消えた羊皮紙 Ⅱ
ウィロットが言いたいこともわかる。
ティナードが謁見の条件に出してきたのは、あくまで羊皮紙から消えた文字の謎を解き明かすことなのだ。
羊皮紙の文字が「闇の帷」の魔法で浮き上がるというのはあくまで推論でしかない。
「それはそうだけど。ただ、できれば羊皮紙の内容までは関わりたくないんだけどな……」
「けど、もしユケイ様がおっしゃる方法で文字が隠されていた場合、羊皮紙を読んでないって言っても信じてもらえるんですかね?」
「それは……、まあ確かに。読んでいようとなかろうと、どちらにせよ疑われるのかもしれない」
「それにもし魔法で文字が浮き上がらなかった場合、別の方法を見つけなきゃいけないんじゃないですか?」
「……なんだよ。ウィロットは、羊皮紙の謎を解いても解かなくても一緒だって言っていたじゃないか」
「それは、ミコリーナ様のことがなかったからです。ミコリーナ様の治療をするなら、ずっとこの部屋にいてはいけませんよね?」
ウィロットが言うことに間違いはない。自分と似た境遇の彼女に、深く思い入れを持ってしまったのだろう。
もちろん俺も、ミコリーナの治療をするためにここにいてはいけないとわかっている。しかし、そのためにウィロットやカイン、そしてマリーまで危険に晒すのはどうかと思う。
「とりあえず、一度見ちゃえばいいんじゃないですか?」
「ずいぶん乱暴なことをいうなぁ」
「だってどうしようもないじゃないですか。見ちゃってから、内容次第でどうすればいいか考えましょう。書かれた内容が大したことなければ、ティナード様にそのまま報告するんです。で、何か大変なことが書いてあった場合は、文字の出し方はわからなかったってことにしましょう。で、魔法で文字が浮かばなければまた別の方法を考えればいいんじゃないですか?」
「知ってしまえば、もう忘れることはできないんだぞ?」
俺たちの会話をずっと聞いていたカインが、俺とウィロットの間に割り込んできた。
「私もウィロットの意見に賛成です。もし羊皮紙に何かユケイ様に害が及ぶようなことが書いてあった場合、見逃せば取り返しがつかない場合もあります」
「俺に害が?流石にヴィンストラルドまできて、その可能性はないんじゃないか?」
「いえ、全くないとは言えません。それに、なければないでいいのです。ただ、それを確認するには羊皮紙の文字を読んでみなければ判断ができません」
ウィロットとカインがいうことも一理あるのは間違いない。俺としてはよりリスクが少ない方法を選択したいのだが。
「マリーはどう思う?」
「……えっ?わたしですか?」
マリーが何やら考え込んでいたように見えたので、この件について思案をめぐらせているのかと思ったのだが。
よそごとを考えていたのか、常に落ち着いている彼女の狼狽える姿を、俺は非常に珍しいと感じた。
「そうですね……」
マリーはそう呟くと、チラリと俺の顔を見た。
「見ても見なくてもどのみち疑われるのでしたら、見てしまった方がいいのかもしれません。そもそもティナード様は見ていいとおっしゃっていたのですから、見られても支障がないことが書かれていると知っていたのかもしれませんし」
「……うん、確かにそうかもね。マリーの言う通り、見ていいと言われたものを見ていないと言い通す方が不自然なのかもしれない」
話を総合すれば、確かに皆んなが言っていることが正論のような気がする。
最悪羊皮紙の謎は解明できなかったと言ってしまえば全ては無かったことになるのだ。主導権はこちらにあるといっても過言ではない。
そもそも、羊皮紙の謎が解けなかったとしても、刻死病の謎を解き明かした方が遥かに価値があるのではないだろうか?
それがヴィンストラルドの悲願であることは、刻死病に関する資料の多さが物語っている。
「よし、わかったよ。ミコリーナの件も含めて、やるなら早い方がいいかな」
俺は引き出しから、羊皮紙を取り出して机の上に広げた。
何度も目にしているものの、どうしても羊皮紙にこびりついた血の跡に恐怖に似た不快感を覚える。
「それじゃあ、この中ではマリーしか『闇の帷』は使えない。羊皮紙に魔法をかけてほしい。俺には見えないから、文字が浮かんだら読み上げてくれ」
「はい、かしこまりました」
マリーは俺に返事をすると、スゥと大きく息を吸い込み、羊皮紙に向けて意識を集中する。
軽く目を閉じ、俺の耳に届くか届かないかの声量でぼそぼそと魔法の詠唱を初めた。
数秒の詠唱に、ここに居る全ての人が聞き入っているのがわかる。
やがてマリーは詠唱を終えると、羊皮紙の表面にそっと手を触れた。
シンと室内が静寂に包まれる。
当然俺には羊皮紙の表面の変化を確認することができないが、おそらく羊皮紙の上には黒い文字が現れているはずだ。
自分が生唾を飲み込む音が、室内に大きく響く。
ウィロット達の表情を覗き込むと、皆緊張した面持ちで羊皮紙を覗き込んだままで、誰一人言葉を発する者はいなかった。
「……ど、どうした?何かよくないことが書いてあったのか?」
俺の言葉に、ウィロットがハッと我に帰る。
「……え?あれ?」
彼女は動揺しながら、マリーの顔を見た。
その視線を感じたのか、マリーは困ったような顔でウィロットを見返し、そして視線を俺へ向けた。
「どうした?いったい何が書いてあったの?」
そう問われたマリーは、言葉に詰まって微かに視線をそらす。
「ど、どうしたの?もしかしてとんでもないことが書いてあるの?」
その問いに答えたのは、マリーではなくウィロットだった。
「何も見えません」
「……え?」
俺はウィロットの言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
「だから、羊皮紙には何も書かれていません」
「かかれていない……?あ!ああ!そういうことか!」
「はい」
「つまり、ウィロットたちにも何も見えないっていうこと?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
「ああ、そうだよね。ごめんごめん」
「ウィロット、不敬だぞ」
室内に張り詰めていた緊張の糸が、プツンと切れた音が聞こえたかのようだった。
ウィロットを叱責するカインの声も、心なしかハリがない気がする。
なんのことはない。あれだけ読む読まないで討論したにも関わらず、結局羊皮紙の文字を浮かび上がらせる方法が見当違いだったのだ。
「……まあ、そんなもんか。残念だけど仕方がない……、いや、むしろ良かったのかもな」
魔石を粉末状にして活用する技術、それは活用次第ではとても大きな技術革新になりかねない。
なんとなくだが、その変化は少し早急なような気がする。
「なんで良かったんですか。せっかくカイン様が頑張って魔石の粉を作ったのに。報われないじゃないですか」
「報われないって、あれはそもそも顕微鏡を作るために魔石を削ったんだろ?顕微鏡は完成したんだから、それで十分じゃないか。それに、俺が考えた方法でも文字が消えたり現れたりするのは間違いないんだ。羊皮紙の謎と違ったのは残念だけど、それはそれで一つの新技術だ。悲観することはないよ」
ウィロットはぷっくりと頬を膨らませ、マリーに詰め寄った。
「マリー、ちゃんと魔法は成功してるんですか?」
「は、はい。魔法はちゃんと発動しています」
「……そうですか。それじゃあ仕方がないですね」
なんとなく納得がいかないといった様子のウィロットだが、違うものは仕方がない。
たまたま俺が思いついた方法が、偶然にも使われているという方が奇跡なのだ。
「ウィロット、羊皮紙の件は今日はもういいだろ?また明日考えよう。とりあえず、ティナードにはミコリーナのことも含めて、一応報告だけはしておこう」
「はい、わかりました……」
ミコリーナを案じるウィロットの気持ちはわかるが、ここでじたばたしてもしょうがない。
俺は羊皮紙を机の引き出しにしまい、今日は眠りにつく。
その日の夜、俺は夢も見ずに深く眠ることができた。
そして次の朝。
俺はカインから、マリーと羊皮紙が姿を消したことを知らされる。




