宮廷舞踏会 Ⅰ
イザベラの呼称で、一部イザベラ様をイザベラ姫へ変更しました。
「イザベラ姫、恥ずかしながら舞踏会のドレスという物を初めて見ました。とても素晴らしいです……」
舞踏会の当日、会場の前室で俺を待っていたイザベラは、まるで天使のような純白のドレスを纏い、静かに佇んでいた。
俺の気配を察して振り返った彼女。ファージンゲールで優雅に膨らんだスカートを静かに揺らしながら、一歩一歩と歩みを進める様は、自分が舞踏会の主役であると主張するような気品に満ち溢れている。
「あら、ユケイ様。お褒めになるのはドレスだけでございますか?」
「あ!失礼しました……。イザベラ姫も本当に美しいです」
「ふふふ、ありがとうございます。本日はエスコート、よろしくお願いいたします」
そう言ってイザベラはスカートの端をちょんと摘み、膝を追って会釈をしてみせた。
陶器のような白い肌は変わらずだが、微かに赤く染まった頬が前回会った時より幾分健康的になったことを物語っている。
純白のドレスは舞踏会へ初めて参加する女性だけに許された衣装だ。
やはり彼女はいつか宮廷舞踏会へ招かれるのを心待ちにして準備をしていたのだろう。
彼女は今まで見た中で一番晴れやかな表情をしており、やはりイルクナーゼの言う通りイザベラを誘ってよかったと心から思える。
「イザベラ姫!とってもお綺麗です!」
横からウィロットが口を挟む。しかし彼女はそれを一瞥しただけで、ウィロットに言葉を返すことはなかった。
一瞬室内に張り詰めた空気が漂う。
そういえば以前プリオストラがイザベラとウィロットをお茶会に誘うと言っていた。
その後その件に関しては音沙汰がないままだったが、想像するにイザベラがそれを望まなかったということだろう。
ふと見ると、彼女の侍従たちもウィロットに向けて非難するような視線を投げかけている。
以前の彼女はウィロットにこのような態度をとることはなかったのだが、マリーの件が彼女をそうさせたのかもしれない……。
ウィロットがさしてそれを気にする素振りを見せていないのが救いだった。
それから俺たちは、僅かな時間をその前室で過ごすことになる。
前室は十分な広さがあった。俺とイザベラ、ウィロットやカインとイザベラ側の侍従が待機しても手狭に感じることはない。
ただ、手違いなのかお湯を沸かす火種が用意されておらず、ウィロットはそれを手配する羽目になった。
会場への入室は高位の貴族から行い、初社交となるイザベラは最後の方に会場入りすることになる。いや、初社交となるのは俺もそうなのだが……。
「えっ?これしかないんですか?」
扉の方からウィロットの声がする。
「ウィロット、どうした?」
「あ、はい……」
彼女はそう言いながら、扉の外から何かを受け取って、とぼとぼと歩いてきた。
「お茶を淹れようと炭をお願いしたんですけど、炭が足りないらしくて。薪と枝薪しかないそうです」
「それだと何か問題があるの?」
「火をおこすのが少し手間です。あと、お召し物が煙たくなってしまうかも……」
「ああ、そっか……」
これだけ大規模な舞踏会だ。そういうこともあるのだろう。
「ユケイ様、お茶でも淹れますか?」
「いや、いいよ。緊張で喉を通りそうにないからね。一刻くらいで一度戻ってくるから、その時に用意しておいてくれるかい?」
「はい、わかりました……」
今回は晩餐会ではなく舞踏会なので、食事は会場内ではなくこの前室に戻って取ることになる。
「……ウィロット、どうしたんだい?」
心なしか、ウィロットはいつもより落ち込んでいるように見える。いや、今日だけではなく、ここ数日間ずっとそんな様子だ。
「……いいえ、なんでもないです」
そう言いながらも、彼女の目は何かをいいたげな雰囲気を湛えている。
そうこうしているうちに、部屋の外が微かに活気付くのがわかる。
日が地平線に近づき、舞踏会開始の時間が近づいてきたのだ。
ウィロットが暗くなり始めた部屋の燭台へ、灯りを点けて回る。
さて……。実は俺は舞踏というものをほとんど習っていない。
今までそんな機会が全くなかったのだから仕方がない。
一応舞踏会に向けて少しだけコーチを受けたのだが、開始半刻で教師に今回の舞踏会はホールに立たないのが最良だと匙を投げられる始末だ。
「イザベラ姫、踊りはお得意ですか?」
「得意といえるのかわかりませんが、リュートセレンは芸術の国ですから。一通りは修めております」
「そうなのですね。実は私は踊りは全く不得意なのです。会場では私のことは気にせず、どうぞ踊りをお楽しみ下さい」
「まぁ。それでしたら、わたくしが教えて差し上げます」
イザベラは扇子で口元を隠し、そう答えた。
「いいえ、それではせっかくのイザベラ姫のデビューに水を差すことになってしまいます」
「そうなのですか……。残念ですけど、それではユケイ様のダンスレッスンは次の機会にさせていただきますね」
そんな会話をしていると、コンコンと扉がノックされる。
部屋に現れた係の者は、出迎えたウィロットに何かを呟く。
「ユケイ様、あの、そろそろ順番だそうです……」
「うん、ありがとう。……それではイザベラ姫、そろそろ会場の方へ」
「はい、ユケイ様。よろしくお願いします」
イザベラはにっこりと微笑み、差し出した俺の手にそっと自分の手を重ねた。
俺たちはカインとイザベラの護衛を引き連れて、部屋を横切る。
そして扉から外へ出ようとした時だ。
「ユケイ様!」
廊下に差し掛かった俺を、ウィロットが悲壮な声で呼び止めた。
彼女は強く口元を結んで、俺の方をじっと見ている。
「どうしたんだ?ウィロット?」
彼女は二、三度、口をぱくぱくと開く。
それは何かを言おうとし、言い淀んでいるのだとわかった。
「ユケイ様、早く会場へ行かなければいけませんわ。平民の言葉に耳を傾けている場合ではありません」
イザベラはウィロットを一瞥すると、そう言いながら俺の腕に自分の腕を絡ませる。
「イザベラ姫、たいへん申し訳ありませんが……。少しだけお待ち下さい」
俺はイザベラの手を解くとウィロットの前に立ち、ぎゅっと握りしめる手を取った。
「どうしたんだ?ウィロット。何か心配事があるんじゃないか……?」
ウィロットは手を取った俺を、驚いたように見つめる。
そして、一瞬俺の瞳を強く見つめた彼女は、にっこりと笑って俺の手を握った。
「……ごめんなさい、ユケイ様はきっとだいじょうぶです。わたしの心配しすぎでした」
「何をそんなに心配してるんだ?」
「いいえ、大丈夫です。初めての社交ですから、ユケイ様が何か失敗しないか心配しちゃっただけですよ」
「何言ってんだよ……」
「けど、ユケイ様は大丈夫でした。ユケイ様ですもんね!カイン様、ユケイ様をよろしくお願いします!」
そう言うと、ウィロットはぺこんとカインに頭を下げた。
「ああ。もちろんだ」
いつも通りの口数少ないカインの返事だが、言葉の端にウィロットへの微かな気遣いが感じ取れる。
「ユケイ様!」
俺たちのやり取りに、イザベラのイラついた声が割り込む。
「も、申し訳ありません、イザベラ姫!」
「いい加減遅れてしまいます!」
そう言う彼女に腕をぐいと引っ張られ、俺たちは前室を後にした。




