その3
気が付けば幸守は布団の上で仰向けに横たわっていた。見覚えのある天井。嗅ぎ覚えのある土壁の匂い。生まれてから二十歳過ぎまでを過ごした生家の中でも特に思い入れのある寝室であった。幼少期、幸守は毎夜そこで父と母に挟まれて眠っていた。だが今彼の眼前に居るのは、師匠よろしく歳を取らない式神の女性――髪型までそっくり十七年前のままの代であった。
「説明を頼む」
「バリアー様が連れて来られました」
「ワイズネルラは?」
「残念ながら生きています。バリアー様はあなたを救うだけでいっぱいいっぱいだったと仰っていました」
「そうか」
簡潔で完璧な受け答え。幸守は嘆息しながら、上体を起こした。
「久しぶりだな」
「はい、本当に」
そこから先の言葉を、なかなか切り出すことの出来ない両者。二人の間には、ぎこちない空気が漂い始めていた。幸守が一方的に罰の悪さや気まずさを感じていて、それを察している代もまた彼の感情に感化されている。人の気持ちを察するのがあまり得意ではない代であるが、流石に生まれた時から成人するまで、更にその先何年間もずっと見てきた相手があからさまに発している負の感情には気付けるというもの。
――駄目だ。悪いのは俺なんだから、俺がこの雰囲気を何とかしないと。よし。
「今度、あの店のうどんでも食べに行くか?」
「とっくに潰れちゃいましたよ」
「ああ、そうなのか」
――いや、あの味なら当然だな。
「春竜はどうしている? 生きてるのか?」
「生きていますよ。わけあって今は不在ですが、この家に住んでおられます」
「そうか。継いでくれたんだな、この家を」
今更ながら深い自責の念にかられた幸守は軽く自嘲した。自分の独りよがりな都合によって、人間一人の生き方を決定づけてしまった。負うべきでない責任を総て被らせてしまった。しかもその相手は親友の弟なのだ、と。だが。
「幸守様は、少し早とちりしておられます。真壁の当主は今も幸守様です。春竜君はこう言っていました」
『死んだわけやないねんから、新当主なんか立てても具合悪いやないか。もし本当に死んでもうたら、その時は弟さんを連れ戻して継がせたらええ。決着つくまでは、俺がこの家で留守番させてもらうけど、間違っても俺がこの家の当主になることはないからな』
「と。しかも陰陽道から修験道に鞍替えしてしまいました。師匠に感化されてしまって」
「……なんだ、それは。春よりもおかしな奴に育ったな」
「ともかく現状として春竜君は本当にこの家に住んでいるだけ、という状態です。しかも一年の内半分以上は留守です。留守番をしているのは結局私です」
「ふうん」
子供の時から春竜は自分で自分の道を選びとっていた。それに安堵する反面、何れにせよ彼の人生を歪に決定づけてしまったことには変わりないと、幸守は曖昧な反応を示した。しかしそれでも、ほんの少しだけは、彼の心持が救われたことには違いない。
複雑な気持ちのやり場に幸守が困っていると、不意に、
「ああ、そう言えば」
如何にも『今思い出しましたよ』という風な大げさな手振りを交えつつ、代が喋り始めた。
「バリアー様から言伝がありました。『十七年分の授業料として、君が暴いたワイズの情報を貰っていく』だそうです」
「そりゃまた、随分安い授業料になったな」
はにかみながら。幸守がそんな冗談を言っていると、やにわに代の目つきが険しくなる。そしてそんな目つきとは正反対に弱々しい語調で、彼女は懇願する。
「幸守様、生きてください」
「……分かってるよ。これ以上、お前にも春竜にも弟にも迷惑はかけられないしな」
「本当ですか? またワイズネルラに挑もうとするおつもりでは?」
「馬鹿な。後悔はしていないが、もう懲りたよ。あちらからまた仕掛けてくるのなら別だが、恐らくそれはないだろう。既に第三者が介入してしまった以上、俺を殺したところで口封じにもならないからな。わざわざ俺を探し出してまで殺しにくるような真似はしないだろう。奴の時間は限られているのだし」
「それを聞いて安心しました。では早速ですが、幸守様」
言いながら代は、少し自分の身体の位置をずらす。すると彼女の背後に隠れていたものが露わになる。
「なんだそれは?」
「最近三年分のお見合い写真です。既に他へ嫁がれてしまった方々を除いてもまだ二十人分あります。幸守様も、もういいお歳なんですから、跡取りを作れる内にちゃちゃっと決めちゃってください」
「俺の生涯が一番無茶苦茶だな」
だがそれも自業自得だと思えば、幸守の内に湧き起こる感情は何故か後悔でも諦観でもなく、安堵なのであった。
◇
――――同じ頃。真壁幸守が十云年間を過ごした某孤島。命がけの救出劇をやってのけ、早々に逃亡したバリアーは。
「三百年かけて造った『万能第五要素』の欠片をあんなことに使う羽目になるとはな。まったく……我が子孫ながら高い命になったもんだ。〝屑未満〟なら気兼ねなく見殺しに出来たんだがなあ」
言葉面こそ口惜しそうでありながらも、晴れ晴れとした顔で、そんなことを言っていた。三百年分の尽力の結晶を、せいぜい四十年の付き合いである人間を助けるため、目晦ましのためだけに使ったことを、彼は少しも後悔していなかった。