王女覚醒
「妻となるひとが、こんなに綺麗なひとで良かったよ」
イーサンは、寝台で眠るロザリンドの髪にさらりと触れた。指先で絡めたそれを口元に運び、うっとりと口づける。
……何か。
何か、非常に生理的な嫌悪感に苛まれ、見ている側のベティがぞわりと背中を粟立てる。
それはシトリンにしても同じらしく、彼女は居心地悪そうに右手で自身の左腕をさすった。
「イーサン様。ベティ様の質問にお答えください」
「やれやれ、無粋だね。これだから混血は」
「!! なっ……!?」
「抑えてシトリン。兄様、あたしからもお願い。おじい様の信じたことって、何?」
あまりな言われように色をなくすシトリンを片手で制し、ベティは問う。
――当然、業腹だ。血がいくら混ざろうと、自分たちは故郷を同じくするエキドナの民なのに。
(なぜ、こんな)
ベティのなかで、温厚を絵に描いたような好青年だった兄の姿がガラガラと崩れ去る。
イーサンは飄々と振る舞った。いっそ、吹っ切れたように黒く歪んだ笑みだった。ロザリンドの寝台に腰掛け、悠々と脚を組む。そのさまに、ふたりとも呆然と目を奪われて。
「エキドナの復興は一族の悲願だ。直系子孫で男子の私は、生まれてすぐにその担い手となった。それは、いずれ適当な親類を夫に迎えて傍系となるベティや、とっくに魔族の血を受け入れた末裔のお前だって知っているだろう?」
「……」
苦い。
おそろしく苦々しい。〝はい〟とも〝いいえ〟とも言いづらく、押し黙るふたりにお構いなしにイーサンは物語る。
血統を維持することに執念を燃やした祖父が、当時、谷の若者と恋に落ちた娘――イーサンとベティの母親を無理やりやもめの叔父と娶せたことを。叔父は高齢で亡くなり、母は産褥で早逝した。その悲劇を。
ベティは、ヒュッと喉を鳴らした。
「うそ……父様と母様は生きていたわ。あたしが十二歳になるまで」
「かわいそうなベティ。彼らは、私たちの養育と教育のためにおじい様が用意した親類の夫婦だよ。お前は知らないだろうが、ふたりとも背中や足首に鱗があった。混血なんだ」
「信じないわ」
青ざめたベティは無意識でシトリンの服の裾を握る。シトリンは主の肩を抱き、キッと眦を強めた。
「では、ベティ様が独断で王女を連れ去ろうとしたのは……」
「養父母を通じて、私のために『そう』動くように仕向けた。失敗に終わったけどね」
「外道っ」
「フン。穢らわしい魔族め」
「やめて……、やめて!」
たまらず、ポロポロと涙をこぼしたベティが大きく頭を振る。「かわいそうなベティ」と、イーサンはまたしても嘯いた。
「おじい様の、最期の仕事はお前たちの脱走だった。せっかく目当ての王女様が谷まで来てくださったんだ。あとは私が直接攫えばいい。ゼローナ人の使節団のうるわしさに、谷は浮き足立っていた。会議をわざと長引かせたおじい様の思惑どおり、エルドラク老の関心は空の監視から魔王の機嫌取りに移った。あとは、お前たちを逃がすだけで時間を稼げる。こんなふうに」
「無理よ。ここにいるって、すぐわかるわ」
「無理じゃない。忘れたのか? ゼローナ王室のすばらしい能力を」
「え……」
イーサンは、眠るロザリンドの顎をもたげた。覚醒を促すように、そっと頬を撫でる。
「彼女に嗅がせたのは『傀儡の香』。在庫はなくなった。エキドナの直系公室に伝わる秘薬でね。こうして意識を失ったあとは、目覚めて最初に命令した人間の言いなりになる。きっと従順な妻になるだろう。転移魔法も喜んで駆使してくれるさ。――さあ、起きて」
「!! だ、だめよ。そんな……!」
ベティの頭のなかで、ありとあらゆる情報がぐちゃぐちゃにせめぎ合う。
悲願はわかる。それでも「止めなければ」と思った。
そんな非人道的な薬があるとは思わなかった。兄は、イーサンは、きちんと手順を踏んで王女を妻にするのだと思い込んでいた。
ベティが信じていた、清廉潔白な兄ならば。
――――気がつけば、ベティは兄に掴みかかっていた。
「なっ、やめないか!」
「シトリン! 谷に行って! 知らせて!」
「べ、ベティ様……しかし」
「しかしもへったくれもないのよ!!」
が、体格と力の差は歴然としていた。細身であっても成人男性のイーサンが本気を出せば、小柄なベティなどあっという間に振り払われてしまう。どん、と突き放され、床に倒れたベティはそれでも諦めなかった。脚にしがみついたのだ。
「このっ」
「シトリン、行きなさ……い!」
「ベティ様!! きゃああっ!!」
シトリンは、とうとう悲鳴をあげた。
イーサンが、ベティを力づくで蹴り上げようとしていた。いけない。そんなことをさせては――!
「ああ、もう……うるさいったら。おちおち寝たふりもできないじゃないの」
むくりと身を起こす紅髪の王女に、場の全員が釘付けとなった。じろりと水色の瞳で睨まれ、イーサンが凍りつく。「嘘だ。なぜ」
「なぜって」
ロザリンドは、しどけなく乱れた結い髪をほどいて寝台を降り、ベティを誘拐犯の脚から引き剥がす。襟首を掴み、無造作にシトリンのほうへ――かろうじて、猫の仔を扱うように。
そうして、傲岸不遜に。
居丈高に言い放った。
「わたしが、そう何度も同じ手に引っかかると思う? ばーーッッか! 息を止めてたわよ。ド変態!」




