その5
凄惨に血まみれた茶室。床にも壁にも天井にも、新鮮な血が飛び散っていて。真っ二つに裂かれた女性――南木槐子の身体が倒れている。臓腑の匂い。千切れた腸から零れ出た糞尿の匂い。視覚的にも臭覚的にも、惨劇の様子を生々しく伝える室内。
「こんなでかい屋敷にたった一人か。無駄足同然だったな」
独りごちる、惨劇のもう一人の主役。ワイズネルラ。二百年に一度現れては殺人を繰り返すこの殺人狂鬼は、此度とうとう極東の地にまで辿り着いていた。襖紙を剥がして自分の手に着いた血を拭った彼は、落胆した様子で部屋を後にしようとし、槐子の亡骸に背を向けた。
次の瞬間。
「ん、んん」
気絶している間に身体を裂かれたことなど知る由もない女の、微睡から覚めたような声。
「なに?」
驚き振り向いたワイズネルラの視界に映ったのは、左半身の衣服が破けていること以外は元通りの姿を取り戻した槐子であった。更に。
「え、なにこれ?」槐子の傍らには、彼女にとって最も見覚えのある女の半身。見覚えがあるのは当然で、倒れ伏しているのは紛れもなく自分自身の半身であった。「あ、あれ? へえ?」
あまりにも狂ったその光景は人間一人の感覚を鈍らせるには充分すぎて、槐子は眼前にいるワイズネルラの存在に気付けていなかった。ただ呆然として状況把握に努めようとしている。
「紛れもなく人間だったはずだが……能力者だったか? いや、しかし、ここまでの完全復元能力は聞いたことがない。未発見の化身能力か、あるいは異界能力? まさかな」
事の理屈を解そうとするワイズネルラが腰を屈めながら言葉を発した時、ようやっと彼の存在に気付いた槐子は、しかしその貌をしっかりと見ることもないまま再び引き裂かれた。小さな声を漏らしただけで、今度は縦三つに裂かれた槐子の身体。鮮血を噴出させ倒れ込んだそれらの内、真ん中の物だけに異変が起こる。切断面から炎が噴き出し始めたのだ。橙色の炎は畳に燃え移ることもなく、忽ちに、槐子の欠損した身体の部位を補う形に変貌した。左右二つのバラバラ死体はそのままに、南木槐子は再び蘇った。衣服は再生しておらず、もはや布きれの破片が腹の部分に乗っかっているだけとなっている。
「え、あ、ええ」
事態の異常さは極まるばかりであるが、この期に及んで、槐子は無意識にも胸や局部を隠そうとする。眼前に男性――少なくとも槐子の目にはそう映っていた――がいる以上、恥じらいは捨てない。たとえそれが、自分を殺した相手であっても。
一方で、再生の様子を目の当たりにしたワイズネルラは気付く。
「なるほど。こいつは注視しないと分からないわけだ。サラマンダーか。魂魄の域まで精霊種と同化していれば、宿主も再生の加護を受けていて不思議はない」
「何を」
言ってるのかと訊ねようとしても、槐子にはそれ以上の言葉が出せない。悪夢にしても性質が悪過ぎる状況に、声が殺される。だが辛うじて脚は動くことに気付いた彼女は、脱兎の如く駆け出した。
「そりゃ逃げるか」
余裕綽々といった感じにそう言いながら、ワイズネルラは槐子の後を追う。一瞬で追いつけるはずであるのに、わざわざ時間をかけて追いかけていく。部屋を飛び出して、廊下を走り、別の部屋に入って、違う入口から出ていく。そんなことを繰り返している内に二人は、鳳凰飛ぶ欄間が天井に取り付けられた大広間、つまりは先ほどまで春たちが儀礼に使っていた場所にまでやって来た。
「はあ、はあっ、はあ、はあ……っ」
息を切らせて柱に背を預けている槐子の表情は、絶望の色に染まっている。ゆっくりと彼女に詰め寄ろうとしたところでワイズは、
「ん?」銀色の刃が剥き出しになった短刀が、自分の足下に落ちていることに気付き、右手でそれを拾い上げた。「これは……天狗の魔導兵装か。なぜこんな所に」
正体に気付いた上で。ワイズネルラはその短刀によって槐子の首を引き裂いた。皮一枚で繋がった状態になった彼女の頭部を更に左手で鷲掴み、ぶちりと体から引き千切った。
頸部から血飛沫。続いて上がる火の手。最後に現れるは、失われたはずの頭部。一瞬の内に、南木槐子は三度目の蘇りを果たした。
「ひっ……!!」
ワイズネルラが左手に提げた、さっきまでの己の頭。その目と目が合った槐子は、超音波じみた悲鳴を漏らした。思わず今ある自分の頭をぺたぺたと触り、その存在を確かめ、失神した。
「根元を絶たねば死なないか。しかしオレに精霊は殺せないし、どうしようもないな。だが実験台としてはこれ以上ない優秀な個体だな。壁の向こう側まで持って行くか」
「そんな真似させると思うか?」
「思わんな」背後から掛けられた声に応えながら、ワイズが振り向く。「魔術師、いや、陰陽師と呼ぶべきか。オマエ、オレが何かは分かっているのか?」
「当然。思ってたよりでっかいんやな、ワイズネルラって」
「でかい? ああ、大きいと言いたいのか。いや、オマエが小さいんだよ。この国の人間としては平均より大きいみたいだが。それはさておき。何故わざわざ声を掛けたんだ? 黙って仕掛ければよかったものを」
「はっ、よう言うわ。こっちが部屋に入る前から気付いとったくせに」鼻で笑う陰陽師の名は青木春。「俺如きの不意打ちが通用せん相手ってことぐらい分かっとるんやぞ」
「それは有難くないな。甘く見られている方が色々と殺りやすいのだが」言って。ワイズネルラは、槐子の古い頭を畳の上に放り棄てる。ごろごろと転がったそれは、失神し倒れている槐子の足に当たってようやく止まった。陰陽師は険しい顔つきで舌打ちをする。「何をそんなに怒っている。この娘はオマエの友人か?」
「いや、赤の他人や。せやけど、女が痛めつけられとんのを見て喜べるような性格はしとらへんのや。こっちはお前と違うて嗜虐趣味はあらへんからな」
「なにっ!? 嗜虐趣味?」陰陽師、青木春からの言葉に、それは聞き捨てならないと、殺人狂鬼は反論する。「冗談じゃない! オレはあくまで純粋な殺人鬼だぞ。拷問好きな自称・殺人鬼と一緒くたにされては困る。ああいう手合いにとって殺人は結果に過ぎないのだろうが。殺すのではなく苦しませることに愉悦を見出している。そんなものは殺人鬼ではない。ただのサディストじゃないか。オレはな、殺せればそれでいいのさ。なるべく苦痛を与えず速やかに死のみを与えられるのであれば、その方がいいに決まっている」
「なんやそれ。お前、何が楽しくてそんなことしてんねん」
「オマエは楽しくてトイレに行くのか」
「トイレって厠のことか? アホ言うな。出すもん出さなしゃあないから行っとるだけや。人間の身体はそういう風になっとんねん」
「だからオレもそれと同じだよ。生理現象さ」
「馬鹿にしとんのか!!」怒号。障子紙が震える。「何が生理現象や! 生理欲求やろ? 食欲やら睡眠欲ならともかく、性欲なら人間だって理性で抑えつけられる。それとも何か? お前は人間殺さな死ぬんか? いや、理性に回す分の魔力もないんか?」
「はっ……そんなわけないがないだろう。しかしもしそうなら、どちらか一つでも正しければオマエは納得するのか? じゃあ仕方ないからどんどん殺せって」
「……納得、するわけないやろ」
それとこれとは別の話。だが、春の言葉は弱い。それが、ワイズネルラの嘆息を誘った。
「納得できないのが当然だ。そんな自信なさげに言うことはないぞ。オレは害獣さ。人間にとっては紛れもなく。つまりは敵なんだ。仕方ないから見逃せよなんてつもりで生理現象などと言ったわけじゃない。人間のためを思うなら、オレなんか殺した方がいいに決まっている」
「そこまで分かってりゃ自分で死んでくれ、ってわけにはいかへんのか」
「そりゃそうだ。牧羊家のために自害するオオカミがどこにいる。いや、この例えはお前には分かりにくいか。農民のために自ら舌切るスズメがどこにいる」
無論、そんなスズメがいるはずもなく。それが嫌ならと稲を啄むことを止めるスズメもいやしない。が。春は抵抗を試みる。
「スズメはたまに害虫も食ってくれるやろ」
「オレだってたまに悪党も殺してるぞ? スズメも俺もそんなつもりはないがね」
「ぐっ」口では勝てない。もはや何を言っても言い返される。西暦以前から生きるワイズネルラに対して、せいぜいが四半世紀しか生きていない春など赤ん坊のようなもの。「もうええ。頭おかしくなりそうや。始めよう。黙って殺されるのは御免でも、戦いの相手ぐらいはしてくれるんやろ? あそこまで言い切ったんやから」
「そうだな。まあ、それぐらいなら安い対価だろう」
言って。戦闘態勢に入ろうとする殺人狂鬼。
「待たんかい。こんな屋敷の中、街の近くで戦闘する奴があるか。場所移すぞ」
「場所を変えるのはまあ構わんが、そっちの指定した場所にのこのこ向かってやるほどオレは馬鹿じゃないぞ。こう見えて臆病なんでな」
「どこでも好きなとこ選んでくれ。でも、その前に俺の刀返せや」




