、それどころか溌剌とした調子と答える。
「むろん、僕の屋敷だよ」
むろんとはどういう意味だっただろうか、とリミナルは混乱する脳みそにちょっぴりだけ空いていたスペースを使って考えた。
(疑う余地がないくらい当然だってこと? ……この人の屋敷に行くのが?)
「な、なんでっ!?」
意識するまでもなく、新たな疑問が口を突いて出る。
そうしたリミナルの反応に、アルヴィンは鷹揚に笑った。
「簡単なことだよ、リミナル君。ここにいては侍女にはなれない」
その声音には確固たる響きがあった。
それに男で侍女にという方向性はアレとしても、どこに出しても恥ずかしくない正論である。
たとえ女であろうとも、しがない村の宿屋の一階のちょっぴり暗いカウンターに立つ日々を過ごしながら侍女になることはできまい。それは侍女になるためのノウハウを持ち得ぬリミナルにだって容易に察せられることだった。
アルヴィンが続けた。
「君は侍女になりたいんだろう? 僕ならばその願いを叶えてやれると思うし、その自負がある。でも、それはあくまで僕の屋敷での話だ。正直、ここでは難しいと言わざるを得ない」
声にほんの少し無念そうな音が混ざった。聞く相手の申し訳なさを煽るような余韻を漂わせている。
「君に無理強いをしたいわけじゃない」
気遣うような声でアルヴィンはさらに続けた。
「これは補償だ。君という人間に対する償いなんだ。だから、君がこの場所でこれまで通りの生活を続けながら侍女になりたいと望むのであれば、……僕は誠心誠意、それに応えねばならないだろう」
アルヴィンの声に今度は神妙な調子が混入された。
緩く振られた頭で夜色の髪もまたふわふわと踊る。その様子は言葉とは裏腹にやけに陽気な気配がする。
「……うん、そうだな。僕が間違っていた」
ひとり得心したみたいにアルヴィンが大きく頷いた。
「やる前からできないなどと、まったくもって情けない。ハーリクィンの名が廃るというものだ!」
そんなことを声高に叫んだと思えば、アルヴィンは再びカウンターへ身を乗り出した。
反射的に身を反らすリミナルにおかまいしに、胸に手をあてたやんごとなき身分の男は芝居がかった口調で高らかに告げる。
「リミナル君がどこにいようとも立派な侍女になれるよう、我がハーリクィン家は全力を尽くすと約束しよう!!」
それは突然現れた尊い身分の男と、しがないアイテム販売員のやりとりがぼんやりとしか伝わっていなかった食堂にもはっきりと聞き取れるほどに力強い宣言であった。
誤解の余地がこれっぽっちもないくらい明瞭な発声であった点も付け加えておく。
少しの沈黙の後、食堂に新たな困惑が渦巻いた。
声に出さずとも「え、あいつ侍女になるの? 男なのに?」という戸惑いがそこかしこで発生しているのが、食堂からそれなりに距離のあるカウンターまでひしひしと伝わってくる。
厨房から身を乗り出すようにして事の成り行きを見守っていた宿屋の主人が、「もしかして女だったのか?」的な表情を浮かべておかみさんにどつかれたのだが、そこまで把握する余裕は今のリミナルにはなかった。
ただただ、いたたまれない。
針の筵とはこのことかとリミナルは無意識に胃のあたりをさする。
(確かに、侍女になりたいのは事実だけど……!)
しかし、だからといってその願いを万人に知らしめたいかといえば別の話である。自分ですら頭がおかしいと思うのだから、そんな願いを聞いた他人がどんな感想を抱くかは言わずもがなであろう。
それは自分の心の中にそっと秘めておきながら、ひっそりと実現を目指す類の願いなのだ。
にも関わらず、知らしめられてしまった。
赤の他人によって。
誤魔化しようのないくらいはっきりと。
もはや村中に広まるのも時間の問題だ。
ここに至っては、どんなに言葉を尽くしても「侍女になりたがっている男」というレッテルが剥がせる気がしなかった。
(もう、この村で暮らしていけない……)
その時の心境を表現する言葉を問われれば、リミナルは息も絶え絶えに『絶望』と答えただろう。膝から崩れ落ちていないのが不思議なくらいだ。
そうしたリミナルに頓着することもなく、やんごとなき身分の人は陽気に提案した。
「まずは君が侍女として相応しいものを得られるよう、ここに人を派遣しよう。知識や技術はその者から教わればいいとして、他に必要なものとなると制服かな。……うん、制服は大事だ! 形から入ることで得られるものもあるだろう」
アルヴィンがうんうんと満足げに頷く。
「君は好みの色やデザインはあるかい? オーソドックスな黒も悪くはないけれど、折角だから爽やかな青にストライプが入ったものなんかもどうだろう? 午前が黒で午後が青……、いや、季節ごとに変えるとするならもっと多彩な色やデザインが必要か。ああそうだ、毎日使うものだし、エプロンにもこだわりたいところだな。僕はあまり詳しくないから帰ってから皆にどんなものがあるのか聞いてみるとしようか。……おや、何やら不安げだね? 心配しなくていい、人の派遣も制服をあつらえるのも今回の補償の一環だ。君がしなければならないのは、それらを受け取って立派な侍女になることさ」
ぼやけた視界では表情こそ判然としないものの、放たれる雰囲気から「最高に素敵な思い付きだろう」と胸を張って得意げにしているのがわかる。
さて、とアルヴィンが言った。
「他にも希望はあるかな?」
遠慮は不要だと告げる声は軽快で嫌味こそないが、生まれながらの高貴な血筋を体現するみたいに押しが強い。
対するアルヴィンは相変わらず胃のあたりに手を当てたまま、
「……一緒に、行きます」
血反吐を吐くような心境でそう答えた。
いや、答えるよりほかなかったのである。
そんなわけでモッキュ村の宿屋の一階のちょっぴり暗い一隅で、ギルドから委託を受けたアイテム販売に従事していたリミナル青年は重たい足を引き摺るようにしてカウンターから出た。
夜色の頭と緑がかった淡い黄色のスーツがくるりと回る。
食堂へ向けてアルヴィンは高々と告げた。
「では、リミナル君はハーリクィン家で責任をもって引き取ろう。ギルドへの連絡もこちらで受け持つから心配は不要だ。彼の後任はそれほど日を置かず派遣されてくるだろう」
その言葉に異を唱えるものはひとりもいなかった。
誰もがこれまでの展開に呆気に取られていたし、そもそも身分の高い相手に楯突くなど平民は考えもしない。
宿屋の夫婦は反射的に頷いた。
居合わせた冒険者達はアルヴィンの視線から逃げるようにリミナルを見やった。表情なぞわからずとも「立派な侍女になるんだぞ」的な眼差しが向けられているのを横顔にひしひしと感じた。
(あのドアがバーンと開いて、その瞬間に目が覚めたりしないかな……)
悪夢でも現実よりはマシだ。
だが、そうしたリミナルの願いも虚しく、ドアが開いても目が覚めるようなことはなかった。
憎らしいほどに明るい昼下がりの陽射しが外界との隔たりをなくした場所から我れ先にと飛び込んでくる。
そこへ小柄なシルエットが割り込んだ。
「ちょうどよかったみたいですね。荷物はすべて回収しました」
例によってリミナルにはその姿が判然としないが、声から若い女性だなと見当がつく。
返事をしたのはアルヴィンだった。
「ご苦労! それじゃあ帰ろうか」
その声に引き摺られるようにのろのろとした足取りで入口の方へと近づいていくと、ドアを抑える女が亜麻色のスーツを纏っているのがおぼろげながらに見て取れた。背丈はリミナルより低いが、アルヴィンとはわずかな差しかないようだった。
軽い足取りで敷居を跨いだアルヴィンが外へ出る。
リミナルは酷く消極的な気持ちのまま陽気な背中に続いた。
たちまち強い陽射しに襲われる。
目を細めたリミナルは今の視界と同じくらい自分の行く末は漠然としているなと考えて、眩暈を覚えた。
くらっとした次の瞬間、左足の先が小さな石ころに引っかかる。たちまち体が制御を失った。
何かに引っ張られたみたいに胸が前にせり出した。
そのままであれば前のめりに転んでいただろう。
だが、そうならなかったのは後ろから伸びてきた腕がリミナルを引き戻したからだ。
「……へ?」
目をぱちくりする。
いったい何があったのか──なんとなく落とした視線の中を柔らかな草色が横に走っていた。
それも自分の胸の高さあたりにぴったりと寄り添うようにだ。
リミナルは柔らかな草色を左から右へと辿ってみた。横線は途中で白に変わり、少しすると肌色になった。
肌色はリミナルの右腕に掛かっている。
(……手?)
手前に見えるのは付け根のあたりが角ばった親指だった。綺麗に手入れがされた爪が見える。
(これが手だとすると、つまり)
胸のあたりに寄り添う柔らかな草色は腕だと認識した瞬間、背中に触れる感触に気がついた。
そちらもぴったりとリミナルの背に寄り添っている。
ここまでくれば尋ねるまでもなく、何が起きたのか理解できた。
(転びそうになった俺を、この手の持ち主が助けてくれた)
背後から抱え込むように腕を回されているのはその名残だとわかる。
となればやることは明白だ。礼を言って、腕を解いてもらう。以上である。
「あの──」
首を捩じるようにして振り返るものの、見えたのは形の良い顎くらいだった。背後の人物は長身らしい。
そこで視線を上げたリミナルだったが、言うべき言葉を舌に乗せる前に息と一緒に飲み込むはめに陥った。
これまでに目にしたことのない美しい顔が、メガネなしでもはっきりわかる距離にあったためだ。
曇りの日の雪のような色をした髪の下に、頬から顎にかけてくっきりとした線を描く輪郭がある。
高い眉骨が影を落とす切れ長の目の間を真っ直ぐな鼻梁が通っていた。
口は大きめだが気品がある。
透明度の高い水の中心で蜂蜜が溶けているような虹彩は酷く印象的だった。
「そのままで」
端正な顔立ちの男が言った。
気品のある大きめの唇から落ちてきたのは、普段は深い眠りについている良心なるものを揺さぶる声。
ぼうっと見惚れていたリミナルだったが、その響きを耳にするとたちまち男の腕の中で姿勢を正した。こくこくと頷いたのは脊髄反射のようなものである。
ふわり、と足元から風が吹き上がった。
瞬く間に頭上へと抜けていく。
あっという間の出来事だった。
「終わりだ」
その言葉と共に淡い草色の腕が離れた。
リミナルには何が終わったのかはさっぱりわからなかったが、離れたばかりの手にやんわりと背中を押されたのでとりあえず歩き出した。
心なしか、さっきまでよりも軽い足で四頭立ての馬車の前まで進んだ。
(こいつはもしかしなくても、俺を轢いた馬車なのでは?)
何の根拠もないただの勘であったが、事実だろうという根拠のない確信がリミナルにはあった。
乗れとばかりに扉が開け放たれているが、心境的に抵抗を感じるのは致し方ないだろう。
キャビンの前で躊躇う素振りを見せたリミナルに、先に乗り込んでいたアルヴィンが手招きする。
いや、でも、しかし、と尻込みするしがないアイテム販売員の背中を押したのは、その後ろで順番待ちをしていた男の静かな声と大きな手だった。




