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Five Knives  作者: 直弥
第四章(甲)「師承の代償」
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その2

 夕方、南米大陸の某所。

 十五世紀半ばから約百年間続き、果てに征服者によって滅ぼされたかつての帝国文明――太陽の化身とされた皇帝が治めていた国。その遺構のひとつをワイズネルラが眺めていた。征服者たちによって大部分を破壊され、異教の神を讃えるものに造り変えられた神殿を感慨深げに見つめながら、彼は呟く。

「前回はテテのせいで見に来ることも出来なかったが、本当に滅びていたんだな。あの時、折角見逃してやったというのに」

 堂々と掲げられた十字架を眺めつつ、ワイズネルラは嘆息する。嘆息しながら、その十字架の上に立つ真壁幸守に話しかける。

「そんなところを教会の人間に見つかったら挑発のつもりかと疑われるぞ」

「構うものか。今日日の教会に何が出来る。『連合』の最弱組織と敵対するのが精々な連中だぞ」

「彼奴等も落ちぶれたものだ。かつてはかなりの脅威だったのに」

幸守からやや視線を下ろして、角の欠けた十字架を見ながらワイズネルラは言う。郷愁を覚えているようなその口ぶりと態度を意外に思いながら、幸守は話しかけ続ける。

「今は彼らのことなどどうでもいいだろう。それよりお前だよ。殺人狂が、生者も死者もいないこんな場所にいつまで居る気だ?」

 普段ならば大勢の人間で賑わっているこの地であるが、確かに今はとても静かであった。教会内部にも中庭にも、幸守以外に人間はいない。

「こんな風に文明の遺構を眺めるっていうのは結構好きでね。少しばかりの休憩のつもりだったのだが、陰陽師に遭うとは思っていなかった。わざわざかの国の真裏へやって来たというのに、まるで無意味だったか。あの結界には監察の術式でも仕掛けられていたのか? まさか偶然でここにいたわけじゃあるまい」

「偶然なわけがないだろう。どんな奇跡だ、それは。しかしお前を封じていた結界に関して俺は関与していないからな。そちらの予想もまた違う。事はもっと単純だが、話してやるつもりは毛頭ない」

「そりゃそうだろうな」


 至極当然な話。

 騎士同士の正統な闘技でもあるまいに、戦う前に己の手の内を敵に晒すような愚行は有り得ない。機略一つも漏らし難い――たとえそれが実戦闘において直接係わりのない事柄であったとしても。癖一つが命取りになりかねないのが真剣勝負なのだから。


「オレが雰囲気だけで看破出来るのは、大雑把な魔術系統ぐらいだ」

 ワイズネルラが呟く。現に十七年前、彼は、青木春の中にいる青竜の存在にすら気付けなかった。

「今分かっているのはオマエが陰陽師であることと、ここに人除けの結界が張られていることだけだな。差し詰めは隔絶系の空間結界か」

「結界に気付いていながら侵入して来たのか。余裕だな。でも安心したよ。結局、お前はその程度ってことだからな。では、これ以上悟られる内に始めようか」


 宣言と同時。

 高く垂直に飛び跳ねるワイズネルラ。

 彼の足元は音もなく地割れを引き起こしていた。


「っ」

 ヒト一人容易く呑み込めてしまう底なしの割れ目を瞬間的に造り出した幸守は、同じ瞬間に飛び降りていた。必然、接近するワイズネルラと幸守。先ずワイズネルラの殴り拳が幸守の腹に激突する。

「うぶっ」

 血の混じった唾液を吐き出した幸守は、しかし退くことをせず、ワイズの腕を掴んだ。刹那、破裂音。

「ぐっ」

 幸守の手を振り払ったワイズネルラが、苦し紛れに幸守を蹴ってから後方へ飛び退く。割れた地面を警戒してなのか塀の上に立った彼の右腕には、ぐるりと、生々しく真新しい火傷の痕。遠目にはブレスレットを嵌めているように見えるかもしれない。


 一方、ワイズネルラの蹴りがほんの少し腹を掠めただけであるはずの幸守も渋い顔をしていた。見ればワイズの腕を掴んでいた彼の掌は、地雷をぶっ叩いたかのように壊れていた。人差し指と小指は根元から完全に吹き飛んでいて、中指も第一関節から上が失われていた。手の平の皮はポップコーンのようにはじけ破れていて、黒焦げた血肉が覗いている。幸守が破裂させたのはワイズネルラの腕ではなく、自らの掌であった。


「こんな古典的な手を使う人間がまだいたか」

「古典的な殺人鬼に合わせた手段を使っただけだよ、ジイさん」

 四十歳が二千歳に言う台詞とあっては挑発にもならないが、ともかく幸守が単なるやけっぱちでないことはワイズに伝わった。

「オレと心中でもする気か」

「無理心中か。出来るものならそれでも構わないけどな」


 淡白な言い方であるが故にはったりでないことも明らかな幸守の言葉は、しかし別段にワイズを驚かせることもないはずである。文字通り捨て身で彼に立ち向かって来た人間が、今回だけでもうどれほどいたことか。もとより、ワイズネルラに十のダメージを与えるために三十のダメージを被らなければならない幸守では脅威にも値しない。そのはずであるのに、ワイズの顔は渋かった。


 十七年前の戦いで、春を〝一番厄介な相手〟としたワイズ。その真意はどこにあったのか。春とゼファロの間にどんな差があったというのか。


「訊くが」渋い顔をしたままのワイズが口を開く。「痛くないか?」

「何が。手のことか? そりゃ痛いに決まっているが、勝負に支障を来すほどでもないな」

「そうか。これでもか?」

「!? ぐ……っ!」

 まったく突然に、幸守の手を激痛が襲った。先ほどからずっとあったような痛みではない。正体を失ってしまいそうなほどの狂った痛みを味わいながら

「日の輪こそ、成り長け過ぎる、縁となれ」

 幸守は呪文を詠んだ。ワイズの立っていた塀の中から蔦が飛び出して来る。穴ぼこになった塀は崩れ落ちる。崩れ切る前に塀から飛び降りたワイズネルラを、再度の地割れが襲うが、彼は空中に留まることで逃れていた。そのまま――宙に浮かんだまま戦闘を再開させるワイズネルラ。

「っ!!」

 浮遊しつつ突進を仕掛けられた幸守は、眼前でワイズの身体が真っ二つに割れるのを見た。左右から繰り出される拳。だが実際に幸守を殴り付けたのは、正面右手の拳だけであった。吹き飛ばされた幸守は、しかし教会にぶつかる寸でで踏み止まった。抜け落ちた奥歯が二本、血とともに吐き出される。

「よくその程度で耐えられたな」

「『硬化』だとか衝撃を軽減する術は得意なんでな。ああ、魔術も使えない能力者のお前にとって厭味に聞こえたなら悪かった」

「なに?」

 ワイズネルラは、聞き捨てならない言葉を浴びせられたとばかりに幸守を睨み返す。

「隠すなよ。こっちにはもう分かってるんだ。お前は能力者だ。それも絶対能力者。それ故に魔術を碌に使えない。違うか?」

「何を言い出すかと思えば。今まさにお前に魔術を使ったところだろうが。分裂したオレが見えなかったのか?」

「見えたからおかしいんだ。あれは魔術ではなく暗示だろ? あの瞬間に限ってお前が魔術を使えるはずないんだよ。あの一瞬、俺はお前に対して『絶魔』を使ったんだから」

「『絶魔』だと?」

 ワイズの顔が引き攣る。


『絶魔』。それは読んで字の如く魔術を絶する術式。魔術に拠って魔術を絶するという矛盾を孕んだこの術式を成功させたものは、過去数人しかいない。


「……騙りではないようだな。ヒトの身に余るものだぞ」

「ああ。分かってるさ」

 応えながら幸守は、ああそう言えば師にも同じようなことを言われたな、と思い出して苦笑した。

 

    ◇

 

 十五年前。これまでのワイズネルラについての情報を大凡調べ終えた幸守が、師のバリアーに教えを乞いた時のこと。


「『絶魔』だあ? 起きながら寝言を言ってるのか、君は。あれがどういう仕組みの術式か分かってるのか?」

「分かっていないから教えて欲しいんです」

「はあっ……」

 これ見よがしに大きな溜息を吐いたバリアーが、更に頭を抱える。

「あれはな、魔術の効果を打ち消すというものじゃない。魔術を行使するために放出された魔力を、そもそも放出されなかったことにする術式だ」

「えっと、つまり、過去を改変するということですか?」

「近いがな、微妙に違う。正しくは改竄だ。例えば報告書なんかの内容を偽装しても、事実まで変わるわけじゃないだろう? それと同じ。魔力を放出したという事実を打ち消すのではなく、揉み消すんだ。通用するのはリアルタイムで行使されている魔術に対してのみ。こちらが『絶魔』を行使する前に発動済みの魔術には対応し切れない。目に視える結果が出てしまった物に対しては、どうやっても誤魔化しが利かないってことさ。同じように、過程抜きで結果のみを引き起こす『絶対能力』にも通用しない」

「限定的にとは言え、世界を騙すということですか」

「そういうことになるな。世界を騙すという事は創造主を騙すことにも等しい。ヒトの身に能わざる術式だ。私だって理論を知っているだけで実践は出来ないんだ」

「なら、俺がそれを使えるようになったら、ある意味であなたを越えたことになるわけですね」

「……君のそういうところは嫌いじゃないな。だが結果を示さなければ単なる阿呆の戯言に終わるぞ」


   ◇

 

 そして結果は示された。世界を騙し、創造主をもペテンにかける術式を、不老不死にもなっていない人間が寿命の内に習得し、実現化したのである。


「なんてこったよ、まったく。執念などと言う言葉では到底足らない、まさしく呪念だな」呆れ果てながらの感心。「にしても何故、オレの業が絶対“能力”だと断言できる? 『絶魔』は第二優先魔術のはずだ。絶対“魔術”でも突破できるだろう」

「お前が絶対能力者だっていうのは元々当たりをつけていた。お前と戦って生き延びている魔術師や妖精から話を蒐めたが……お前を魔術師と考えると一芸特化過ぎる」

「一芸特化の魔術師など珍しくないはずだがな」

「度が過ぎるという話をしている」

「そこまで自信を持って言うなら、肝心なオレの絶対能力とやらは何か分かったのか? 空を飛べることか?」

「馬鹿らしい。そりゃ身体能力の一つだろ。羽がなくとも空を飛べる妖精や妖怪なんて珍しくもない。お前の持つ固有能力は〝痛みを操る〟ことだ」


 過去にワイズネルラの戦いを目撃した者、或いは実際に戦って生き延びた者たち(無論その多くは人間ではない)から徹底的に情報を集め、検証し、仮説を立て、此度の実践により、幸守が導き出した解答に、


「ふむ。もはや騙し通すことは出来ないか。はっ、ははっ!」

 図星を突き破られて、ワイズネルラは笑う。

 二〇〇〇年近くもの間、彼はずっと世界中の魔術師たちを騙し通してきた。能力者であることを隠し、魔術を使えないことは、磨き抜いた暗示の技量によって誤魔化してきた。それを、彼からすればまるで年端のいかない人間に、完膚なきまでに看破されてしまうとは。

「……じゃあ、殺すか」

「どっちにしろ殺す気だったんだから、じゃあも何もないだろ」

 悪態を吐きながら、幸守は膝をついた。たった一瞬の『絶魔』の行使によって、魔力はおろか体力も臨界点を突破していた。そんな彼の元に、厭らしくもゆっくりとした足取りで殺人狂が歩み寄ってくる。


 ――これでいい。最上だ。望みは果たした。


 死が間際に迫っている中、幸守は満足していた。彼はただワイズネルラに一泡吹かせたかっただけ。その目的は十二分以上に達成された。ワイズネルラの二千年を僅か数分でぶち壊してやったのだから上等すぎる。折角手にした値千金のこの情報を広めようと言う気すら、はなっから彼にはない。彼はただ己の意地のためだけに戦って、その結果を残した。思い残すことなどない。はずなのに、どうしても浮かぶ顔がある。


 ――戦う前に、一度くらい会っておけばよかったかな。


 この期に及んで彼は想う。十七年前に別れて以来一度たりとも会うことのなかった二人を。代を、そして春の弟・春竜を。実際には幾らでもその機会があったはずなのに、ワイズネルラとの戦いに向けて一分一秒も無駄には出来ないという意地だけで結局ずっと再会することのなかった彼女たちのことを。


 ――オレも大概、生き汚いな。


 続いて浮かんだのは春の顔で。


『お前、俺が捨て石扱いになった時はあんなに怒ってたやないか。そのお前がなんでこんな真似してんねん?』


 錯覚だろうとなんだろうと、その言葉が幸守の耳に届いた直後、彼の眼前を掠めて、砂粒より少し大きい程度の赤い砂利がひとつ落ちてきた。続いて鼓膜を突き破らんばかりの金属音。


「きさっ……バリアー……ッ!!」

 憎悪に満ちたワイズネルラの口から師の名前を聴き、

「死ぬな、屑が」

 その師に叱咤されながら、幸守は意識を失った。

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