双子の実と猫の呪い Ⅹ
「お姉様!?」
「イリュストラ様!大丈夫でございますか!?」
プリオストラとアンの声が室内に響きわたり、二人はイリュストラの元へ駆け寄った。
心配そうにそっと背中に手を当てるアンを、イリュストラは首を振って静止する。
「大丈夫です、アン。すぐに落ち着きますから……。プリオストラも、大丈夫ですわ……」
そうは言うが、とても平気そうには見えない。
彼女の体調不良の原因は、俺には既にわかっている。そして、それを改善するのは簡単だった。
「イリュストラ姫、そのままではお体によくありません……。その、失礼を承知で申し上げますが……、身に付けたものを外された方がよろしいのでは……」
俺の言葉にイリュストラは少し驚いたような顔をする。
それが逆に功を奏したのか、彼女の呼吸は徐々に落ち着きを取り戻していった。
「……もう大丈夫ですわ。おかげで落ち着くことができました。けど……、女性にあれを外せなど、特別な方であっても言うべきではありませんわ。わたくし少々びっくりいたしました」
「そ、それは確かにそうです。大変失礼しました……」
イリュストラが言うあれとは何を指しているのか?
何のことはない、ティナードが呪いだと大層な呼び名で勘繰っていた彼女の不調の理由。食欲不振の原因、そして今まさに息苦しそうにしていたのは……。
それは全て、彼女が身に纏っているコルセットによるものなのだ。
アンは俺の言葉に何も反応を見せない。
おそらくアンも、イリュストラの異常の原因がコルセットであることを知っていたのだろう。
ティナードはイリュストラの呪いを調査した時、アンへの聞き取りはしなかったのだろうか?いや、もしかしたらイリュストラにそのことを口止めされていたのかも知れない。
そもそもこの世界において、貴族令嬢という立場でコルセットを受け入れないという選択肢はない。
アルナーグではともかく、ヴィンストラルドではメイドまでも全てコルセットを着用している。
最初のお茶会でイリュストラがやたらとウィロットやマリーを気にしていたのは、おそらく二人がコルセットをしていないことが気になっていたのだろう。
しかし、彼女の様子から見てとても体調に配慮してそれを着用しているとは思えない。
この世界の価値観から言えば、女性はウエストを締め上げれば締め上げるほど高貴な姿だと言われている。
しかし、まだ体が十分に出来上がっていないイリュストラがコルセットを着用するのは早すぎる。
前世において、コルセットによって骨に異常が起こることが発見されたのは19世紀だ。それはレントゲンの発明によってもたらされる。しかしそんなものに頼らなくても、イリュストラの様子を見ればコルセットが有害なのは火を見るより明らかだ。
先ほどイリュストラは、プリオストラの体が弱いのは自分のせいだと言っていた。
そんなことは有り得ないのだが、もしかしたら体の弱い彼に対して、贖罪の思いがあるのではないだろうか……。
「……ウィロットさんが仰るとおり、ユケイ王子は医学についてもお詳しいというのは本当のことなのですね」
イリュストラは一瞬だけ口ごもるが、意を決したような、そして縋るような視線を俺に向けた。
「ユケイ様、どうか教えて下さいませ……。わたくしとプリオストラは、双子なのに何故このようにまで違うのでしょうか?」
「それは、双子にも様々な双子があるとしか申し上げれません……。イリュストラ姫が仰るように、双子の片方がもう一方から力を奪うなど、そんなことは絶対にあり得ないのです。……ですから、イリュストラ姫も決して無理はなさらず、自分を痛め付けるようなことはおやめ下さい。そんなことをしてもプリオストラ王子の体調は良くなりません……」
俺は先日、ティナードにした話をもう一度繰り返した。
双子といえど、それには一卵性と二卵性の双生児がある。
一つの受精卵から分裂した一卵性双生児は、多くの場合において同じ遺伝子情報を持つことになるので性別は同じに産まれる。外見や体的特徴も、非常によく似たものになるのだ。
イリュストラとプリオストラの場合は、性別が違う時点で間違いなく二卵性双生児である。二卵性でも遺伝子は近いものを持ち、容姿や体格などは似る傾向はある。しかし一卵性と比べればその確率はグッと低くなり、双子にもかかわらず全く違う特性を持つことも多々あるのだ。
イリュストラとプリオストラを並べて見れば、二人のよく似た愛らしい容姿に双子であることを疑う者はいないだろう。それでも健康状態は同じにはならない。
しかし、なんと説明すればイリュストラはそれに納得してくれるのだろうか?
彼女の思い込みは、彼女が神官であるという宗教的な教えも前提になっているのかもしれない。
医学が進んでいないこの世界において、その仕組みは当然常識外のことだ。説明して納得してもらうことは難しいだろう。
室内がシンと静まり返る。
イリュストラはもう涙こそ流してはいないが、深く項垂れていた。
プリオストラは心配そうに姉を見つめ、ウィロットだけがどうすればいいのかわからずにおろおろとしている。
しかし、イリュストラは自ら顔をあげ、精一杯の笑顔を作ってこう言った。
「ユケイ王子、大変失礼いたしましたわ。せっかくの楽しいお茶会の雰囲気を重くしてしまいました。さあ、プリオストラは席にお戻りになって下さい。お茶も冷めてしまいました。アン、お茶を入れ直して下さいませ」
アンは「はい、かしこまりました」と答え恭しく頭を下げると、茶器を持って側を離れる。
気丈なイリュストラは立派だと思う。
末子ですら、大国の王家の人間にはこの様な態度が求められるのだということを思い知った。
それでも室内を覆った重い空気は、和らぐことはなかった。
あれほど鳴いていた猫も、隣の部屋の違和感に気づいたのかピタリと声を上げなくなっていた。
よくよく考えると、少し前から猫の声を聞かなくなったような気がする。
……なんだろう?いまさらなのだが、先ほどの鳴き声が少し気になる。
あまり高い声ではなかったから、子猫ということはないだろう。
そもそも猫は鳴くのが得意な動物ではなく、人間に飼われている猫以外は普段から鳴き声を上げることはない。鳴き声は外敵に自分の姿を晒すことになるからだ。なので、喧嘩や威嚇の時、もしくは何か痛みを感じた時以外に鳴くことはないのだという。あの甘えたような鳴き声は、人間と生活するようになってから身についた習性らしい。
先ほどの猫は止まることなく延々と鳴き続けていた。飼い主がいない所で鳴き続けるというのは、何か気になることがあったのか、餌をねだっているのだろうか?
奥の部屋にいる猫が野生かどうかはわからないが、幼いイリュストラに捕まえてこれたのだ。十分に人に慣れた猫なのだろう。もちろん、どうやって捕まえたかにもよるが。
ふとプリオストラと目が合った。彼も何やら扉の方を気にしている様子で、猫の動きに違和感を感じているようだ。
何か俺に言いたそうにしているようにも見えるのだが……。
「プリオストラ王子、どうかされましたか?」
「は、はい……、あの……」
彼は少し気まずそうな表情で、奥に行ったアンの方をチラリと見た。そして、小さな声で俺に問いかける。
「ユケイ王子、教えて頂きたいことがあります……。あの、例えば何か小さめの動物が、急に食事を取らなくなるというのはどういうことが考えられますか?」
「小さな動物……?ああ、例えば猫とかですか?」
「えっと……、そうです。猫です……」
「餌を食べない、ですか……。それ以外に何か気になったことはありますか?」
「そういえば、少しいつもより落ち着きがなかったような気がしますわ。ずっとうろうろしていたような……」
そう答えたのはイリュストラだった。
彼女も俺が猫の存在に気づいていることを理解しているようだ。
「そういえば、先ほどずっと猫が鳴き続けていましたが、普段からあのような様子ですか?」
「ずっと鳴いていた?いいえ、シャルロッテはほとんど鳴いたりはしませんわ」
急に出てきたシャルロッテというのは、猫の名前なのだろう。
そうか。内緒話の秘宝の影響でイリュストラには猫の鳴き声は聞こえてなかったのだ。
普段は鳴かないというのであれば、先ほどの様子はやはり気になる。一転して、今は全く鳴き声を上げないというのはどういうことだろう?
「はっきりとはわかりませんが……、急に餌を食べなくなるというのは、何か病気を患っている可能性もあります」
「まあ……!」
「猫は繊細な動物ですから、ストレスで餌を食べなくなったり、それ意外にもいろいろと……、あっ!」
不意に閃く。猫が食事を取らなくなる理由。
それ以外にも落ち着きをなくしたり、何もないのにずっと鳴き続けたり……。
前世の子ども時代、俺は家で猫を飼っていた。その時の猫の振る舞いで、同じような行動を見たことがある。そしてその後、その猫が行ったのは……




