宮廷舞踏会 Ⅱ
部屋を出た俺たちは、廊下を抜けて舞踏会ホールの前へたどり着いた。
二人の守衛に守られた扉は、豪華な彫刻に彩られている。燭台の火が揺れるたびに、その彫刻が蠢いているかのように錯覚をおこす。
室内から溢れる喧騒が、その時微かに弱まるのを感じた。
今回の舞踏会でデビューを飾るのは俺たちを含めて四組らしい。
その中で最も高位にあたる俺たちは、その入場の先頭を務めることになった。
「イザベラ姫、よろしいですか?」
「はい、ユケイ様。よろしくお願いいたします」
俺が守衛に目配せを送ると、彼は小さく会釈を返し、ゆっくりと扉を開いた。
室内へ一方踏み出すと、舞踏会場の女史たちから感嘆の声が上がる。
それはおそらくイザベラの豪華なドレスと、彼女の整った出立ちに向けてなのだろう。しかし俺には、その声の主を確認することができなかった。
それは何故か?室内は真っ暗で、おおよそ辺りを見通すことができなかったのである……
イザベラと繋いだ手を軽く上げると、それに合わせて拍手が沸き起こる。豪雨の雨足を、暗闇の中で浴びるような感覚。
俺は最初、このホールの状態を演出かと思った。
見渡す限りひたすら暗く、目につく灯りはところどころに置かれている机の小さな燭台の火と、テラスへ続く大きな窓から流れ込む月明かりのみ。
例えば結婚披露宴で、室内の明かりが落とされ、スポットライトに照らされた新郎新婦が登場!みたいな段取り。
よく考えれば、そんなことはあるはずがない。
「暗い……な……」
「ユケイ様、どうなされました?」
イザベラと繋いだ手から、動揺が伝わってしまったのだろうか。
彼女からは特に変わった様子は感じ取れない。つまり彼女には、不安に感じる必要がないほどの明かりが確保されているのだろう。
彼女は不思議そうな表情を浮かべ、俺に目を向けた。
「いいえ、なんでもありませんよ」
俺はそう答えながら可能な限り穏やかな表情を作り、彼女に笑いかけた。
しかし、心中は湧き上がる動揺を抑えるのに精一杯だ。
舞踏会は夜に行われるのだから、明かりは魔法が使われる部分もあるだろう。
当然魔法による明かりは、俺には見ることができない。
しかし通常の明かり、つまり火による明かりも併用されているだろうと思い込んでいた。
少なくともこんな、暗闇の海に放り出されたような感覚を味わうだなんてこれっぽっちも思ってもいない。
なぜそう思っていたか?
それは、俺が今まで夜間の明かりで強く不便を感じたことがなかったからだ。
「ユケイ様、そのまま窓の方へお進みください」
カインから小さな声で促され、俺は言われるがままに窓へ向かう。
窓の方向はすぐにわかった。室内より外から差し込む明かりの方がよほど明るい。
窓の外にはテラスが広がり、ヴィンストラルド城の外壁に月明かりが反射し、暗い室内と違い幻想的な美しさを醸し出していた。
「ああ、なるほど……。そういうことだったのか……」
長年にわたって自分の身に起きていたことを、俺はこの場所で理解した。
今ここで俺以外の者には、煌々と光る魔法の明かりが見えているはずだ。
暗闇の中天井に目を凝らせば、先日の謁見の間で見たような豪奢なシャンデリアがぶら下がっているのがわかる。
それがきっと、魔法によって眩い光を放っているのだろう。
魔法が見えないということは、前世で例えると電化製品や、それに類する物の恩恵が受けられないということだ。
夜に灯りを付けられないのはもちろん、テレビも音楽も聴けない、炊事洗濯も不自由、自動ドアも開かないし、道を歩く時に信号も見えない。
おおよそまともに生活ができるとは思えない。
そんな当たり前のことに何故気づかなかったのか?
それは俺がずっと、アルナーグの離宮で生活していたからだ。
前世で便利な電化製品が氾濫しているのと同様に、このディストランデでも魔法を使った利器が溢れている。
誰もが努力をすれば何らかの魔法を使うことができるのだから、魔法で賄えることは魔法で済ませてしまったほうが楽に決まっている。
しかし離宮では、それらを一切目にすることは無かった。
その理由は簡単だ。魔力の目を持たない俺に、不自由な思いをさせない為だ。
電灯がなくても暗くなれば誰かが十分な量の灯りをつけてくれる。自動ドアがなくても誰かがドアを開けてくれる。目覚まし時計がなくても誰かが起こしてくれる。炊事洗濯も全て誰かがやってくれる。
俺は今まで、魔法を活用した利器から隔離された生活を送っていたのである。
つまり離宮とは、俺を幽閉するための場所ではなく、魔力の目を持たない俺が、安全に他の貴族達と同等の生活を送れる様に作られた場所だったのだ。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでもありません。少し会場の雰囲気に圧倒されてしまいました」
イザベラが俺の様子を見て声をかけてくるが、その表情もよく見えない。
「まあ、それではわたくしがエスコート差し上げた方がよろしいですね」
くすくすと小さく微笑んでいるのがわかる。
ああ、そうか。ウィロットが心配していたのは、このことなのだ。
イザベラを舞踏会でエスコートすることに対して、ウィロットは不安というか不満を持っているのではないかと、俺は心の隅で思っていた。
なんて浅はかなことだろうか。
きっと彼女は、会場に十分な明かりがないのではということを心配していたのだ。
昨日ティファニーに頼まれたエスティアの件。
カインが自分がエスティアを探すと言ったのは、こういうことだ。
今まで自分が立っていた場所が、急激に不安定な物へ入れ替わって行くように錯覚する。
「イザベラ姫、少し外の空気を吸ってよろしいでしょうか?」
「まあ、まだ始まったばかりですのに。一度前室まで戻りますか?」
「いいえ、少し休めば良くなると思いますので」
「かしこまりました。無理はなさらないようにして下さいませ。どうぞわたしのことはお気になさらず……」
イザベラの返事を待たず、俺はテラスに出る窓へ向かって歩き始める。
その時。
「……彼が噂の、悪魔王の双影と言われているアルナーグの王子ですかな?」
「そのようですな……。見た目は悪魔王と似ても似つきませんな……」
不意に飛び込んできた話し声に、俺はハッと視線を向ける。
その先に人影はあるが、当然暗くて誰が言った言葉かわからない。しかし、視線の先が微かにざわめくのを感じる。
悪魔王の双影?
俺のことを指してそう言ったのだろうか?
耳を澄ませば、そこかしこで悪魔王という単語が発せられているように思える。
俺はその声から身を隠すように、開かれていた窓から早足でテラスへ降り立った。
「ユケイ様!」
背後からカインが追いかけてくる。
振り向くと青白い月明かりに照らされた美しい城壁とは裏腹に、ガラスで仕切られた暗い室内。その中にぽつぽつと光る小さな燭台の灯火は、暗い洞窟からこちらを伺う妖魔の目の様に見えた。
「悪魔王の双影ってどういう意味なんだろう……」
「それは……わたしには判りません」
悪魔王。それは鉄の国ライハルトの王であり、今この世界で不幸の種を撒き散らしている者だ。
その男の双ぶ影……
「……そうだよね。少なくとも歓迎されていないことはわかったよ。こうなるって思ったから、ウィロットは舞踏会に出ることを嫌がってたのかな」
「そうでしたか?しかし、ウィロットが臍を曲げているのであれば、きっともっとくだらないことでしょう……」
くだらないこと?カインには何か心当たりがあるのだろうか。
そういえば、最近ウィロットとゆっくり話をしていなかった気がする。
舞踏会が終わったら、久しぶりに彼女とゆっくりするのもいいかもしれない。
「落ち込んでいるのですか?」
「そう見えるかい?」
「……私にはわかりません。しかし、ユケイ様を知らない者に悪く言われるのは、今に始まったことではないのではないですか?」
「……確かにカインの言う通りだね。今まで散々言われてきたんだから、今更だ。それにさ、今更ながらわかったこともあるんだ。悪い気分じゃない」
「わかったこと?」
「離宮のこととかさ。アルナーグで俺は、自分が思ってたより嫌われていなかったのかなって」
俺の言葉を聞いて、カインは呆れたと言わんばかりの表情を作る。
「当たり前です。何を分かりきったことを……」
「分かりきったことかな?」
「分かりきったことです」
「そっか……。俺は馬鹿だったな」
「……早くアルナーグへ帰りましょう」
「そうだね」
この時カインが見せた表情は、とても穏やかなものだった。
不意に、舞踏会場の方から大きな拍手が沸き起こった。
目を向けても暗くて見えないが、おそらくヴィンストラルド王家の誰かが入場したのだろう。
よく見るとテラスの入り口に、こちらを伺う影が見える。
おそらくイザベラとその護衛の者だ。
「ユケイ様、戻られますか?イザベラ姫をあのままにする訳にはいきません」
「ああ。心配をかけてしまったな」
俺はホールに向かって足を進める。
室内は変わらず暗闇の中だが、不思議と足取りは軽く感じられた。




