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Five Knives  作者: 直弥
第三章「不死なる山椒魚」
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その4

「暇になったな」

「そうですね」

 南木家を後にした春たちは早々に家路に着いていた。一仕事終えられなかった二人はしかし特に気落ちした様子もない。

「幸守ん家に戻る前に、飯でも食おか。何か食いたいもんでもあるか?」

「私は別に。お腹も空きませんし」

「せやけど味覚はあるやろ? なんか好きなもんとかないんか?」

「強いて言えば、その、温かいうどんが。この季節ですし」

 何故か恥ずかしそうに俯きながら、代は自分の好物を言う。

「うどんか。田舎に住んどると食う機会も滅多にないな。よし、それにしよ。この辺にどっかええうどん屋ってあるんか? 銭の心配は要らんぞ」

「幸守様に連れて行って貰ったことのあるお店でしたら、幾つか覚えがあります。特においしかったところなら、浅草の方にございますが」

「浅草って言うたら、ここからもそんなに遠くないよな、確か。よっしゃ、じゃあちょっと足伸ばしてみよか。俥呼ぶほどの距離でもないし、歩いて行こ」

「はい!」

 祭り前の子どもじみた晴れやかな顔で、嬉々とし急かすように先導し始めた代の後ろに、春が続いて行く。傍目にはまるで仲睦まじい兄妹のように映る二人であった。


「代、ほんまにここか?」

「はい、ここです」

 自信満々に紹介する代に対し、春は戸惑いを隠せないでいた。彼の眼前に立つ小汚い小屋は確かにうどん屋に違いなかった。『うどん』の文字が染められた幟を扉に釘で打ち付けているという変則的な看板ではあったが、まさかうどんさんの家ということはないだろう。だがそれならばこの昼時にまるで客足がないのはどういうことか。確かに通りからは外れているが、決して見つけにくいわけではない立地だというのに。

 ――まあ、旨いからって絶対繁盛しとるわけちゃうしな。

 とにかくいいように解釈しようと努めた春は、意を決して扉を開いた。

「はあ、どなたですか?」なんとも気の抜けた声は、小屋の奥、厨房から。でっぷりとした腹。髪の薄い中年男がのそのそと現れる。目を細めて春たちの顔を交互に見て。「もしかしてお客さんですか?」

「もしかせんでもそうですけど、今やってますか?」

「はあ、やってますよ。お二人さんですね、ちょっと座って待ってください」

 それだけ言って、店主は厨房へ引っ込んでいこうとする。

「ちょっと待ってくださいよ。まだ何にも頼んで――」

「うちは『うどん』しかないですよ。蕎麦食いたかったら他所行ってください」

「いや、だから」

 何のうどん頼むかぐらい聞いてくれても。そう続けようとした春の肩をぽんぽんと叩く代。

「春様、このお店にあるのは特製うどんだけです。種類は一つしかありません」

「へえ、そういうことかいな。ほな、大人しくそれよばれるとしよか。すんません、やっぱりうどん二つで」

「あいよ」

 今度こそ店主は厨房の奥へと引っ込んで行き、春と代は席に着く。やはり彼らの他に客はなし。狭い店内にしても綺麗に掃除され過ぎていて埃ひとつないが、それがむしろ春の不安を高めていた。すなわち、この店は調理よりも掃除に熱心になれるほど暇なのかと。辛抱しきれなくなり、隣でにこにこしている代に目線で訴えかける。おい、ここほんまに大丈夫なんやろな? 代は笑みを絶やさず、こくこくと頷くのみ。

 ――まあ、ここまで自信満々に紹介するぐらいやから、不味いってことはないか。

 そうこうしている内に、出来上がったうどん二杯を持って、先ほどの店主が戻ってくる。

「へい、お待ち。山椒は、そこのをご自由に」

 鼻腔をくすぐる微香は確かにそれがうどんであることを示していたが、その見た目は春の想像するかけうどんとは違っていた。と言うのも。

「これ、油揚げですか?」

「はあ、そうですよ」

 麺を覆い隠すほどに大きな、一面の油揚げ。ソバでもあるまいに、こんな具の乗っかっているうどんを、春は初めて目にした。物珍しさに、しげしげと見つめていると。

「どうしました? 早く食べないと、冷めてしまいますよ」

「え、ああ」

 代に窘められ、ようやく箸を手にした春は、まずその大きな油揚げを一口齧ってみる。

 ――甘い。

 次に、太めの麺を啜ってみる。抜群のコシ、歯応えは、春の嗜好にぴったりと合っていた。さて肝心な汁はと言うと。

 ――こらひどい。

 狂気じみていた。もとい、とてつもなく苦かった。菓子のように甘い味付けの油揚げが緩衝剤めいた役割を果たし、やっとこさ顔に出すのを我慢できる程度の苦み。仲店帰りの子連れが多いであろうこの辺りでは流行るはずもない。しかし代はと言うと、ウソ偽りなく美味しそうに麺を啜い、時に椀を持ち上げて汁を直接飲んですらいる。

 ――……これで何も文句言わんかったんか。いや、文句言うどころか同調してやったんやろうな。なんか、昔から代には特別甘いよな、あいつ。でもこれはまずい。

 落胆しつつも。作り手の店主と御贔屓の代の手前、はっきり本当のことを言うのも憚られた春が黙々と食べ続けていると。

「ああ、そう言えばお客さん、聞きましたか?」突然に、店主から話かけられる。「日本橋の方で鬼が出たらしいですよ。士族の娘さんが見たって言って騒いでるそうで」

「まさか。シュテンとこの連中は皆日本から出て行っとるし、見間違えやろ。野良のオニが目撃者を生かしとくわけもないしな」

「はあ?」

 予想だにしていなかった客からの返答に頓狂声を出した店主は、更に目を点にする。ネギを噴き出した代が春をじろりと見遣る。

「あ。いや、何でもない。忘れてくれ。ははっ、まさか今時オニなんかおるかいな」

 かなり無理のある取り繕い方をして、春が笑う。店主は魔術や妖精の存在を知らぬ表側の人間。まさか実在するオニやその同朋・配下の妖怪たちは今、親玉である酒呑童子や鞍馬の僧正坊の封印を解こうと躍起になっていることなど話せるわけもない。店主にとって鬼の話など、ほんの与太話に過ぎなかったのだから。


「まったく、冷や汗をかきましたよ。表側の人相手に酒呑童子のことを口走るなんて」

 店を出た直後、苦々しい代の言葉。

「すまん、すまん。でも大丈夫やって。あの人も冗談やと思ってるやろうから」

「そりゃそうでしょうけど、気を付けてくださいよね。よりにもよって精霊秘匿のための仕事をしくじった直後であんな失敗をするなんて。まさか本当に魔術や妖精の存在を世界に開示するなんてことを目論んでいたりしませんよね?」

「それはない。ほんまにただ口滑らせただけやって」口を滑らせてしまうほどにうどんが不味かったという事は言わない。「さあ、もうぼちぼち屋敷の方に戻るとしようや。今後の打ち合わせもせなあかんし……あ、大変や」

「どうしました?」

「南木の家に鬼一刀忘れてきた」


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