双頭の蛇 Ⅲ
俺が命を狙われる?
アルベルトの言葉に動揺を隠すことができなかった。背後でミコリーナが狼狽える気配を感じる。
「それはいったいどういう意味でしょうか!?」
カインは反射的に、声を上げてしまった。
「控えよ!!」
その瞬間、アルベルトから雷鳴のような一喝が飛んだ。カインは雷に撃たれたように、再び跪く。
「兄さん、いいじゃないですか。主人を思ってのことです」
イルクナーゼが激昂した兄を宥めた。
「……ふん」
アルベルトはにこやかに仲裁に入る弟に、吐き捨てるような視線を送る。
「ユケイ王子は素晴らしい知恵を持っていても、世間のことはあまり知らぬようじゃの」
「まあまあ、エインラッド様。そこは僕から説明しますよ」
イルクナーゼはそう言うと、俺の方に向き直った。
「ユケイ王子。キミは世界中に、教会がいくつあるか知ってるかい?」
「……いいえ、わかりません」
「そうかい。僕も知らないんだよ」
「イルクナーゼ!!ふざけるな!」
アルベルトから飛んだ一喝を、イルクナーゼは「あはは」と笑ってかわす。
「まあね、教会が全部でいくつあるかはわからないけど、おそらく世界中の村に一つずつはあるんじゃないかな。小さな祭壇程度の村もあれば、ザンクトカレンのように立派な大聖堂があるような街もあるけど、教会自体がない村はないだろうね。この王都ヴィンストラルドだけでも、二十一の教会がある。アルナーグの街はどうだい?」
「はい。詳しい数は知りませんが、十もないと思います……」
ここまで来て、俺はイルクナーゼが何を言わんとしているのかをだんだん理解してきた。
確かに俺が行ったこと……いや、行おうとしていることは、とてつもないことだったのかもしれない。
イルクナーゼは俺の表情の変化を見抜き、今日何度目かの笑顔を見せる。
「聡明な王子はもう理解したようだね。ヴィンストラルド内において、刻死病の治療によって寄付される金額は莫大だ。リュートセレンにおいては、さらにその額は倍になる」
「は……、はい……」
「問題は金額だけじゃない。神はその奇跡を求める民が多ければ多いほど力を増す。いや、正確に言えば神ではなく教会はだね。傷は時が経てば癒えるが、刻死病をはじめ一部の病は、神の奇跡がなければ癒えることはない」
「それは……」
「ユケイ王子、キミがやろうとしていることは、神が尊厳を保つための仕事を人の手に奪おうとする行為なんだよ」
背筋に冷たいものが走る。
「それは、聖教会が私の命を消してでも防ごうとしてくる……ということでしょうか?」
「さあ、どうだろうね。ユケイ王子はそこの司書から、刻死病に関する資料を見たんじゃないかい?」
「はい、見ました」
「どう感じた?」
「とても良くまとめられており、刻死病の解明に向けての熱意を感じました……」
「そうだね。けど、それでも刻死病は克服できなかった。なぜかといえば、その研究者たちは一人残らず生きていないからだ」
「えっ!?そ、それは……」
それはつまり、皆殺されたということだろうか?
このまま刻死病の治療を続ければ、聖教会と真向から対立することになるというのか?
しかし……、しかしそれは、ミコリーナをはじめ多くの刻死病に苦しむ人を見捨てることになる。俺にはそれができるかもしれないのにだ。
「ユケイ王子殿下……」
背後から、ミコリーナの小さな声が聞こえる。
その声の響きは、俺が今までに何度も聞いたことのある諦めの声色だ。
今まで俺は、そんな声をウィロットから、そしてカインから、何度も何度も聞いてきたのである。
俺はグッと拳を握りしめた。
もし自分の安全を考えるのなら、この件からはすっぱりと手を引いた方がいいだろう。
この世界には必要な秩序があり、それを不用意に乱したいなんて考えも毛頭ない。
しかし……、俺はかつて過ごしたアルナーグの離宮で、自分にもささやかながら世界を変えることができると知ったのではないか?
俺が前世から引き継いだ常識が、常に正しいとは言わない。
だが、間違いなく言えるのは人の命は尊い。
命に重い、軽いの差はある。それはこの世界でも前世でも、たてまえを除いて言えば命の重さに差はある。
それでも、重かろうが軽かろうが、命は常に尊いのだ。
「それで私にどうしろと言うのでしょうか?私は刻死病の克服を、諦める気にはなれません」
俺の言葉に、謁見の間は水を打ったように静まり返った。
一瞬の静寂が、俺には数刻のようにも感じられる。しかしそれをあっさりと破ったのは、再びイルクナーゼだった。
「なるほど。ユケイ王子の決意は賞賛に値するよ。けどそれは、王子の命をかけるほどのものなのかい?」
「歴史はそうやって、一歩一歩進んで行くものです」
「歴史か……。起源……、成り立ち、それはまあいいとしよう。ユケイ王子は読書が好きだって聞いたけど?」
「はい」
「それなら知っているはずだ。歴史の書物を紐解けば、世の中生きている人より死んでいる人の方が多いことがわかる。僕は良き友人になれそうな王子を、そのリストに加えたくないんだよ」
「……ありがとうございます。しかし先ほど言いました。命は尊い。私にとって最も尊いのは私の命です。それを投げ打つ気は全くありません」
「……なるほどね」
「イルクナーゼ王子、他人事ではありませんよ?私はアルナーグの王子であり、ヴィンストラルド国王陛下の招致を受けてここにいます。客人である私の命を守らなければいけないのは、あなた方も同じではありませんか?」
「ふふふ、上手いことを言うね。最後は他力に頼るのかい?」
「はい。私は自分の身を守る才がありませんので。しかし、人を守るのは得意だと自負しています」
俺の反論を聞き、イルクナーゼは「ふむ」と小さく声を上げる。そして顎に手を当て、何かを考えはじめた。
「イルクナーゼ王子よ、その辺でよいじゃろう。ユケイ王子の意思は固いようじゃ。そもそも我々の利害は一致しておる」
「エインラッド殿!勝手なことを言わないでもらいたい!利害が一致しているのは我々ではなく賢者の塔とではないか!」
エインラッドの発言に、アルベルトが静止をかける。しかしエインラッドは止まらなかった。
「ではアルベルト王子はこの好機をむざむざ見過ごすのかの?聖教会はヴィンストラルドを蝕む害虫だと申しておったではないか」
「滅多なことを言うな!私がいつそのようなことを申した!エヴォンの前でそのような戯言を吐くのは許さぬぞ!」
「もうよい。アルベルト、エインラッド、其方らの言い争いは聞き飽きた。イルクナーゼも無駄に話をかき混ぜるではない」
「……はい。申し訳ありません、陛下」
二人の言い争いを、バイゼル王が静止する。
なるほど。一歩下がって見れば、四人の……いや、正確に言えば五人の立ち位置が明らかになってきた。
バイゼル国王と第一王子のアルベルト。
アルベルトが王太子に内定しているところを見ると、この二人は同じ派閥であることが分かる。そして彼らが率いるのは、軍であり国政だろう。
次に、賢者エインラッドと第三王子のイルクナーゼ。
言動の端々やそれを発するタイミングなど、どうやら二人は組んでこの謁見をコントロールしようとしているように見える。彼等が同じ派閥だとすれば、当然賢者の塔が傘下に入ることになる。
最後に今ここにいない第二王子エヴォン。
彼は王子であると同時に枢機卿の地位に立っている。それはリュートセレンにあるバルボア教皇の使徒という役割であり、聖教会と太い繋がりを持っている。そして第二王女であるイリュストラ、そしてその双子の弟であるプリオストラは彼の派閥になるのではないだろうか。
ヴィンストラルド国内も、決して継ぎ目ない一枚岩ではない。
アルナーグがそうだったように……。
そして最も重要なことは、国王派閥、賢者の塔派閥と聖教会は、対立しているということだ。
なぜ二つの派閥と聖教会が対立していると言えるのか?それは全て、このタイミングで行われた謁見が物語っている。
いくらその事態が大事だからと言って、翌日の朝に、これだけ長い時間を割く謁見を開くことができるだろうか?
アルナーグですら謁見の予定は一ヶ月先まで埋まっている状況だ。その規模がさらに大きいヴィンストラルドで、翌日に謁見を開こうとすれば当然入っていた予定をずらさなければならない。
そこまでしてなぜ急遽謁見を組んだ、いや、組まなければいけなかったのか?
それは、第二王子であるエヴォンが、今日明日にも帰ってきてしまうからではないだろうか?
賢者エインラッドやアルベルト、イルクナーゼまで同席しているのにも関わらずエヴォンがいない。
最初は急いで謁見をしなければいけないタイミングに、エヴォンがたまたまいなかったと考えていた。
しかし実際は全くの逆で、エヴォンがいないタイミングで謁見を行おうとした結果、この急な日取りになったということだったのだ。
さらに言えば、先ほどエインラッドが言った、アルベルト王子が聖教会のことを害虫だと比喩した件。あれもおそらく真実なのではないだろうか?
前世の歴史を振り返れば、為政者と宗教の対立は常におこっている。
そしてエインラッドの立場からすれば、魔術の門と相反する聖教会は、まさしく目の上のこぶだろう。




