双頭の蛇 Ⅳ
国王バイゼル・ヴィンストラルドは、玉座に座したまま重々しく片手を挙げた。
「我がヴィンストラルドは、この世界で最も偉大な国となった。我らに楯突こうとする者がいれば、そ奴はいずれ世界の地図から姿を消すことになるだろう……」
バイゼルは、低くよく通る声で朗々と唱い上げる。
そ奴というのはおそらく悪魔王を指しているのだろう。そうならば、俺とイザベラのような人質なんてとらなくてもいいじゃないかと思うが、そんなことを言えば俺の首と胴体は永遠の別れをすることになる。
「しかし、リュートセレンは同盟国であり、バルボア教皇は良き隣人だ。隣人の庭は、不用意に立ち入るものではない」
なんだよ……。
王の言葉は俺を落胆させた。
なんだかんだいって、バイゼルも踏み込めない場所があるということか。
つまり教会の利益を確保するために、刻死病の研究を諦めろと言っているのだ。
まあ、王が言うことは十分理解できる。
ヴィンストラルドは聖教会の影響があまり強くない。それは何故かといえば、一つは非常に経済が安定していること。そしてもう一つは賢者の塔の存在だ。
賢者の塔は世界最大の魔法研究機関であり、また多くの知者が集まる故に科学の研究機関でもあった。
国内にはザンクトカレンのような宗教色が強い地域もあるが、それでも人々から多くの権威を集めるのは賢者の塔である。
一方、リュートセレンに目を向ければ、賢者の塔に代わる位置に聖教会が存在する。
今謁見の場で、国王の隣に賢者エインラッドの席があるが、リュートセレンではその場所にバルボア教皇の席があるのだ。
単純にヴィンストラルドとリュートセレンの国力を比較した場合、間違いなく軍配はヴィンストラルドに上がるだろう。
しかしバルボア教皇の影響力に、国境はない。
バイゼルも、刻死病は忌々しいと思っているに違いない。
刻死病の存在は国力の低下に繋がるし、その治療に必要な寄付は、ヴィンストラルド内の富を徐々に聖教会へ流出させてしまう。
刻死病の被害が大きい地域では国王よりも教会の方が権威を集め、何より頭が痛いのは、それらの地域では聖バルボア教皇銀貨の価値が非常に高まっているらしい。
貨幣の価値で負けるというのは、その地域の経済を席巻されることを意味する。
おそらく今は放置できる程度なのだろうが、その範囲が広まればヴィンストラルドの経済は大打撃を受けることになるだろう。
それでも、バイゼルに二の足を踏ませるほど、聖教会の影響力は大きいのだ。
しかし俺は、ミコリーナと約束をした。
少なくとも、彼女の刻死病だけでも治さなければいけない……。
「国王陛下、発言をよろしいでしょうか?」
俺の問いにバイゼルはうなづき、微かに嫌な顔をしたアルベルトが代弁をして許可を出した。
「一つ確実に言えるのは、刻死病の克服は目前だということです」
「……それは其方がそうすればであろう」
アルベルトは答える。
「いいえ、違います。私がこのまま口をつぐんだとしても、刻死病の克服は遠からず成ります」
「……どういう意味だ」
「時の天秤は、過去と現在が常に吊り合っております。つまり、この世界が産まれてから全ての出来事が、今この瞬間を作りだしています」
「何が言いたい」
「形成的因果作用仮説というものがあります」
「け……けいせい……、なんだそれは!」
「積み重なる技術と世間が求める必要性が一致した時、同じ発明が異なる場所で同時にされるという考えです」
形成的因果作用仮説。
前世において、シェルドレイクという学者が唱えた説だ。
例えばニュートンが微分積分を結晶化させた時、同時期にライプニッツが同じことを行っていた。ライト兄弟が有人飛行機を発明した頃、日本でも二宮忠八が同じ構造のものを発明している。そして、グラハム・ベルとエジソン、そしてイライシャ・グレイはほぼ同時に電話機を発明し、最終的に特許を取得したベルとグレイはわずか二時間の差しかなかった。
現代社会においても、技術の開発競争は非常に僅差で行われている。
確かに俺は、この世界にまだ一般的ではない知識を持って研究にあたった。しかし、ヴィンストラルドで手にした資料だけでも、あと少しの研究で十分に解決へ導く材料はあったように思う。
それに俺はつい最近、その現象の発生を匂わせるある証拠を目にしていたのだ。
「私は賢者でもない、ただの世間知らずな王子です。私程度の者が辿り着ける答えに、他の者が辿り着かないと思いますか?」
「しかし刻死病の原因を見つけるには、先程其方が申した……なんだ……」
「魔石顕微鏡と注射器でしょうか」
「そうだ。それが必要なのではないか?」
「物事には様々な道筋があります。刻死病の克服に、別の道筋があるかもしれません。それに……」
俺は大きく息を吸い込んだ。
次にいう言葉は、できればあまり口にはしたくない。しかし、それの存在はこの世界で俺よりも早く答えに辿り着いた者がいるという証拠でもある。
「例えば注射器は、発火フリンジなる道具と中空針という物の組み合わせでできています。発火フリンジは私が発明しましたが、それは既に商品としてこの世に出回っていますし、模倣品を作るのが難しいものではありません。そして魔石顕微鏡に関しては、別の可能性が考えられます」
「別の可能性?」
「はい。私は先日、魔法によって文字が浮かび上がるインクを発明しました。透明度の高い魔石の削り粉を原料にしています。それは、そのようなインクを作ろうとして発明した物ではなく、魔石顕微鏡を作ろうとした過程で偶然発見した技術でした」
「それがどうしたというのだ?」
アルベルトは俺の言葉に、大層不満げな表情を見せた。
しかし彼の隣に座すイルクナーゼ、そして王の隣でもエインラッドがハッと表情を変える。
「それはもしや……」
声を上げたのは、エインラッドであった。
「はい。例の文字が消える羊皮紙に、同じ技術が使われていた可能性があります。当然それを作った者は、近い過程を踏む技術に、私より遥かに早く辿り着いていたことになります……」
「なるほどのう……」
俺とエインラッドのやり取りに、アルベルトが割り込む。
「例の羊皮紙とは、一体何の話をしている!」
「兄さん、大きな声を出さないでくれよ。先日城に賊が入ったという事件があっただろ?その時の賊が、文字が消える羊皮紙を持っていたんだ。……しかしユケイ王子。誰がその消えるインクを作ったのかはわからないが、同じインクを発明したことが魔石顕微鏡とやらの発明に繋がるとは限らないんじゃないかい?」
イルクナーゼの指摘はもっともだ。しかし……。
「問題はそこではありません。同じような時期に、同じ原理を持つ技術が開発されたということが重要なのです。可能性を論じれば、この世界の何処かで魔石顕微鏡は既に産まれているかも知れず、もしそうだとしても我々にそれを察知する方法は無いということです」
俺の言葉に一堂は口をつぐみ、謁見の間はしばし静寂に包まれる。
「……私が申し上げた通り、刻死病は原因のない正体不明の病ではありません。ここで我々が何もしなくても、いずれ誰かの手によって克服する方法は見つかるでしょう。それは十年後かもしれませんし、明日のことかもしれません。リュートセレンとの関係を考えれば、リュートセレンで発見されるのが理想だと考えますか?発見するのであれば我々で発見するべきです。その上で、技術を活用するなり秘匿するなりを考えればいい。さもなくば、もしかしたらその方法を発見するのはフラムヘイドの学者かもしれませんし、もしかしたらライハルトの悪魔王かもしれないのです。少なくとも悪魔王と私には、魔力の目を持たないという共通点がありますから……」
俺の言葉に、アルベルトは怒りの表情を作る。
「貴様!我々の前でよくもそのようなことを口にできるな!!」
「兄さん、父王の御前だよ。もう少し落ち着いた方がいい」
今にも飛び掛からんとするアルベルトを、イルクナーゼが静止する。
国政と軍を預かるアルベルトにとって、自分と悪魔王を同一視させる俺の言葉はさぞ不快に聞こえただろう。
「申し訳ありません……。しかし、それも全てあり得る話です。目の前に目的のものがあるのに、それをわざと取り逃がす必要がありますか?リュートセレンにとって、最も避けなければいけないのは悪魔王が治めるライハルトに、先を越されることではないですか?同盟国であるヴィンストラルドによってそれが発見されるのなら、むしろ幸運といっていいはずです」
「それを幸運と思うなら、今まで刻死病の研究に関わったものが不審な死を迎えることもなかったんじゃないかな?」
「リュートセレンでは、ヴィンストラルドより多くの人々が刻死病に苦しんでいます。リュートセレンと聖教会を、同一視する必要はないのではないでしょうか?」
俺の言葉は、謁見の間にとても大きなどよめきを産み出した。
それと同時に……。何処からともなく向けられた氷のような視線が、喉元に突き立てられたかのような錯覚を感じる。




