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Five Knives  作者: 直弥
第四章(乙)「死傷の代償」
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その1

 真壁幸守とワイズネルラの戦いと、ほぼ時を同じくして、もう一つ大きな事件が起こっていた。


 地球上の大半から姿を消してしまった有袋類が、今なお多彩に生息する、南半球のとある大陸。その上空に、明朝、一頭の赤いドラゴンが飛来した。空を覆い隠すほど巨大なドラゴンの存在に、しかし人々は気付いていない。朝早くから仕事を始めている者も、散歩をしているだけの者も。


 ドラゴンは――妖精の多くがそうするように――姿を消して飛んでいるわけではなかった。だが雲よりもずっと高く、成層圏の高位を飛行していたのだから、地上の人間の目に映るはずもない。


 ――ん、結界に入ったか。この辺りだね。しかし寒い。


 まったく人気のない土地にまでやって来たドラゴンは急激に高度を下げ始めた。申し訳程度に草が生え残っているだけの半砂漠地帯の一角にぽっかりと空いた大穴。そこが、吸血鬼たちの一派閥が棲む洞窟の入口であった。


「これでよく中が砂に埋もれないもんだね」そんな感嘆を漏らしながら、ドラゴンは穴に向かって叫ぶ。「ちょいと、誰かいるかい?」

 直後、ヒトの形をした何かが穴から跳び出してきた。それはドラゴンの身体さえ飛び越えて、一瞬の内に背後を取った。

「やたらデカい奴が侵入した気配を感じたと思ったら、アイン・ドラゴンとはな」 息を呑むドラゴンの背後で、言葉を紡ぐ何か。

「竜巣域の霊獣が物質域に何の用だ。……ゼファロなら留守だぞ?」

「知ってるさ。用があるのはアンタたちが囲っている人間の方だ」

「……事情に詳しすぎるな。どこかでゼファロに訊いたか? 何れにせよただのアイン・ドラゴンじゃないな。何者だ?」

「クローヴ・アイン」

「!?」

 背後にいる者の動揺を感じ取ったドラゴンは、この瞬間を逃さぬようにと畳み掛ける。

「アンタたちがカレンと名付けて育てている人間については、アンタたちよりも、カレン自身よりも、ワタシが一番よく知っているつもりだよ。なにせ、その子が生まれる前から知っているんだから」

「お前が本物の始祖竜どうかは置いておいて。ちょっと待ってろ」

 叫ぶようにそう言うと、何者かは再び穴の中へ戻っていった。ちょうど飛び出してきた時の巻き戻しのように。ドラゴンの巨体を飛び越えて。その正体は、道着姿で坊主頭の男であった。


 道着姿に坊主頭という武道家然とした恰好。吸血鬼として異色揃いなゼファロ派の中でも更に一際異彩を放つ男ゼンは、早足で大広間へ向かっていた。来訪者の正体が正真正銘の始祖竜クローヴ・アインであると、彼は殆ど確信していた。その上で、いやだからこそ混乱していた。


 ――始祖竜がカレンに用事だと? 何か気になることも言っていたような気もするし。……まともじゃないことが起きようとしてるのは確かだな。


 まともではないことが確定的であっても、せめて碌でもない事態ではないことを祈りつつ、ゼンは大広間へ辿り着いた。そこには既に洞窟中の吸血鬼たち足すことの人間一人、総勢にして十三名(ゼン除く)が集結しており、中にはせっかちにも臨戦態勢に入っている者さえいた。


「誰だった? というか、何だった?」

 口火を切って訊ねたカブに、ゼンは、

「お客さんの正体は始祖竜クローヴ。カレンに用事があるんだと」

 思案することも繕うこともなく、ただ端的に事務的に答えた。ざわつく吸血鬼たち。大半の者は『始祖竜?』『おい今日は四月一日だったか?』などと、クローヴの来訪に対する反応であったが、キリとカブを含む少数の者は、むしろゼンの発言の後半にこそ耳を疑っていた。ところが。

「クローヴさんって誰?」

 当事者の少女――キリの隣に立っていたカレン(頭の先がちょうどキリの肩辺り)が一番状況に置いていかれていた。

「……まあ、会ってみりゃ分かる」

「ちょっと待ってよ。会わせる気なの? 幾ら相手が始祖竜だからって、信用出来るとは限らないわ。もうずっと物質域に干渉してなかった奴よ? 何を企んでるのか分からないじゃない」

「だからって門前払いじゃ具合悪かろう。後々面倒なことになりかねないぞ」


 あちらこちらから意見が飛び交い、場は紛糾する。各々の立場の声が段々と大きくなっていく。相変わらず蚊帳の外にいておろおろとしている当事者をよそに。いよいよ収拾がつかなくなりかけていたその時、

「そもそも、クローヴともあろうもんがカレンに何の用事があるんだよ。何も訊いて来なかったのか?」

 一人の男が発した言葉によって一同の視線がゼンに集まった。静寂に促されたゼンが答える。

「それがわけわかんねえんだよ。カレンのことはカレンが生まれる前から知ってるとか、気色の悪いこと言ってやがる」

「え」

 声を上げたのは、カレンであった。そこでようやく吸血鬼たちは彼女を無視して話を進めていたことに気付き、そちらへ視線を移した。十三人分の視線を一身に集めるカレンの口から、結論が下される。

「私、会いたい」


 一分の後。カブ、キリ、そしてゼンを含む十三人の吸血鬼と一人の少女が、ドラゴンの前に立っていた。緊張した面持ちのカレンがその中心にいたが、彼女の左右体側にはカブとゼンがそれぞれ立っていた。そして彼氏彼女らのすぐ後ろにキリたちが控えている。


「……なんだい。まさか、全員出てきたのかい?」

「まだ薄暗いしな。次代も混血も全員集合だ。さあ、始祖竜、話してもらおうか。お前がカレンの何を知っていて、そしてカレンに何をさせようとしているのか」

 自身の何十倍もの体躯を持つドラゴンに向かって、ゼンは啖呵を切る。カレンを庇うようにして立つゼンたちも警戒心を隠さない。

「やだねもう。怖い顔してさ。あんまり居心地もよくないから核心から入るよ」

 そう言うクローヴの視線がカレンを捉えた。息を呑むカレン。

「カレン、アンタは二つの魂を持っている」

「へ? 二つの魂、ですか?」

「ああ、そうさ。今から十七年前、ある殺人者によって一人の少年が殺害された。その少年の遺体に、前世の記憶を持ち越したまま生まれ変わると言う『転生術式』が施されたんだが、魂は既に肉体から剥離し始めていたから、術式は不完全になってしまったんだ。その結果生まれたのがアンタだよ」

「ええっと」

 クローヴの言葉の意味を理解し切れていないカレンは、カブに助けを求める視線を送る。が。

「即行式の『転生術式』は普通、まだ魂が降りていない胎児を次の身体に選んで転生するもの。そいつに失敗して、もう魂の降りた赤ん坊を次の身体としてしまったから、本来の魂に、先の少年の魂が融合したってことか?」

「そういうことだね」

 またもカレンを置き去りにして、カブとクローヴの話が進み始めていた。だがそれを止めたのはクローヴであった。

「まあ難しいことはさておいて。カレン、アンタ、自分の中に別の自分がいるような感覚を味わったことはないかい? 具体的なことを言えば、知りもしないはずの記憶を回想してしまうことは?」

「あ」

 身に覚えがあり過ぎて、カレンは思わず声を漏らした。回想、特には夢であるが……。


 赤ん坊の頃、自分の居た集落がワイズネルラという名の殺人鬼によって滅ぼされたということは、カレンも、育ての両親から聞かされて知っていた。運命の悪戯、というよりはある老吸血鬼の悪戯によって自分だけが生き延びたことも。だからそういうことを夢に見てもさほど不思議には思わない。ヒトから聞いた話を基に自分なりの想像で形作ったものを夢に見ているに過ぎないのだから。


 しかしたとえばまったく見覚えのないはずの人々が頻繁に夢の中に現れるのはどういうわけか。しかも彼らは、想像するしかない実の父や母が夢に現れる時よりもずっと確かな輪郭をもっていたのだ。


「あれは全部、前世の記憶……」

「んー、正確に言うと、丸っきりアンタの前世ってわけじゃないけどね。アンタの人格を形作っているのは、あくまでアンタの身体に本来から宿っている方の魂だから。さっき言った少年の魂はいわば眠っている状態なんだ。眠りながらも干渉はしてくるから、それがアンタの記憶をおかしくしている」

「は、はあ……」

 まだ理解し切れておらず曖昧模糊とした生返事をするしかないカレン。彼女の代わりに、まだ冷静を保てているキリが、

「ねえクローヴ・アイン、どうしてそんなことをアナタが知っているの?」最もな疑問を口にした。「まさか『転生術式』を施したのは」

「ワタシの同胞だよ」

「ああ、なるほど。って、それだけにしては知り過ぎているでしょう。なにか余計な術式も混ぜたんじゃなくて?」

「いや、大体の事情は何年か毎に放っていた偵察から知ったんだ」

「偵察ですって?」

 キリは眉を潜める。


 ――カレンを預かったあの時から、新参者を加えてもいなければ客を迎えてもいないはずなのに。いや、クローヴの知り合いの妖精や魔術師の中になら、私たちのことなんて簡単に欺けるのがいても当然か。だけど。


「どうしてそこまで。その、十七年前に殺されたっていう少年は何者なの?」

「ただの人間だよ。魔術師ですらない。ただ、その少年を殺したのはワイズネルラの手先だ」一瞬にして張り詰めた場の空気。その機を逃すまいとしてか、クローヴは捲し立てる。「もう全部言っちまうと、ワタシはそのカレンを利用しようとしているんだ。カオスとの交渉材料にね」

「カオス……ソウ=ソフ・カオスか」

 カブでもゼンでもない男がその名を口にすると、クローヴはこくりと頷いた。

「ワタシはワイズネルラの存在が許せない。だけど、アレとまともに戦えるような数少ない存在であるカオスは、その気を起こしてくれない。そこで、実際に一度ワイズネルラに殺された人間をカオスとの交渉の相手に誂えようとしたんだ。カオスだって鬼じゃあないからね。被害者本人の言葉なら、心を動かせるかもしれないと思ったのさ」

「そう簡単に動く心なら、とっくにワイズネルラと戦っていそうなものだけど」

「いや、そうでもない。アイツは関係者の言葉なら黙殺するが、当事者の言葉にはむしろ耳を傾けがちなんだ。今までさすがに、ワイズネルラに実際に殺された人間がカオスとの交渉に赴いたことはなかったからね。何かは変わるはずだ」

 自信ありげに言い切るクローヴだったが。そこへ。

「こらこら、理屈ばっかで勝手に話進めてんじゃねえ」ゼンが口を挟む。「カオスがどうとか知ったこっちゃない。カレンがどう思うかが問題だろ」


 その言葉は、場を静まり返らせるのに十分な力を持っていた。

 とどのつまり結論を下すのはカレンなのだ。クローヴがどれだけカレンを連れて行くことを望んでも、カレン自身が望まない以上は腕ずくでもクローヴに帰ってもらう。その点においては、ゼン以外の吸血鬼たちも皆同意見。そんな彼らの意思はクローヴにもひしひしと伝わって来ていた。


 ――参ったね。今ここにいる連中一人一人がワタシを軽く超える力を持っているじゃないか。強引に連れて行くのは無理かな。


 各地の同胞たち全員を集めても五十人ほどにしかならないゼファロ派が、数百人規模を誇る他のヴァンパイア派閥と並べ評されるのは、何もボスの力だけによるものではない。


「どうするの、カレン。あなたが自分で決めなさい」

 キリが改めて問い掛ける。返答によっては、これが別れの始まりとなるであろうことを感じている覚悟の籠った声。そのことに気付いたカレンは、迷いを振り払うようにして答えを出す。

「私、行くよ。行かなきゃ、いけない」

「それはあなたの意思? それとも前世の意志?」

 縋るようなキリからの問い掛けに、カレンは首を横に振る。

「分からない。分からないけど、行かなきゃ絶対に後悔するってことだけは分かる。だから」

「分かった。私はもう止めない。あなたの人生を決めるのはあなただって言ったのは、私だものね」

 少し寂しそうにキリは言った。カレン自身の決断と、彼女に最も近しい所にいつもいたキリの答えに、異論を挟める者などいようはすがなかった。


「決まったみたいだね。じゃあ、行こうか」

 安堵する様子でそう口にしたクローヴに、カレンは「はい」と頷いて、一歩二歩と足を踏み出し、歩み寄る。近付くにつれて更にその巨大さが分かるドラゴンに圧倒され、怯みそうになりながらも、後退さることはない。そんな彼女の背中に、どこか焦った様子で声を掛ける男が一人いた。

「なあ、今ってワイズネルラが実際に活動してるんだろ? まさかとは思うが、鉢合わせになったりしないだろうな」

「心配は要らんさ。ワタシは能力で移動するから」

「ああ、そう言えばお前はそういう力を持っていたな」


 移動中という過程を無視し、到着という結果を引き起こす絶対能力。要するに瞬間移動。


「大丈夫なんだろうな? 間違って変なところに出たりしやしないだろうな?」

「失敗があるようなら絶対能力なんて呼ばれないよ」

 そう言われては黙る他なく男は口を噤んだ。

 カレンはもう、クローヴの足元にまでやって来ていた。極度に緊張していることが一目瞭然な彼女に、クローヴは声を掛ける。

「そう怖がることはない。幾らなんでも、外へ出るのが初めてってわけじゃないだろう?」

「それは、そうですけれど」


 ワイズネルラの封印期間中には随分と様々な場所を周ったカレンであった。が、それはキリやゼンといった同伴付で彼女彼らの知人に会いに行くという程度。初対面の竜に連れられて初対面の相手に会いに行くのは無論経験のないことである。まして今回はただ会いに行けばいいというものではない。


 何百何千何万という人間の命がかかっているかもしれない交渉が、これまでおよそ責任という言葉とは無縁であった少女に課せられている。怖くないはずがなかった。そうでなくとも彼女はまだ生来の臆病を克服できていないのだ。

 

 それでもやはり。行かなければと、固く心に決めていたから、

「う、うううっ! ようし!」突然そんな声を上げて、カレンは自分の頬を両手で挟むようにして二度叩いた。皆が呆気にとられている中、改めて決意を口にする。「行きましょう!」

「あ、ああ。じゃあ」引き攣った声のクローヴが、カレンの服の裾を咥え、ひょいっと自分の背中に彼女を乗せた。「飛びながらじゃなきゃ使えない能力だからね、とりあえずはしっかり掴っておきな」

 

 ――ええっと、どこに掴れば……って、あれ?

 

 爬虫類よろしくの鱗肌を予想していたカレンであったが、

 

 ――ふかふかしてる。

 

 実際にクローヴの背は、羽毛めいたもので覆われていた。


 「さあ、行くよ」


 宣言とともにゆっくりと翼を動かし始めるローヴ。羽ばたきによって生じた風が吸血鬼たちの身体を撫でる中、彼女の身体はゆっくりと浮かび上がっていく。


「みんな、行ってきます」

「おう、気を付けてな」

「ガツンとかまして来なさい」

 皆がそれぞれに、カレンを送り出す激励の言葉をかけるなか、

「一度は必ず、帰って来てね」

 ただ一人キリだけが、そんなことを口にした。カレンは

「うん、絶対に」

 と頷いた。その間にもクローヴの身体はますます宙高く浮かび上がり、やがて、何の前触れもなく消失した。


「今更だけどさ」

 残された吸血鬼たちの内の一人の男が、ぽつりと漏らす。

「こっちも付き添いの一人ぐらいつけた方がよかったんじゃないか?」

 カブ、彼に答えて曰く。

「あいつにとっての通過儀礼みたいなもんだからな。保護者同伴はおかしいだろう」

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