双頭の蛇 Ⅱ
ミコリーナの説明は実に明解で、彼女の聡明さが良く分かる。
バイゼル王は黙って話に耳を傾け、賢者エインラッドは時折側の者に、視線で何か合図を送っているようだった。
「……以上が、現在までに解明された刻死病のあらましです」
ミコリーナが息を大きく吐くのがわかった。その表情を見ると、ほっと緊張の糸が緩むのが見て取れる。
国王の御前に立つのは初めてだといっていたのだ、やはり重圧を感じていたのだろう。
彼女は元の位置に戻り、再び片膝を付いた。
バイゼル王はしばらく目を閉じたまま何かを考えるような仕草をみせ、やがてゆっくりと目を開いた。
「ふむ……。時折聞き慣れぬ道具の名が出たが、それは古龍の遺産に連なるものか?」
古龍の遺産とは、龍の死骸から授けられたという七つの秘宝のことを指す。
聞き慣れぬ道具というのは魔石顕微鏡や注射器のことだ。それらは古龍の遺産などではないことを伝える。
「つまりそれは、特別な宝物がなくても作れるということか?」
バイゼル王からの問いに、ミコリーナに代わり俺が答える。
「はい、国王陛下。実際に、全てあのヴィンストラルド城下で仕入れた物とアルナーグから持ち込みました小さな魔石を使い、あの客室にて組み上げました」
「ふむ……」
多少の嫌味を込めて、あえて客室という単語を入れてみたのだがバイゼル王は気にする素振りも見せない。
王に次いで、隣で話を聞いていた賢者エインラッドが椅子から立ち上がった。
「それでユケイ王子。そなたの見立てで、刻死病の克服は可能だと思うかの?」
エインラッドの口調は、バイゼル王と比較して友好的な雰囲気を感じる。
立ち上がったエインラッドはスラリと背の高い老魔術師といった体だった。
背筋はピンと伸び、微かにうねりを帯びた銀髪はよく手入れされているように見える。
王と比べるとしわがれた声ではあるものの、知性を感じる声色は部屋の隅まで響き渡る。
俺は一瞬、エインラッドの問いに対して、正直に答えるべきかどうかを考えた。
実はこの件に関して、ミコリーナの治療を妨げる可能性がある大きな落とし穴が一つあるのだ。
俺は今まで、その事に気づいてはいたが、ミコリーナにも伝えてこなかった。
それは彼女を騙しているのではなく、余計な心配をかけないための配慮であったのだが……。
しかし、エインラッドにはミコリーナの治療のために今後支援をしてもらわないといけない。そのため、不用意なごまかしは正解ではないと思う。
「はい。いずれ何らかの方法を用い、刻死病はきっと克服されるでしょう」
俺の返答に、室内が大きくざわめいたのがわかった。
しかし俺は、そのざわめきに少しの違和感を感じる。
なんだろう?この感じは。
微かに耳に入る周囲の声。
そのほとんどは俺の言葉に希望を持っているかのようだ。しかし、僅かにそうで無い気配も感じる。
「なるほどのう。それは素晴らしい答えじゃ!……で、ユケイ王子よ。其方は先ほど刻死病の治療ではなく克服と言ったが……、それはなぜじゃ?」
これは……やばい……。
おそらくエインラッドは、俺の杞憂に気がついている……。
「……はい。一言で克服と言いましても様々な段階があります。一つは刻死病が二つ現れた状態からの治療、そして一つ現れた状態での予防、最後に刻死病に感染しないための予防策です」
「うむ、そなたの言う通りじゃ。話には聞いていたが、王子が相当な知恵者だというのは本当のようじゃのう」
「恐れ入ります……。それぞれに対して別々の方法を取らなければなりませんが、その糸口は既に思いついています。それなりの費用と時間が必要になるとは思いますが、刻死病の克服はいずれ成るでしょう……」
「それは素晴らしい……。しかし聡いユケイ王子ならば気づいているじゃろうが、解決すべき問題は一つでいいのではないか?」
さすが賢者を冠する人物だ。その二つ名は伊達では無い。
あえて口に出さなかったことを、一瞬で見抜かれたことに狼狽する。
エインラッドが言うことは正しい。
つまり刻死病が二つ現れた状態からの治療、刻死病が一つ現れた状態からの予防、刻死病に感染される前の予防の、全てに対応する必要は無いのだ。
例えばその三つの状況のうち、刻死病が二つ現れた状態から治療できれば他の二つは考える必要がない。そもそも刻死病自体が予防できれば、感染からの治療方法を見つける必要はない。
そう、刻死病問題の解決に対して、もっとも必要なのは刻死病にかからないための予防法だ。それさえ完全に確立できれば、治療の対策をする必要がないのである。
しかしその場合、もう既に刻死病にかかっている人は見捨てられることになり、そうなれば当然ミコリーナも……。
「賢者エインラッド様、私はそうは思いません」
「そうかの?一矢は二的を貫かずという言葉もあるが?」
「どの道が険しくどの道が短いのかは、進まなければわかりません。目指す先に目的地があるかどうかも、辿り着かなければ答えは出ないでしょう」
俺とエインラッドのやり取りは、真意を理解しないものにとっては奇妙なものに映ったはずだ。
エインラッドの言葉は、俺がミコリーナの治療を優先したいという意思を見抜いたのかもしれない。それは、彼の意思と反するのだろうか?
できればこの件について、この場でこれ以上明言するのは避けたい。
狼狽えて泳いだ俺の目は、壇上の別の人物へ向いた。
ふと目が合う。
その相手は第三王子、イルクナーゼ・ヴィンストラルドだった。
それは偶然だったのかもしれない。
しかし無意識に俺は、彼は味方をしてくれるのではないだろうかという期待を抱いたのかもしれない。
イルクナーゼはふっと笑顔を見せると、小さく手を上げて俺とエインラッドのやり取りの間に割り込んだ。
「エインラッド様、今はその件は良いのではないですか?先に決めなければならないことがあります」
会話を遮られたエインラッドは一瞬だけ不愉快そうな表情を見せるも、王子の顔を見てすとんと椅子に腰を落とした。
エインラッドがイルクナーゼ王子に譲った?
実際はわからないが、俺にはそう見えた。
イルクナーゼの顔を見ると、彼は俺に向かい再び微笑む。
どうやら話題を変えるために、助け舟を出してくれたようだ。
「……まあ良い、確かにあまり時間はないからの。しかしユケイ王子はついておる。ちょうどエヴォン王子がおらぬ時にことを起こすのじゃからの。……いや、エヴォン王子がおらぬ間を狙ったのかの?」
「えっ?ことを起こす……ですか?」
ことを起こす?
いったいなんのことを言っているのだろう。
もしかして羊皮紙の件で、俺に何かの嫌疑がかかっているのだろうか?
いや、それならエヴォン第二王子がいない空きにというのが成り立たない気がするが。
訳がわからずただただ狼狽えるばかりの俺に、辺りは再び騒めきはじめる。
奇異な視線の中に取り残された俺に、イルクナーゼは再び助け舟を出した。
「ユケイ王子が来られた風の国では、刻死病は馴染みが深いものではありません。そこに思い至らなくても当然でしょう」
え?刻死病のことを指してそう言っているのか?
だったら、エヴォン王子がいないうちにというのはどういう意味だろうか。
確かにこの場に第一、第三王子がいて第二王子だけがいないのは不自然ではある。
話の筋から予想すれば、第二王子は数日どこかに出かけているということだろう。
いや、確かに刻死病の克服ができれば、それは偉業と言えるのかも知れないが、まだその目処も建っていない段階で国王から王子、賢者まで揃って謁見に現れるというのはいささか大袈裟なのではないだろうか?
それとも、この国の謁見は常に王族総出で行われると決まっているとでもいうのか?
「……どうやら本当に自覚が無いようじゃのう」
俺の様子を見て、エインラッドは呆れたように首を振った。
彼に次いで口を開いたのは、ヴィンストラルド第一王子、アルベルト・ヴィンストラルドだった。
「ユケイ王子よ、今この世界でもっとも命を狙われているのは誰だと思う?」
「わかりません……」
「解らぬとは嘆かわしい。それはもちろん、鉄の国の悪魔王だろう」
「な、なるほど……」
「ふん、なるほどではない……」
そしてアルベルトは一つ大きく息を吸い込み、俺に向けてゆっくりと言った。
「そして悪魔王の次に命を狙われることになるのは、ユケイ王子……、其方になるかも知れぬぞ……」




