本番切り替え――間違っていたのは、たった一つの設定だった
本番切り替え当日。
作業開始は、金曜日の業務終了後19:00から。
会社の会議室には、情報システム部の職員、立ち会いSE、経理部門の担当者が集まっていた。
各部門の代表者も、確認作業に備えて待機している。
旧システムの入力停止。
バックアップの確認。
データ移行の開始。
一つずつ、手順書に従って作業が進んでいった。
エルさんは、移行結果を確認する担当者の一人として、画面とチェックリストを見比べていた。
「データ移行、開始します」
SEの声が会議室に響く。
移行処理が始まった。
画面には、処理件数が表示されている。
エルさんは、移行対象のデータが予定どおり処理されていることを確認した。
4時間後、主データの移行処理が完了した。
「主データの移行は完了しました」
「件数を確認します」
経理部門の担当者が、移行前のデータと移行後のデータを照合する。
一部の補助ファイルについて、データの不整合が見つかった。
「このデータ、出力先が違っています」
会議室の空気が、少しだけ変わった。
エルさんは、画面を確認した。
本番データを入力として処理する補助ファイル。
そのファイルの出力先が、テスト環境になっていた。
「入力元は本番データですが、出力先がテスト環境のままですね」
SEが設定を確認する。
「……本番切り替え時に変更する設定の一つが、残っていました」
「他のファイルも、同じ設定になっている可能性はありますか?」
エルさんが尋ねた。
「確認します」
情報システム部の担当者が、移行対象の設定を一つずつ確認していった。
入力元。
出力先。
実行条件。
連携先。
影響範囲を確認するため、関連するファイルと処理を洗い出した。
主データの移行先は正しい。
他の補助ファイルも、移行先に誤りはなかった。
問題が発生したのは、該当する補助ファイルだけだった。
「影響範囲は、このファイルに限定できそうです」
SEが確認結果を報告した。
「他のデータに影響がないことを確認したうえで、このファイルだけ正しい本番環境に移行しましょう」
作業担当者が、修正手順を確認する。
エルさんは、リハーサルで作成した手順書を開いた。
「この場合、全体を切り戻す必要はありませんね」
「はい。今回は部分的な設定誤りです。
影響範囲を確認できているので、該当ファイルだけを正しい本番環境に移行します」
「では、修正後にもう一度、対象ファイルのデータを確認しましょう」
「そうしましょう」
該当ファイルの設定を修正し、正しい本番環境に移行した。
その後、データの件数と内容を確認する。
移行結果は、正常だった。
「問題は解消しました」
SEの報告に、会議室の緊張が少し和らいだ。
エルさんは、チェックリストに確認結果を記入した。
今回の不整合は、データそのものの破損ではなかった。
本番データを入力として処理していたにもかかわらず、出力先がテスト環境になっていた。
つまり、処理の仕組みが間違っていたのではなく、環境設定の一部が正しく切り替わっていなかったのだ。
「リハーサルで確認した切り替えポイントが、ここで役に立ちましたね」
SEが言った。
エルさんは頷いた。
「はい。問題が発生したときに、どこまで影響しているかを確認する手順があったので、全体を戻す必要があるのか、部分的に修正できるのかを判断できました」
本番切り替えは、予定より時間がかかっていた。
しかし、慌てて全体を戻すことはしなかった。
影響範囲を確認し、必要な修正だけを行う。
その結果、移行作業を継続することができた。
主データと付随する補助データの移行が終わると、残りのデータ移行が継続される。
残データは主データとの連携が必須であり、最初に主データの移行完了する必要があった。
それぞれの残データは、移行時間は2時間以内の複数ファイルであり、並列で移行処理を実施していった。
翌午前4時、やっとすべてのデータの移行が完了し、移行前後のデータ件数の整合性も確認された。
予定されていた移行作業は完了し、いったん解散した。
13時、新システムの代表者が出社してきた。
そして、各部門の代表者による確認作業が始まった。
確認事項は、事前に各部門で準備されていた。
売上データの確認。
仕訳の確認。
請求処理。
支払処理。
帳票の出力。
周辺システムとの連携。
各部門の代表者が、新システムを操作しながら、確認事項を一つずつチェックしていく。
「この仕訳は、想定どおりに登録されています」
「請求データも確認できました」
「こちらの帳票も、必要な項目が出ています」
エルさんは、経理部門の担当者と一緒に、確認結果を記録した。
途中で操作方法について質問が出たが、事前に確認していた操作手順を説明すると、各部門の代表者は問題なく作業を進められた。
「この画面から、支払予定を確認できるんですね」
「はい。以前のシステムとは画面の構成が変わっていますが、こちらから確認できます」
「分かりました。これなら大丈夫そうです」
確認作業は、順調に進んだ。
そして、時計の針が17時を指した。
「各部門の確認、終了しました」
SEが報告する。
念のための確認事項追加、確認するための処理権限がない人が代表者となっていて急遽別担当の呼び出し、勘違いによる再確認など、予定より二時間遅れだった。
しかし、確認事項はすべて完了していた。
システムのデータ。
各部門の業務処理。
帳票の出力。
周辺システムとの連携。
必要な確認は終わっている。
「本番稼働に向けた確認は、問題ありません」
その言葉を聞いて、情報システム部の職員たちが、ようやく椅子に深く座り直した。
月曜日から、それらが新しいシステムで動き始める。
「どうか、無事に稼働しますように」
エルさんは、心の中で祈った。
異世界から転移してきた彼にとって、会社の仕事は、初めて経験することばかりだった。
けれど、今は違う。
この会社で仕事を覚えた。
仲間と一緒に、システムを作り上げてきた。
そして、月曜日には、その成果が試される。
「……大丈夫。きっと、うまくいく」
そう自分に言い聞かせながら、エルさんは本番稼働の日を迎える準備をした。




