エピローグ 〜終わらない恋をあなたと〜
時は過ぎて五日後。
竜の谷の広場には、それぞれの目的地に向けて発つべく待機する、ふたつの馬車の群れがあった。
ひとつはゼローナ王国へと帰る、王太子率いる親善大使の一行。
もうひとつは。
「達者でな。ローズ」
「兄様も」
まずは見送る立場にある、魔王一行――
その一団にあって魔王の隣に立つ、ロザリンドがサジェスと握手を交わす。
サジェスのうしろには、弟のアストラッドやジェイド家のルピナス。それに近衛騎士のキキョウが控えていた。
とりたてて別れを惜しむ空気はない。
関係が険悪なのではなく、むしろ逆。あれから三日三晩のあいだ、谷は祝賀ムードに包まれた。その間、たっぷり水入らずの時間を過ごしたのだ。
それは、谷の民にとっても特別な日々だった。
なにしろ、千年もの永きに渡って独身を貫いた少年王を成体になさしめ、あまつさえ求婚させた王女が無事に戻ったのだから。
サジェスは微笑み、自分よりもやや年上の外観になった魔王を見つめた。
「すみませんね。うちのお転婆が」
「いや。オーディン王には改めて報せを。書簡はうちの者に持たせる」
「……参考までに。炎竜将軍殿は、竜体だとどれくらいの速さで王都に着きますか?」
「丸一日だな」
「おお……」
ちょっとだけ為政者の顔になったサジェスを、背後のルピナスが「殿下」と窘める。
その藍髪の若き貴公子に、ユウェンは複雑な面持ちで会釈した。
「此度は、ジェイド公爵家に本当に世話になる。いずれ正式な取り決めを」
「畏まりました」
あくまでも一歩退いた線からの礼は非常に凛々しい。将来が楽しみな騎士ぶりだった。
取り決めとは、両国にとって難しい、イーサンの処遇。
イーサンが真に一族の妄執に取り憑かれた謀反人であれば、竜人族の慣習に従い、煮えたぎる火口に放り投げて終いだった。(※対象が炎竜人だった場合、永久氷河にぶち込むらしい)
しかし、偶然とはいえ魔王本人が〝刻見の術〟で明らかにした。イーサンもまた、自殺した先のエキドナの長メーゼラッドにより、秘薬のちからで傀儡にされた事実を。
なお、イーサンはすでに適切な処置を施され、正気を取り戻した。記憶もしっかり保持していたことから、ジェイド公爵領で国境沿いの無期労役者となる沙汰を受け入れている。現在は、行きはベティたちが乗った護送車に拘束済みだ。
亡国の兄妹の別れには、関係者一同で立ち会ったが……
(まぁ、これも運命ってやつかもね)
魔都で裁かれるはずだったベティは、実の兄を告発し、勇気をふるって王女救出に尽力した点を評価された。
ユウェン自身が「べつに構わない」と言ったことも大きい。今はロザリンド付きの侍女見習いとして側にいる。
――兄との和解。再会への希望。シトリンなど、みずからが巻き込んだ同胞たちへの謝罪の気持ち。
それらを踏まえた彼女の表情は、きっぱりと前を見据えるもので。
一方的にあるじと定められたロザリンドは複雑だが、終生の忠誠まで誓われている。これでは「善きにはからえ」と言うより外ない。
ロザリンドは、皆がイーサンの身柄を持て余したとき、迷わず「ジェイド公爵領で預かりましょう」と申し出てくれたルピナスに視線を流した。
「頼んだわね」
「は。お任せを」
魔族領との国境をあずかるジェイド家の若君は、爽やかに笑った。
「せっかくの慶事に、我が家でささやかなお祝いができて良かったです。どうぞ、憂いなくお輿入れを」
「……っ……あ、ありがとう」
「姉上、お健やかに」
「あんたもね、アーシュ」
弟に対しては、ついぞんざいな口調と態度になってしまう。ロザリンドの被っていた猫は谷に帰還後、みごとに剥がれ落ちた。
しかも、魔族の面々からは『妃殿下はこういう方』と、好意的に認知されているふしがある。
……それもまた、面映ゆいのだが。
第三王子のアーシュ――アストラッドは、どちらかといえば母王妃似。だからこそ自然と思い出す。
父はもとより、母のセネレもさぞかし気を揉んだことだろう。いくら追放されたかったとはいえ、かなりのヤンチャをした自覚がある。線の細い彼女には、少しばかり良心が疼く。
ロザリンドは、ふいと顔を背け、もごもごと口ごもった。
「……母様に、今までごめんなさいと伝えて。手紙を書くわ」
「は……はい! たしかに」
こうして笑いあり、苦笑もあり。
ゼローナへと向かう一団は、和やかに見送られた。
* * *
「ねえ。魔都って、どんなところ?」
「うん……?」
ガタゴトと荒野をもう片方の馬車がゆく。
今、車内はロザリンドとユウェンのふたりだけ。
乗車の際、『形式的にはまだ婚約中ですぞ!』と谷長から提言され、向かい合って座っている。
ちなみに心配性のエルドラクから言われるまでもなく、ユウェンの造作も愛してやまないロザリンドは何の問題もない。正面からまじまじと闇の化身たる未来の伴侶を眺めて。
彼の、けだるげな溜め息ひとつ見逃さず。
「どうかした? あっ、成長の反動? つらいの?」
「……ここまで体がでかくなれば器も安定している。増えた魔力もとうに馴染んだ。心配いらない」
「ならいいけど」
ロザリンドは、スンと口の端を下げ、無意識に前のめりになっていた上半身を戻した。
子どもじみた仕草の王女に、ユウェンは片頬を緩める。
「俺を、まだ子ども扱いしてはいないか?」
「――ッ! い、いいえ!?」
「ならいいが」
形勢逆転。
腕を組み、ゆうゆうと長い脚を組む魔王陛下の色気は(好きすぎて)効果ばつぐんだ。息も絶え絶えとなる。
ぐぬぬ、と引き結んだ唇から漏れる呻き声を隠すことなく、王女は悔しげに相手を睨んだ。
「ずるいわ」
「ずるくない。ほら、手を出すといい」
「…………? !! あっ」
右手を差し伸べられ、素直に左手を乗せると、やさしく引っ張られた。ふわりと素肌の指に口づけられ、そのまま上目遣いに見つめられる。
「俺の魔力も、王としての命も、すべてそなたに。魔都もそなたの望むようにしよう。どうしたい?」
「!?!? 無茶苦茶だわ……? だめよ、わたしの言うことなんか、まともに聞いちゃ」
「ははッ」
「笑いごとじゃないーー!!」
すわ、揶揄われたかと王女は激昂する。
ユウェンは、ごく真面目に言い添えた。
「一生、退屈になどさせてくれないのだろう? 楽しみだ」
「ユウェン……それ、殺し文句」
「言ったのはそなただ」
「……あうぅっ」
真っ赤になって座面にへなへなと崩折れる王女を、ユウェンがクスクスと笑う。
顔を上げたロザリンドは、ときめきで死にそうになりながらそれを享受した。
――――
そうして、わずか一年後。
魔都にて人族の姫が正式に魔王の妃となる。
これは、すべてを巻き込んでやまない性質の姫の、終わらない恋の成就の物語……
fin.




