強火の皇妃オタク
佐藤エリザベス――あだ名は「ダメ男製造機」。
日本でもっともありふれた名字に対して、なんとも似つかわしくない華美な名前を授けられた宿命だろうか。
ゆくゆくは結婚も、と考えていた相手は実は既婚者だった。
貞操権の侵害、許すまじ。
と怒るよりも先に、「わりい。ちょっと金貸してくれねえ」とATM代わりに使われ、不倫の資金をせっせと貢いでいた。
真実を知り、問い詰めようとするも、逆切れされ、手近にあった包丁で滅多刺しにされた。
佐藤エリザベス享年――本人たっての希望により、年齢不開示。
今後も選択的夫婦別姓が導入されず、夫婦同姓が続けば、およそ五百年後の2530年には日本人の名字が全員「佐藤」になるという試算が発表された。
これは日本で最も多い佐藤姓の増加率と少子高齢化の影響を考慮したシミュレーションであり、名字の多様性が失われる現状を示す研究結果であるが、そんな中、ひっそりと佐藤姓の一人が儚い命を散らした。
一途なスパダリに愛されたい人生だった。
現世への無念がそうさせたのか、佐藤エリザベスは転生した。
ハプスブルク家、最後の皇妃エリザベートに。
「……ハプスブルク家?」
まるで隠密のように存在感のない女官がこの世界の案内人のようだった。
「入間・シュターライと申します。ネトフリきっかけで皇妃エリザベートに沼った皇妃オタクでございます」
「……その知識、大丈夫?」
「あなた様の影となり、時には一心同体となり、お家が消滅し、皇妃が暗殺なされるその日まで、誠心誠意お務めいたします」
「ハプスブルク家って、まだあるの?」
「滅亡します」
「滅亡エンド確定かよ」
「ついでに申し上げますと、皇妃は暗殺されます」
「……は?」
お家滅亡&暗殺エンド。
貢ぎ体質の「悲惨な前世」を「歴史的バッドエンド」で上書きする。
毒で毒を制するが如くの果てしなき宿業に目眩がした。
「ちょっと待って。ハプスブルク家ってなんなの。名前はよく聞くけど、ぶっちゃけよく分からないんだけど」
「――汝、戦争せよ。われは結婚する。それがハプスブルク家の家訓でございます」
元々はスイス辺境の田舎領主に過ぎなかったハプスブルク家がいかにして六百余年続く巨大な王朝となり得たか。
栄華を極めた理由は戦いによるものではなく、巧みな婚姻政策による勢力拡大であった。
女子は近隣諸侯に嫁がせ、本家に男子がいなくなれば傍流から養子を取り、婚姻を結んだ他家が断絶するたびに領地を継承してきた多産にして頑健の家系。
高貴な血筋――「青い血」を守るため、ひたすら近親婚を繰り返してきた一族。
一族の血の純潔を守るため、三親等までの親族と代々結婚し、伯父と姪を結婚させるようなこともざらであったという。
「領土や権力を一族内に留めるため、近親婚を繰り返し、ヨーロッパ中の王族がみんな親戚になってしまった濃ゆい血縁ネットワーク。それがハプスブルク家でございます」
スケールが大き過ぎていまいちピンとこないが、佐藤姓に置き換えたら理解できた。
肉体はエリザベートであっても、魂は依然佐藤のままの彼女が言った。
「巨大な佐藤家みたいな同姓集団ってこと?」
「……佐藤家?」
あまりに頓珍漢な返答をしたからか、王妃オタクの女官もさすがに反応に困ったようだ。
「ハプスブルク家は巨大な佐藤家みたいなものか、と?」
女官がわなわなと肩を震わせているが、なにか逆鱗にでも触れただろうか。日本における佐藤姓の多さとハプスブルク家を同列に語るのはさすがに無理があっただろうか。
ひょっとすると、皇妃オタクには地雷だったのかもしれない。
佐藤エリザベス改め、エリザベート・佐藤は伏し目がちに謝った。
「ごめん。なんか壮大過ぎて理解できなくて」
「そうですね。だいたいそんなもんです」
そんな程度の理解でオッケー、とばかりに女官がしゃあしゃあと言った。
「あ、それでいいんだ……」
ガチ勢ではなく軽めなオタクなのか、女官の執着のなさに拍子抜けした。
エリザベート・佐藤は自身の肉体をまじまじと見つめた。
まだ十四、五歳ぐらいといった瑞々しい肉体に思わず溜息が漏れた。
「……これが私?」
転生したばかりで、いまだ実感が湧かない。
目の前の女官も胡散臭いこと、この上もない。そもそも実体のない影だ。
しかし、魂の器となる肉体だけはとてつもなく上等だった。
まるで叶わぬ夢でも見ているようだが、試しに頬っぺたをつねってみた。
肌があまりにもすべすべしていて、自然な栗色の髪があまりにも美しかった。
エリザベート・佐藤が己の容姿に狂喜していると、女官が転生の目的を告げた。
「そなたは国費を使いまくる自由奔放な王妃となるのです。楽しんだもんがちの皇妃生活。贅の限りを尽くしましょう」
「ええと、暗殺回避とお家滅亡回避を目指すんじゃ?」
「何度やり直しても本能寺は燃えるように、ハプスブルク家の消滅は歴史的必然なのです。暗殺もまた不可避。何をやっても予定された運命から逃れられないのなら、せいぜい楽しんだ方が良いではないですか」
「新解釈すぎん?」
「さあ、世界を愛で満たすのです」
イルマ・シュターライは結婚も修道院行きも拒んだハンガリーの伯爵令嬢であるらしい。
「今、めちゃくちゃ喋ってるの、日本語だけど」
「まあ、設定上は……ですから」
明言こそしないが、イルマもエリザベート・佐藤と同じく日本からの転生体なのだろうか。
「ハンガリーねえ。わたし、ハンガリー語なんて喋れないけど」
「私と皇妃はハンガリーの公用語であるマジャール語で喋っている、という体ですね。日本語にしろ、マジャール語にしろ、ヨーロッパ圏の言語系統とは違うので、誰にも聞かれたくない密談をするのに打ってつけです」
エリザベートは内緒話をする必要性を感じなかった。
「誰にも聞かれたくない話なんてないけど」
「いずれ分かります。ひとまず、皇妃はハンガリーがめっちゃ好き、ということだけ覚えておいてください」
エリザベートの肉体を借りてはいるが、その生い立ちについてはまるで知識がない。
案内役のイルマ・シュターライだけが頼りなのだが、皆まで言わない性質であるらしい。
「私、ネタバレとかぜんぜん構わないけど」
「暗殺の日は確定しています。1898年9月10日、享年60」
「いや、そういうことを言っているんじゃなくて」
「暗殺の手口を知りたいと?」
「まあ、そうね。知っていれば、避けられるかもしれないし」
「……暗殺を避ける?」
気安い空気が一瞬にして凍りついた。
「いや、その……。私、なにか地雷踏んだ?」
オタクという人種には踏み込んではならない領域がある。
いわゆる「地雷」だが、皇妃オタクのなにが地雷か、さっぱり分からなかった。
「続けてご説明しても?」
「あ、はい。お願いします」
イルマ・シュターライは微妙にはぐらかし、あっさりと話題を変えた。
「皇妃の個人情報をおさらいしておきましょう。エリザベートはバイエルン公マクシミリアンの次女として生まれました。愛称はシシィ」
「なんでシシィ?」
「幼名はリジだったけど、より親しみやすいシシィに変わったみたいです。身長は172㎝、体重は43~47㎏、ウエストは51㎝。この体型を生涯キープしました」
「げっ、細過ぎ……」
エリザベートは思わず、自身のウエストをつぶさに観察した。スポーツ少女といった趣の健康的な細さだったが、この体型を生涯キープするなんて、生半可なことではない。
「まあ、このウエストの細さがのちに命取りになるんですけど」
イルマ・シュターライがぼそりと意味深な調子で呟いた。
「えっ、なんて?」
「いいえ。口が滑りました」
こほん、と咳払いして、さっさと話題を変えた。
「シシィには三歳年上の姉ヘレーネがいます。近々、姉のお見合いがあります」
「そうなんだ。私、関係ないね」
「いいえ。シシィも姉のお見合いに付いていきますよ」
「あっ、そうなんだ」
イルマ・シュターライが曰くありげな笑みを浮かべた。
「イルマも付いてくるの?」
「当然です。私は皇妃様の影。どこへでも付いて参ります」
楽しんだもんがちの皇妃生活というが、いちばん楽しんでいるのは間違いなくこの女だろう。
「楽しそうだね、イルマ」
「ええ、それはもう。だって、ぐふっ、ぐふっ、ぐふっ……」
推しの人生を特等席で眺められるのがそんなに嬉しいのだろうか。
皇妃オタクのイルマは気持ち悪い笑みを浮かべていた。




