双子の実と猫の呪い Ⅻ
ウィロットは俺たちの中央に陣取った。そして、手に持った桶をドンと床に置き、持ってきたタオルを放り込む。
彼女はその中に手を突っ込みタオルを取り出すと、それを両手で固く絞る。その手が見る見る赤くなり、絞られたタオルからは湯気が立ち上った。
「ウィロット!手は大丈夫なのか!?」
「平気です!皆さんちょっとだけ下がっていてもらえますか?」
「しかし……」
俺の心配そうな顔を見て、ウィロットはにっこりと笑った。
「わたしオルバートにいたころ、猫も山羊も取り上げたことありますから!妹が産まれる時も一緒にいました!」
「……わかった。頼んだよ、ウィロット」
「はい!」
彼女はメイド服の袖をまくりながら口をキュっと結ぶと、必死に赤子の毛繕いをする母猫にそっと近づいていく。
「さあ、猫ちゃん、怖くないですよ……。赤ちゃんはわたしが助けて見せますからね……」
小さく声をかけ、そっと手を伸ばすウィロット。しかし母猫の毛は一瞬で逆立ち、ウィロットに向けて「シャーーッ!」と威嚇の声をあげた。
無事に子猫を預かれるのだろうか?いや、多少傷を作ることくらい躊躇できない……。
「大丈夫ですよ……。ちょっとだけ赤ちゃんを借り……」
「ウィロットさん、待って下さい……!」
静止の声を上げたのは、プリオストラだった。
「赤ちゃんは僕が取ります!」
「だめです、王子様!危険ですし汚れてしまいます!」
「いえ、これは僕がやらなきゃいけない気がするんです……!シャルロッテは僕に一番懐いていますから!」
「噛みつかれますよ?」
「それくらい平気です!」
ウィロットは一瞬だけ悩むが、プリオストラの真っ直ぐな視線に強くうなづいた。
「わかりました、お願いします!赤ちゃんをゆっくり優しく持って、臍の緒は切りやすいところをナイフで切って下さい。切る時にお臍を強く引っ張らないように気をつけて。ゆっくり急いでください!」
プリオストラは「はい!」と返事をして、ウィロットからナイフを受け取る。
「シャルロッテ、君の赤ちゃんを預かるよ……。大丈夫、みんな君と君の子どもたちが無事でいることを望んでいるんだ……」
プリオストラはゆっくりと、しかし迷いなく母猫の背中に手を伸ばした。母猫は首を微かに上げ、威嚇の声を更に大きくする。
アンの手に、グッと力が入ったのが見えた。
彼女も本当は、プリオストラが危険なことをするのを止めたかったのだろう。しかし、それを堪えたのも、きっとプリオストラにそれが必要だと思ったからだ。
そんな彼女に、アセリアの姿が重なる。
俺が同じ立場に立った時、きっとアセリアもそうさせたに違いない。
「シャルロッテ……、僕たちも手伝うから、もう少しだけ頑張って……」
プリオストラの手が、母猫の背中にそっと触れる。
一瞬室内に緊張が走った。しかし、母猫は少しだけプリオストラの手に頬を擦りつけると、何事もなかったように赤子の毛繕いを始める。
「ありがとう……、シャルロッテ……!」
ほっとする間も無く、ウィロットの声が飛ぶ。
「王子様!急いで下さい!」
「あ!う、うん……!」
プリオストラは子猫を両手でそっと掬い上げ、片手に持ち帰るとナイフで臍の緒を切り落とす。
「ウィロットさん!お願いします!」
プリオストラは子猫をウィロットに手渡した。
「任せて下さい!お姫様!癒しの奇跡はできますか!?」
「も、もちろんですわ!お任せ下さい!」
イリュストラは神官なのだ。若くしても当然癒しの奇跡は使える。彼女は魔法の詠唱をし、両手を開いて子猫へかざす。
彼女の詠唱は、純粋な神への祈りだった。
ウィロットはお湯で濡らしたタオルで顔の周りの羊膜を拭き取る。そして、逆立ちさせるように猫の頭を下にすると、胸の辺りをギュッ、ギュッと数回握り締めた。
「う、動いた!」
その瞬間、子猫が微かに手足を伸ばす。
ウィロットはすかさず、子猫の顔をを丸ごと飲み込むように鼻を咥え、そっと息を吹き込んだ。それに反応して子猫の腹部が膨らみ、口を離すと萎んでいく。数度それを繰り返し、ウィロットは子猫を持ち上げてお腹の辺りに耳を当て、再び子猫の鼻を咥えて息を吹き込む。
彼女の顔は血と体液に塗れ、見るも無残な姿になっていた。それでも彼女は子猫に息を吹き込み続け、イリュストラは癒しの奇跡を施し続ける。
そして何度目かの息が吹き込まれた時……
カッ!カッ!と、咳のように数度喉を鳴らし、子猫はにー……にー……と、小さな産声をあげた。
「やったぁ!」
「すごいですわ!ウィロットさん!」
プリオストラとイリュストラから称賛の声が上がり、二人はギュッと抱きしめ合った。二人の肩に、アンがそっと手を乗せる。
「大きな声を出すとお母さん猫がびっくりしちゃいます」
ウィロットは照れたようにそう言うと、子猫をプリオストラに手渡した。
「王子様、赤ちゃんをお母さんに返してあげて下さい」
「うん、ありがとう……」
プリオストラは子猫を受け取ると、母猫の元に子猫をそっと戻す。
母猫はちらりとプリオストラの顔を見て「にゃー」と鳴くと、息を吹き返した子猫へザリザリと毛繕いを始めた。
「ウィロット、すごいよ……」
俺はタオルを濡らし、彼女の顔をそっと拭った。
そして俺は、溢れる感情のままに彼女をギュッと抱きしめてしまった。
「だ、だめです。ユケイ様、お召し物が汚れてしまいます……」
「ほんとよくやってくれた……。ありがとう……」
「離れて下さい……。あ、あの、汚れたお洋服を洗うのはわたしです」
その言葉を聞いて、俺はパッと彼女を解放する。
彼女の耳は先まで真っ赤に染まっていた。
「ご、ごめん」
「い、いえ、いいんです。ぜんぜんいいんです……」
そう言いながら、彼女は顔を隠すようにそっぽを向いた。
「ユケイ王子、ウィロットさん、本当にありがとうございました……」
イリュストラとプリオストラは手を固く握り、今にも泣き出しそうな声でそう言った。
「そんな、礼には及びません……」
「そんなことはありません。このご恩はどうやって返せばいいのか……」
「いいえ、頑張ったのは王子たちと、ウィロットです。私はただ見守っただけです」
二人の視線がウィロットに向くと、彼女はどうすればいいのかわからないといった様子でおろおろと狼狽えた。
産まれた四匹の子猫。一匹は母猫の毛繕いを受け、残りの三匹は母猫のミルクを求めてニー、ニーと鳴きながら蠢いている。
「イリュストラ姫、プリオストラ王子、子猫たちを見て何か気がつきませんか?」
「何か……ですか?」
二人は一度顔を見合わせて、子猫たちに目を落とす。
「あっ……」
しばらく猫を眺めて首を捻っていたが、プリオストラがハッと顔を上げた。
「わかりましたか?」
「最初の三匹は毛の色が灰色ですが、最後の一匹はシャルロッテと同じ真っ白な毛並です……」
「はい、そうですね。彼らは四つ子ですが、一匹だけ毛並みが違います。ではイリュストラ姫、最初に産まれた三匹は魂を分けた兄弟で、最後の一匹はそうでないと思いますか?」
イリュストラはじっと子猫たちを見つめ、ゆっくりと考えて答えた。
「そんなことありえませんわ。四匹とも、間違いなく魂を分けた兄弟に決まってます」
「そうですね。では、白い子猫は他の猫に比べて体が小さいです。それは、他の兄弟が白い猫の命を吸ったからだと思いますか?」
今度は間髪を入れず、首を左右に大きく振った。
「それもあり得ませんわ。きっと姉は、産まれる前から弟を愛しています。そんなことは絶対にあり得ません!」
「……母猫は命をかけて子を産みます。周りの人も全て、心の底から無事に産まれてくるように祈り、見守り、力を尽くします。そうしてやっと、新しい命が産まれてくるのです。人も猫も、何も変わりません……」
イリュストラはしっかりとプリオストラの手を握る。
そして二人は笑顔を見せた。
その曇りのない表情は、まるでラティスに咲き誇る白い小さな双子の花のようだった。




