宮廷舞踏会 Ⅲ
「少し顔色がよろしくなったみたいですね。よかったです」
窓から差し込む月明かりに照らされた彼女は、ほっとした表情を見せた。
俺達はとりあえず、広い舞踏会場の端に陣取る。
「心配をおかけしました。もう大丈夫です。じつは……」
俺が次の言葉を口にしようとした瞬間、会場内に大きな拍手が湧き上がる。
周りの様子が確認できない俺は、きょろきょろしながら狼狽えることしかできなかった。
先程バルコニーで聞いたものより、一層盛大な拍手。つまりこれは……
「歓迎しよう。我が大地に連なる同胞たちよ」
俺たちが入場したその反対側から響く朗々とした声。これは間違いなくバイゼル・ヴィンストラルドの声だ。
「我々ヴィンストラルドと共に歩んだ国、グラステップが悪魔王の手によって滅ぼされてから、間も無く三年の月日が流れようとしている。先ずはグラステップの友たち、そしてその地を取り戻す為に犠牲になった勇者達へ黙祷を捧げたい……」
静まり返る会場に、俺は慌てて黙祷をする。
この慌てぶりでは、どこからどう見ても田舎貴族だ。まあ、田舎貴族なのは間違いないのだが。
「今年も多くの受難が待ち受けた年であったが、幸い麦は例年になく豊かに実っている。諸君らは倉庫の奥に古い麦が眠らぬよう、そして粉挽の白い手が金に染まらぬよう目を光らせるが良い」
会場からどっと笑いが起きる。
それを聞いたイザベラが、きょとんとした顔で俺の袖を引っ張った。
「ユケイ様、どういう意味ですの?」
「ああ、えっと、水車小屋の粉挽はいつも白い手をしていますよね」
「そうなんですか?」
「ただ、中には引いた粉の一部を懐に入れたり、税を誤魔化す者もいるのです。そういう粉挽の手は金色に染まっているっていう、冗談みたいな逸話ですよ」
「なるほど。平民ですもの、それぐらいのことしますわ」
いや、これは冗談に見せかけた「貴族たちも不正はするなよ」という意味だ。もう一つの倉庫に古い麦が眠らぬようというのも、新しい麦が入る前に処分しておくようにという意味と同時に、財を隠しもたないようにという意味があるのだが、そんなことを指摘しても仕方がない。
しかし彼女の平民に対する偏見に、俺は少し心が重くなるのを感じる。
「……それでは、収穫前の時間にささやかな宴を用意した。今日は存分に語り合い、皆の友好を深めて欲しい」
開会の口上も終わり程なく音楽の演奏が始まると、辺りには明るい話し声が充満し始める。同時に、国王の前には挨拶のための長い列が作られ始めたようだ。
「ど、どうしよう?俺たちも並んだ方がいいのかな?」
俺はカインの方に視線を送るが、彼もその答えは持ち合わせていない。
イザベラを見ても、困った表情で顔を左右にふるだけだ。
もしここにアゼルかアセリア、もしくはローザがいればどうすればいいのかわかったのかもしれないが……。
どうやら全ての人が並んでいるわけではなさそうなのだが、列の顔ぶれが見えないから自分たちが並ぶべきなのかどうかも類推できない。
「とりあえず並びましょうか……?」
「まあ。ユケイ様がそんなに狼狽えるなんて。初めて見ました」
イザベラはくすりと笑った。
そんな呑気なことを言ってる場合じゃないと思うんだが……
「ユケイ王子、何をぼーっとしてるんだい」
声の方へ顔を向けると、暗闇の中微かな明かりに照らされたのはイルクナーゼだった。
「イルクナーゼ王子。本日は……」
「ユケイ王子、君は僕に挨拶している場合じゃないよ」
俺の言葉を遮り、イルクナーゼは呆れた顔で言った。
「初社交の君たちが国王に挨拶せずに、誰がするのさ?諸侯が終わったら君たちの番だよ。早く列に加わりにいきな。挨拶は……イザベラ姫にお願いした方が良さそうだね」
「はい。それではわたしが」
「早く行っておいで」
俺たちはイルクナーゼに促され、慌てて挨拶の列に合流した。
どうやら入場と同じように俺たちが初社交組の中では最初に挨拶するらしく、遅れてやってきた俺たちに向けて容赦なく冷たい視線が飛ぶ。この時ばかりは、自分がほとんど周りを見ることができないことを感謝した。
国王への挨拶は形式的なものであったため、貴族としての教育を十分に受けてきたイザベラのそれはとても優雅なものだった。
やはりこの会場で、田舎貴族なのは俺だけらしい。
もしかしたら彼女は、本当はこの手順まで知っていたんじゃないだろうか?
「どうやら無事に挨拶は終わったみたいだね」
暗闇の中から浮かび上がる姿は、イルクナーゼだった。
「イルクナーゼ王子、ありがとうございました」
「ユケイ王子はなかなか堅苦しいな。前にも言ったけど、僕は君と良き友人になりたいって思ってるんだよ。僕のことはイルクナーゼと呼んでくれないかい?君のことも親しみを込めてユケイと呼びたいな」
彼はそう言うと、にっこり笑って右手を差し出した。
「……イルクナーゼ王子、お気持ちは感謝します。しかし、例え王子がそう呼ぶことをお許しになっても、王子の周りにはそれを良しとしない者もいるでしょう。私のことはなんと呼んでいただいても結構です。しかし私は、今まで通りイルクナーゼ王子と呼ばせていただきます」
「……ユケイ王子は硬いなぁ」
イルクナーゼはそういうと、差し出した手を引いて代わりに肩をすくめた。
「友情には呼称や言葉使い、身分なんて関係ありません。お互いの信頼があれば、どんな立場でも友情は生まれます」
「……それは、君とあのメイドの女の子のことを言っているのかい?」
「……彼女もそうですし、それだけではありません」
「友情ね……。まあいいや、そろそろ本題に入ろう。イザベラ姫、紹介しよう。リンデンブルク辺境伯の嫡男だ」
イルクナーゼの背後に控えていた男が、イザベラの前に跪くと彼女に手を差し出した。
辺境伯とは、伯爵の中で特に他国に隣接する領地を持つ者を指す。彼らは軍事的な指揮権と政治権を持ち、伯爵の中でも特に高い地位にある。侯爵と肩を並べるといっても過言ではないだろう。
俺の記憶に間違いがなければ、リンデンブルク辺境伯が治める地域はグラステップ分割領の一部だったはずだ。そこの嫡男となれば、下世話な言い方をすれば舞踏会に参加する姫君にとって最も目標にされる存在なはず。
「イザベラ姫、一曲踊っていただけないでしょうか?」
イザベラは俺の方へ視線を向ける。
「私は踊れませんので。よろしくお願いします」
「それでは……」
彼女は男の手を取ると、俺に少し申し訳なさそうな顔を浮かべながら暗い踊りの輪の中へ姿を消した。
なんとなく寂しい気分になるのは、俺も勝手な人間だなと我ながら思う。
「本題というのは、イザベラ姫と彼を引き合わせることではないですよね?」
「なぜそう思うんだい?」
「それなら最初から彼にエスコートしてもらえば済む話です」
「それはそうだね」
イルクナーゼはククッと笑う。
「私に用があるなら、もう少し明かりを用意しておいて頂きたかったです」
「数は少ないがこれでも燭台を用意させたのは僕なんだ。こぞって大きなファージンゲールをつけたがる婦人がいる所で、篝火を炊く訳にはいかないだろう?」
ファージンゲールで張り出したスカートに火が燃え移るという事故は、割とよく聞く話だ。
それでも、少しの燭台が用意されていなければ、全くの闇の中であっただろう。
「本来ならユケイ王子を大々的に紹介したいくらいなんだけどね。刻死病の件だけじゃなくって、キミの頭脳はヴィンストラルドの宝になるかも知れない。少しは他の貴族達と顔を繋いで欲しいと思ってるんだけど」
「どのみち顔が見えないのですから、繋ぎようがありません。それに私の頭脳が宝だというのなら、ヴィンストラルドの宝ではなくアルナーグの宝です」
「キミを捨てたアルナーグのかい?」
「捨てられたのではないと、今解りました……」
確かに数刻前まではそう思っていたかも知れない。
しかし、今はそうではないことが判っている。あのまま一生離宮の中で暮らしていれば、あの離宮がどれだけ俺のために必要だったのか気付かずにいたかもしれない。
それが分かっただけで、今回アルナーグからヴィンストラルドに来た意義は十分にあったと思える。
それに、結果的に俺が今賢者の塔にいるのも、俺のことを思う多くの人が望んでくれたおかげだ。
なぜなら、俺の知識を活かせる場所は賢者の塔である可能性が高く、そして俺の現状を改善させる場所があるとしたらそこ以外にないのだ。
「で、イルクナーゼ様は私を舞踏会へ招待して何をやらせたかったのですか?まさか暗闇で踊れない私を見たかったという訳ではないのでしょう?」
「僕も踊りがあまり得意じゃなくてね。それも興味はあるけど……」
暗闇の中、イルクナーゼの端正な顔立ちの、口角が微かに上がったのがわかった。
「キミは貴族の中で、自分がなんて呼ばれているか知っているかい?」
「……悪魔王の双影とかですか?先程知りました」
「それを知っていると言うことは、奴らの声が聞こえたということだ」
「奴らの声……?」
イルクナーゼはさらに俺に近づき、肩にポンと手を置いた。
カインの表情が強張り、俺とイルクナーゼの間に割って入る。
「いい加減内緒話は辞めて頂きたい!」
「な、内緒話!?どうしたんだ、カイン」
「これは失礼した」
イルクナーゼはそう言うと、俺から一歩遠ざかった。
そして胸元から、小さな飾りが施された宝石を取り出す。
「それは……、内緒話の秘宝ですか?」
「実は先程から僕がユケイ王子に話しかけている言葉は、誰にも聞き取れないように魔法がかかっていたんだ。報告は受けていたけど、実験してみたくてね。やはり内緒話の秘宝は、君には効果がないようだ」
内緒話の秘宝は、確かに俺に効果をおよぼさない。
俺は秘宝を使って内緒話をすることもできないし、俺の前で行われた内緒話は全て俺に聞き取れてしまう。
「……つまり、誰かの盗み聞きをしろ……ということですか?」




