竜の谷(3)
バタバタバタ……と、荒ぶる気配が近づく。
そろそろだろうと身構えていたサジェスは椅子の肘置きにもたれ、頬杖をついて薄目を開けた。
案の定、凄まじい勢いで扉がひらかれる。
「兄様! わたしにわかるように教えて!!」
「来るなりそれか、ローズ」
「ほかに何かある?」
「いや、……ないな。トールに連れられてこっちに“翔んで”来てからといもの、妙にしおらしかった。いまのお前のほうが断然『らしい』」
「ひと言もふた言も多いのよ」
ムッと眉間に皺を寄せたロザリンドは、あてがわれた魔族の伝統衣装に着替えた以外は、言動が王城にいたころのまま。ゆったりと一人掛けの椅子で寛いでいた長兄王子は、しみじみと頷く。
「家族として、人類として、ユウェン殿にはとんでもない生き物を託す気持ちだ……。さっき、うちでまとめた議事録でも見るか?」
「いいえ」
赤い巻き毛の王女が歩み寄る。議事録と思わしき書類には目もくれず、バン! と両手で机を叩いた。
「エキドナの残党勢力の危険度ってどのくらい? 規模は? うちの先祖が滅ぼしたのは百年だか二百年前だか、それくらいでしょ。生き残りはほとんど魔族と混血したんだと思ってた。誘拐だって、ベティの独断だとばかり」
ぱち、と、サジェスは目を瞬く。「その解釈で間違いはないが」
立ち上がり、妹の手をとって向かいの椅子に座らせると、もう一度向かいの席へ戻る。
「順に話そう。お前も知ってのとおり……」
*.·┈┈┈*.·┈┈┈*.·┈┈┈*.·┈┈┈
約百二十年前。
ゼローナの北西には国土がゼローナの各公都ほどしかない小国があった。名をエキドナ小公国。由緒だけは古く、九百余年前にゼローナ王国が興隆する以前からあった、さる国の辺境伯筋である。
エキドナは三方を険しい山脈に囲まれた自然の要塞で、豊かとも言えないが長らく独立性を保っていた。
けれどその実態は、大戦のころから魔族と人族の両方に情報を流す蝙蝠国家だった。当時から少しずつ魔族との混血を進めていたらしい。
大公と数少ない貴族たちは権威の象徴として頑なに人族の純血を守った。
結果、出生率が落ち、ギフト持ちが生まれなくなった。反動で、純粋な人間たちだけの国ゼローナの、神の恩寵のごとにギフトを欲するようになったという。
ギフトこそ選ばれた人間の証。魔族や混血には与えられない尊き御印だと、誤った解釈が横行して。
そうして起こったのが亡国のきっかけ。
エキドナ最後の大公は、小公国存続のため、ゼローナの属国となることを決めた。なれば、ゼローナ北部一帯を治めるジェイド公爵家の管轄となるので。
それを良しとしなかった大公の弟は、調印のために北公都アクアジェイルに向かっていた国王代理の王妹を拐った。
むりやり婚儀の場を整え、王妹との既成事実をもってして、みずからが新大公に即位しようとしたわけである。
しかし――
*.·┈┈┈*.·┈┈┈*.·┈┈┈*.·┈┈┈
「……王妹の姫は苛烈で、賢く、膨大な魔力の持ち主だった。“転移”ですぐ逃げることもできたのに、ぎりぎりまで説得を試みた。残念ながら生贄よろしく兄大公を殺めた弟に激怒して、山脈のひとつに大穴をあけた。地崩れが起きないよう、綿密に保護したうえで」
遠くを見るようなまなざしになったサジェスの言を、ロザリンドが嬉々と継ぐ。
「ええ! 捕まってるあいだ、夜な夜な抜け出して王都に翔んで軍を編成してたのよね。風通しが良くなった大穴からいっきに突入させるなんて痺れちゃう」
「こらこら」
物騒な言いようはやめなさい、と諌めつつサジェスは苦笑した。
「まあ、あのころは平和な時代が続いたし、各国でゼローナ王室への畏怖が薄れていた。起こるべくして起きた節もあるが」
「禍根を残した?」
「……だろうな。先の誘拐事件は、まさにエキドナの妄執が生きていたとみるべきだろう。覚えているか? 谷に着いたとき、エルドラク殿の隣にいた男と、お前のメイドとして潜入していた娘の容姿を」
「あっ」
ロザリンドは口を押さえた。
――そういえば。
誘拐の主犯格だったベティは、ふつうの人間にしか見えなかった。
見える部分の肌には鱗ひとつなく、もちろん角や牙もない。彼女の祖父もそうだ。
「混血ではないってこと?」
「そう。魔族の領域で暮らしながら、あの一族の限られた家系は純血の人間としか婚姻せず、いまに至る」
重々しく首肯し、サジェスが口の端を下げる。
「だから厄介なんだ。魔族の血がないということは、ユウェン殿の魔王としての拘束力が働かない。危険度は高いと、私は見ている。ことが落ち着くまで、もどかしいだろうが待ってくれ。くれぐれも自重するように」
ユウェンの魔力をもってしても真実は暴けない。
――――旧エキドナの長は、嘘をついているかもしれない、と暗に含めた。




