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Five Knives  作者: 直弥
第三章「不死なる山椒魚」
24/47

その6

 ――くそっ、場所としちゃ最悪やな。

 見渡す限りに広がる、平原と荒野の中間と呼ぶべき場所。季節上、緑よりも薄茶色の多い光景は、殺風景もいいところ。

「どこでもええ言うたけど、まさかこんなとこまで連れて来られるとは思えへんかったわ」

 古戦場。三百年前、人間同士が戦い殺し合った場所。信念と忠義で人々が散っていったこの地を戦いに選んだのは、信念ではなくただ生理的な欲求のためだけに殺人を行う人外、ワイズネルラ。彼は春の文句など気にもせず、意味深長な面持ちで辺りを見ている。

「予想よりずっと瘴気が少ないな。こういう場所では発生し易いものじゃないのか」

「知らんがな」

 素っ気なく。春は答えた。先に自分の言葉が無視されたことへの子供じみた仕返しなのか。

 ワイズはワイズでただ「そうか」とだけ生返事し、話題を変える。

「やるか」

「おう」

 張り詰めた空気。立ち尽くしたまま睨み合う両者。否、睨んでいるのは春だけで、ワイズネルラはと言うと、にやけた面構えを湛えている。それが春の癇に障る。

 ――余裕かいな。

 ぎりりと歯噛みしつつ、春は陰陽術を行使するための準備を始める。

 西洋魔術、錬金術、陰陽術。総称して魔術と呼ばれるこれらの術式は『魔力』を源とする神秘。『魔力』とは本来、魄より湧出して魂へと送られ、人間や妖精の理性を律するという目的にのみ使われるもの。この自然を強引に捻じ曲げ、理性を律する以外の目的に『魔力』を使用するのが魔術。文字や言の葉、意思を媒介として魂魄及び肉体の外へと放たれた魔力は、物理法則を超越した奇跡を引き起こす。

「いてこませ」

 集る羽虫を振り払うようにして。春が自分の顔の前で手を振るった。瞬間、ワイズネルラの足元が揺れ動く。さてここからどういった攻撃が繰り出されるのかと、ほんの一瞬、思案しようとしたワイズネルラの頭を、春が掴んだ――大きな術式を仕掛けたように見せかけた春の行動は半ばハッタリ。コンマ二秒だけワイズの隙を作り出した彼は、その間にコンマ一秒で距離を詰めていた。『第一の壁』を越えた魔術師だからこその、ヒグマも青褪める臂力を全開にし、一切の容赦も加減もなく、掴んだものを地に叩き付けた春。巻き上がった砂塵が晴れた時、深い円錐型に抉れた穴の中に、彼一人だけがいた。

 ――!!

 何らかの気配を感じ取り、刹那に穴から脱する春。直後、天上から降ってきたワイズが、無人となった穴の中心に突き刺さった。

 睨み合う両者。見上げるワイズネルラ。見下ろす春。どちらともなく白い歯を見せた後、激突が再開された。穴から跳び出したワイズネルラに向けて、春が右掌をかざし叫ぶ。

「遣らえ」

「っ!?」突風に煽られたが如く、ワイズネルラが吹き飛ぶ。それを追う春。「ぐっ」

 春の拳がワイズネルラの頬を打つ。今度こそ地面に叩きつけられ、弾みをつけ、ワイズネルラの身体が一際遠くへ弾き飛ばされる。その間隙を突いて、春は掌を地面に当てる。

 ――ここで喚べるか?

「水で錆び、火に縁り朽ちろ、桎梏よ」

 思案しながらも春が早口で呪文を唱え終えると同時、隆起した地面が巨大な犬の頭となってワイズネルラに喰らいつかんとする。

 しかし。腰を落としたままのワイズは、自身の身体の倍近くはある巨大な犬の頭を、ただ一撃の掌底によって破壊した。無残に崩れ去ったそれは、ただの砂粒となって降り注ぐ。

 ――やっぱり〝土〟とは相性悪すぎる。せめて木の一本でもあったら……っ。

 言い訳がましく。春が心中で愚痴っていると。

「――うっ!」

 まったくどういう間隙か。砂で形作られた犬の頭を破壊したことで生じた砂塵に紛れて突進を始めていたワイズネルラの蹴りが春の頬を掠めた。神業的な反応で間一髪、直撃は免れた春だったが、切り傷。冷や汗が噴き出す。当たれば確実に首をもがれていた、と。

「少しくらい油断して欲しいもんだ」

「死ねって言ってるのと一緒やろ、それ」

 もっともな文句を吐きつつ後方へ跳躍し、ワイズとの距離を取ってから、右手の薬指で右目をなぞる春。僅かに涙で濡れた指先で触れられた途端、彼の足元に生えた雑草が、急激な成長を始める。せいぜい大人の膝の高さ程度までにしか伸びないはずの、雑草の代表格メヒシバが、根を張ったまま伸長し続け、化物じみた奇怪な動きでワイズネルラに向かって襲い掛かる。まるで細長い蛇が絡まり合っているような異様。

「陰陽術か。『蓬莱山』の連中が使う術にどこか似ているな。それにこの前のあの大男とも」

 悠然と感想などを述べているワイズネルラに、春が、何度目か分からない苛立ちを覚えていると、不意に、不可思議な感覚が彼を襲った。

 ――あれ、おれ、なにやってんや?

 ワイズネルラに向かっていたはずの草が、今は春を取り囲んでいた。

「っ!」

 我に返った時にはもう遅い。草は春の身体を締め付け始めていた。

 ――なんでやっ、くそっ! なんで俺は〝俺を絞め殺せ〟なんちゅう呪言を!

 訳も分からず自害しかけた春は、とにかく草を振り解こうと力を込めるが、魔力を帯びて鉄鎖以上に強固となっている雑草はそう簡単に引き千切れない。

 ――あ、アホか俺は! 自分で掛けた術なんやから自分で解けばいいんや。

 さもありなん。動揺の余り当たり前のことを忘れていた春は、しかし更にその先を思い付いた。思い付いたことを実行に移すため、彼は雑草に施した術式を解かず、締め付けられた状態のまま駆け出す。

「狂ったか?」

 ワイズがそう判じたのも無理のないこと。春の行動は、傍目には自棄になった特攻としか映らない。如何にもとりあえずとばかりに身体を逸らしたワイズネルラは、悠々と春の突進を遣り過ごした。つもりであったが。

 擦れ違いざまに春は、自身に纏わりついていた草はそのままにして、自分と相手の身体の位置だけを入れ替えていた。今やワイズネルラの身体が草に締め付けられている。

「っ、『座標置換』か!」

 二つの物質の座標位置を入れ替えるという手品じみたその魔術は、見ている分には子供騙し同然のものであるが、対象が生物となると最高位に近い術式となる。陰陽師(魔術師)としてかなり上等な春といえども、片方が自分自身で、なおかつ相手とも袖振り合うほどの距離でなければ成功し得ないほどに。

 まさしく命からがらに術式を成功させた春は、疾くとワイズネルラから離れた。解放こそされたものの、体中に、まだじんじんとした痛みが残っている。死に接触するという緊張の中での疾駆で、息も切れかかっている。とは言え休憩など出来ない。膝に手をつきワイズネルラから目を離したのは、まばたき一回、息継ぎ一回分の時間だけ。春が再び視線を前に向けた時、ワイズはもう件の草から解放されていた。

「なんちゅう奴や」

「大げさだな。……はあっ、それにしてももう草木や虫は殺してしまっても仕方なしと割り切るべきかな」自らの足元に散らばる、千切れた雑草を見つめながら溢すワイズ。やがて憎悪すら感じさせる声色で言う。「オマエを相手にこれ以上、遊んでいる余裕はないか」

「あん? !! あ、ぐがっ!?」突然に。春の身に走る激痛。肉を裂くような。骨を削られるような。さっきまで自分を縛っていた草がまた蘇り、さっきの何十、何百倍という強さで締め付けてきているような感覚に襲われる。肩を抱え、遂には地に両膝を着く。「つ、ああ! ……ぐっ、お、前、なに、したんや…………っ!」

「なにって、今オマエが感じている通りだ。痛めつけてるのさ。言葉のままに」

「う、お、お前……殺す時は、なるべく、楽にとか……言っとったやろ! 嘘八百か……っ!」

「失敬だな。殺る時はなるだけ楽に殺ることを心がけるさ。だがこいつは戦いだろ? 殺人じゃない。使えるものはなんでも使うさ」

「ううっ、あ、ああああっっ!」

 痛みは断続的に膨れ上がっていく。程度が。箇所が。どこどこまでも増えていく。生まれるようにして殖えていく。舌が引き千切られたような。だがそれは錯覚のはずで。喉の内側を針金でかき回されるような。だがそんなはずもなく。あるのはただ苦痛という感覚のみ。

「苦しいか? だがショックで死ぬほどではなかろう? 心配しなくとも最期は一瞬で逝かせてやるからちょっとだけ待て。しかしどうもオマエを一撃で屠るのは難しそうだ。少し考えさせろ」

 勝手きわまる言い分を吐き捨てるワイズネルラに、かえって春の頭は冷える。

 ――なんで俺はこんなにまでして戦わなあかんねん。

 それは決して嘆きや憤りなどではなく。自己への問いかけ。確認作業。何故、戦わなくてはならないのか。思い出し、言い聞かせなくては、痛みに負けてしまいそうだから。想起されるのは弟の顔でもなく、密かに恋慕する地元の女性でもなく、親友でもなく、自分自身。

 ――…………負けられへん。ワイズネルラには勝てんでも、俺には負けられへん!

 だから。青木春は立ち上がった。

「なにっ!?」ワイズネルラの顔が驚愕の色に染まる。彼のそのような表情を見た人間は、過去二人しかいなかった。青木春は三人目に名を連ねたことになる。「オマエ、痛くはないのか?」

「いや、痛いで」くぐもった声を漏らす、人間。「ちょっとでも気ぃ抜いたら、そのまま死ぬまで悶え続けてまいそうな痛みや。なんやこれ、洒落なってへんぞ」

 途切れさせることなくはっきりと言葉を紡ぎ続ける春であったが、声色は苦悶そのもの。息遣いは荒く。目蓋は痙攣し。膝は激しく震えている。いつ倒れても、いつ気を失ってもおかしくない極限状態であることは明らか。今や、はらわたを直接爪で引き裂かれるような痛みと、咽喉に手ではなく腕を突っ込まれるような苦しみと、眼球を擂粉木で擂り潰されるような激痛が加わっていた。それらすべてを同時に受け続けているというのに。青木春は、意地ひとつだけで減らず口を叩き続けていた。

「っ、オマエのような相手が一番厄介だ。実力的にはゼファロに及ばないというのに、奴の三倍も四倍も手こずらせてくれる! まったく狂っている」

「狂ってるて、お前に言われたらお終いやな」

 コンマ一秒の後、互いに走り寄り、肉迫する両者。春の心臓を狙い突き出されるワイズネルラの右腕――五指を伸ばし切ったまま、突き立てるように。それを片方の手で打ち払った春は、もう片方の手で中指を突き出した拳を作り、ワイズネルラの咽喉元に叩き付ける。

「ごっ」

 魔力など一切帯びていない、素の人間の打撃で、一瞬間意識を飛ばされるワイズネルラ。間隙を突き繰り出されるは、その顔面を狙った春の回し蹴り。だがそれは狙い通りの結果をもたらさない。顔面にまで到達しない。ワイズネルラは春の脚を掴んでいた。

「あああっ!」

 捻じ曲げられる、春の右脚。膝から下が、ありえない方向に曲がる。目に見える本物の痛みに、堪らず苦痛の叫びを上げた春の顔面を、お返しとばかりに殴り付けるワイズ。粉々に砕ける鼻骨。ワイズが手を放すと同時、春は背中から倒れた。

「相当頑張った方だが、ごほっ……それだけだったな。気合だけで急に強くなられてたまるものか。とっくに限界だったんだよ、オマエは」

 仰向けに倒れ、呼吸するだけで精一杯な状態にある人間を見下ろし、告げる狂鬼。しかし。

「そうやな、やっぱり俺じゃ無理やったか……せやけど」敗者であるべき人間の口角が吊り上がる。笑っている。「下手な小細工使うより力押しの方がお前には有効やってことは分かったで」

「ああん?」負け惜しみではない。そう確信させる覇気があったからこそ身構えたワイズの眼前。刹那に耀きを放った春の身体から、緑色の光の線が放出され、空へ飛び去って行った。途端に、何の変哲もなかった雲が黒く染まり、バチバチとした音を立てながら稲光を帯び始める。さながら雷雲の如し。「あれは」見上げれば。そんな分厚い雲を引き裂いて、天空より下り来る緑(青)の龍。頭から尾まで百尺を優に越す圧倒的な巨体。「『贋造四神』だとぉ? こいつがオマエの切り札か」

 遠い昔のこと。世界の真似事をした四人の術者たちが、とある仙竜の血と骨を以って、四つの精霊もどきを創り出した。それらは伝説に準えて、それぞれ朱雀、玄武、白虎、青竜と名付けられた。誕生と同時に自らを生み出した術者に喰われたそれらは、以後、かの術者たちに宿る力となった。やがて術者たちはその力を自分たちの子に託する。一子相伝の力となった贋造の四神。内三つは、今もなお受け継がれている。青木春が『青竜』を継いでいるように。

 始めはゆっくりと辺りを窺いながら下ってきていた青竜は、ワイズネルラの存在をその目で認めると、一変して、雷撃のような迅速さで彼に向かってきた。象をも一飲みにしそうな口を開き切ったまま。

「ちっ」

 青竜の突貫を横っ飛びで躱したワイズは、そのまま竜から距離を取ろうとするが、対する青竜の体躯はあまりに圧倒的。頭から逃れたかと思えばすぐ背後には尾。ワイズネルラを叩き伏せようと振りかざされている。が。ワイズには容易く躱されて、ただ地面を叩く結果となった。    

 それが二度三度と繰り返された後、ワイズネルラが決定的な言葉を口にする。

「当たらなきゃ何の意味もない。なんだ。こいつ、オマエより弱いんじゃないか?」辛うじて意識を保ちつつも倒れ伏したままでいる春に向かって。「これ以上暴れさせては、とばっちりでオマエが死ぬぞ。もう仕舞ったらどうだ」

「……――……いや、最後までやらせてくれやってさ」

「そうかい。なら仕方ない」沈めてやるかと、ワイズネルラが、青竜を迎え撃つ構えを取ったその時であった。「なんだ?」

 ワイズネルラの足に、走る違和感。見れば、どこからともなく現れた山椒魚の幼生じみた形状のナニモノかが、彼の足に引っ付いていた。

「……精霊、の子供か?」

「みたいだな。自ら出て来るとは奇妙な」普段は人間からも他の妖精からも隠れ潜んでいる精霊が自ら姿を晒すなど、そうそうありはしないこと。ワイズが「珍しいこともあるものだ」と呟きつつ、その精霊の子を振り落そうと足を振り上げた時。「あ?」次は背中に走る違和感。続いて腿。腹。頭。頬。手。肩。腕。腰。続々と、幽霊の如く出現してワイズネルラに纏わり憑くモノたち。最初に現れた個体同様のモノもいれば、カエルじみたモノやムカデじみたモノ、一角獣の如き角を生やしたウサギもどきまで。「全部、精霊か! 気色の悪い……! 何だっていうんだ」

 十数はいようかという、小さき精霊たちが、ワイズネルラの身体を覆い尽くさんとばかり。唖然としてその異様な光景を眺めていた春だが、徐々に絡繰りが読め始める。すなわち。

 ――あれって、代が言うとった『街から逃げてきた精霊』とちゃうんか?

 環境、文明のあまりにも急激な変化に対応しきれず逃げてきた弱い精霊の子たちが、瘴気を発しやすいこの古戦場の近場を住処にしていたのではないかと。更に。

 ――そうか。もどきっちゅうても、青竜も精霊の形質は備えとるから。仲間とでも思って集まって来たんかもな。

 既にリタイアして傍観するしかない春は、やたらと冷静に事態を見つめていた。一方で戦闘中のワイズネルラは、集る精霊たちを、邪魔っけだと振り落とそうとしている。だが肉体を持たない精霊たちは、現れては消え現れては消えを繰り返し、一向に彼から離れない。

 そこに、刹那の隙が生まれた。

 青竜から視線と意識が外れていた。

 見逃さず突貫してきた青竜が、

「しま」ワイズネルラの右肩を、そこに乗っかっていた精霊ごと噛み千切り、天へ昇っていった。「ちいっ、吸血鬼に喰らった傷がまだ再生し切っていなかったか。紛い物如きの顎にっ」

 肉が抉れ、骨が砕け。今やワイズの右腕と身体はぎりぎりで繋がっていた。ただ精霊に気を取られていたということだけでなく、一発二発ぐらい喰らってもどうとういことはなかろうと高を括っていたが故のツケ。

 大きく息を吐いてから、ワイズネルラの顔つきが変わる。真剣な眼差しで天を仰ぐ。視線の先には、彼の肩肉を咀嚼する竜。やがて竜は咽喉を鳴らし、そして、垂直に下りてきた。ワイズネルラは突っ立ったまま。

 一秒の後、稲妻よりも迅い速度で落ちてきた青竜が、ワイズネルラを呑み込んだ。なんてことはなく。左手の甲がほんのりと赤くなっただけで、一秒前と変わらず突っ立ったままのワイズネルラのすぐ傍で、白目を剥いて微動だにしない青竜が横たわっていた。

「造り物如きがいい気になり過ぎたな。まさしく木偶の坊だ」

 たった一撃。憎しみすら籠ったワイズネルラの拳は、ただ一撃で竜の巨体を黙らせていた。

「はあ……俺も、偉そうには言えんけど、情けないな。そんなでかい図体しといてからに」完全に沈黙した相方を眺めながら自嘲した春が、今わの際に言葉を紡ぐ。「まあ……ええわ。お前はあくまでおまけやったからな。一発でも食らわせられたら、上等の…………つもりやったし。まさか精霊に助けられるとは……思わへんかったけど。……すまんな、幸守。とにかく、俺は俺の方でやることやったんやから、後は、頼むで……みんな」

「なに?」勝者の余裕から一転、眉を潜めたワイズネルラを、突然現れた光の柱が覆う。「檻状結界だと?」文字通り、光り輝く檻の中に囚われるワイズネルラ。そして気付けば、彼らをぐるりと取り囲むようにして、歳も性別もばらばらな十七人のヒトが集まっていた。老爺も老婆も、まだ未成年と思しき少年少女もいる。「なんだ、オマエたちは」

「儂の名は九条。この『降魔衆』を束ねるものだ」十七人の中の一人、見た目の上では最年長と思しき老爺が口を開き、名乗った。降魔衆。それは、人間に仇なす魔を打ち滅ぼすためだけに集った陰陽師たち。「お前がこの国の傍まで来ているという情報は掴んでいた。だからこそ今日、皆を集めて対策を練ろうとしていたところだったのだが……。お前にはこのまま海に沈んでもらう。抹消できれば無論それが一番だが、生憎と儂らでは全員がかりでも手負いのお前を封印するまでが限界なんでな。もっとも、以て精々二十年ばかりの封印だろうが」

「なるほど、つまりこういうことか。最初からこの男は捨て石だったわけだ。少しでもオレの体力を削ってこの結界の成功率を上げるため、死ぬまで戦う兵だったわけだ」黙ったまま歯噛みする九条の反応を肯定と取り、ワイズは言葉を続ける。「こいつがオマエたちの中でも飛び抜けた力を持っていることは明らか。皮肉なもんだな。強いが上の捨て石とは。――こんなことまでして何の意味がある。放っておけばどうせあと一ヶ月と少しでオレは消え、次に現れるのは二百年も先だというのに。分かっているのか? オレは受肉した状態で現世に留まっていられる限界が連続六十日間前後なんであって、結界内のような限定異界にいる間はカウントされないんだ。オマエたちのやろうとしていることはまさに問題の先延ばしだろう」

 だから何の意味もないと笑うワイズネルラに、しかし九条は落ち着き払って「そうでもないさ」と告げる。続けて。

「今まさにお前に恨みを抱いている者たちは多いはずだ。命を賭してでも貴様を滅ぼすために立ち上がりたいと思っている者も。だがそんな者たちですら、二百年も経てば大半は寿命尽きて死ぬ。『第二の壁』を越えて生きていたとしても、忘れてしまう。お前への恨みを。だが今から十年と少し、それだけの時間ならば、お前をただ滅ぼすためだけにすべてを費やせるという者たちが少なからずいるだろう。なら」

「おい待て」九条の言葉を遮って、ワイズネルラが口を挟む。「それ以上先は、もっとよく考えてから言って欲しいもんだな。今からたった十年ちょいでオレを殺せるまでに成長できる〝生きた人間〟がこの場にいるか?」

 わざとらしく春の〝亡骸〟に一度目を遣ってから言い捨てたワイズネルラに、九条は歯噛みして、口惜しさを滲ませながらも言う。

「この場にどころか、世界中探したってそうそういないだろうよ、そんな奴は。だが勘違いするんじゃない。何も人間が直接的にお前を殺すと言ってるわけじゃない。人間の心がお前を殺すと言っているんだ」

「人間がオレを呪い殺すと?」

「そんなところだ。呪いとはつまり、直に痛みを受けた者の怒りのことだがな」人間の集合無意識から産み落とされたという怪物を、人間の怒りが呪い殺すという幸守の予言は、ひどく皮肉めいていた。「青竜、頼む」

 九条が命じると、主人を喪っても尚現界を保っている青竜が目を覚ます。むくりと身体を起こし、ワイズネルラを、彼を閉じ込めた結界ごと咥えて空に浮かび上がった。

「おいおい、これに運ばせる気か? 途中で誰かに見られたらどうする気だ」

「心配要らん。そいつも、結界の中のお前も、普通の人間の目には見えんようになってる」

「そりゃ便利なこった。しかし、海か。せめて夏ならよかったんだがな」

 この期に及んで余裕で嘯くワイズネルラに苛ついて。

「青竜、さっさっとそいつを沈めてきてくれ!」

 九条は怒声を上げた。


 ワイズネルラの檻を咥えて飛ぶ青竜は、瞬く間に太平洋へと到達した。日本列島はもはや水平線の向こう側に隠れてしまっている。

「こんなことになるなら、あんな小さな島国など抜かしてしまうべきだったかな」

 その言葉を最後に、ワイズネルラは海へと沈んで行った。ついに力尽き、粒子状になって消えゆきながら海へと溶けて行く青竜とともに。

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