赤毛の少女 Ⅵ
それから後、俺はそのままベッドの上でアゼルから細々とした事の説明を受ける。
カインが剣で撃ち抜いた床は下の階まで達し、それに関する修理費を請求されたこと。カインが繰り広げた格闘で、騒然となった部屋の片付けをローザが手伝ってくれたこと。最初に案内してくれた執務官のティナードから、こってり嫌味を言われたこと。そして、カインはマリーに対して感謝の意を表し、二人の緊張は少し緩和されたという。
「それはよかった。じゃあ、カインはマリーをもう疑っていないってことなのかな」
「それは分かりませんが……。前ほどの険悪な空気はありません」
「そっか……。アゼルはどう思う?」
「……はっきりと申し上げてよろしいですか?」
「ああ……」
その前置きで、彼が何を言わんとするかは理解できる。そしてそれは、俺と同じ思いだろう。
「ユケイ様に敵意がないということはその通りでしょう。しかし、私はむしろ疑いを深めました」
「……だよね」
それもそうだ。普通の商人の娘に、カインの剣を躱すなんてできない。そして、毒を飲んだ俺に対する的確な対処。
並の神経では、俺を床に引きずり倒すことすら躊躇するだろう。
「……衛兵に引き渡すなんて言わないよな?」
「どうでしょうか……。ユケイ様に害意がなかったとしても、何か迷惑をかけるかもしれません」
「……けど、今回は俺を助けてくれたし、今後も助けてくれるかもしれない」
「不可解です。なぜ素性もわからない平民を助けようとするのですか?」
「助けようとしているんじゃない。理不尽な罰を与えたくないだけだ。平民だとかそんなのは関係ない」
「理不尽でしょうか?」
「ああ。理不尽だ」
俺とアゼルはじっと視線を交わす。
そして彼は、諦めたかのようにため息を吐いた。
「今回ユケイ様の命を救ったのは、紛れもなくマリーです。一度は目を瞑りましょう。その代わり、マリーには別の働き口を探します。マリーを部屋に置くのはそれまでです」
「うん、わかった。ありがとう……」
アゼルは俺に向け深く頭を下げると、俺の前から姿を消した。
その様子は、俺に謝罪をしているかのように見えた。
「やっぱり、命が軽いな......」
リットの件も、マリーの扱いについても、どうしても心にわだかまりを感じる。
俺は今世と前世、二つの世界の常識の中で生きてきた。
この世界に前世の常識を嵌め込むような愚かなまねはしたくないが、それでも前世の方が生きた時間は長い。
何年いても、身に刻まれたものは抜けないのだ。
王族の毒殺は、死刑になるのは仕方がないと言える。前世に当て嵌めても重罪だ。
だとしても、犯行に関してもっと調査を尽くすべきだ。今回の件も、リットの手による犯行だと十分証明されているのだろうか?
もしリット以外に真犯人がいる場合、危険は何も排除されていないことになる。
確かに今回の件、リットが犯人であれば犯行は可能だ。リット以外には不可能だといえなくもない。
しかし不可解な点も二つある。
一つは、動機が思い浮かばない。
そしてもう一つは、毒見だ。
自分で毒を入れたのだから、当然自分で毒見はしない。
しかし、俺が飲む前に他の誰かが毒見をしたら、俺以外の人間が被害に遭う。
俺も毒見が済んでいると思い込んで飲んでしまったが、俺以外の者が被害に遭っても良かったということだろうか?
そもそも、自分で毒見をしろと言われた場合、どうするつもりだったのだろう。
「ユケイ様...... よろしいでしょうか?」
いつもだったら勝手にどんどん話しかけてくるのだが、今日のウィロットは控えめに目通りの許可を求めてきた。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした......。 わたしが市へ行きたいだなんて言ったばかりに、こんなことになってしまって......」
そう言いながら、ウィロットの瞳から大粒の涙がぼたぼたとこぼれ落ちた。
もちろん今回の一件で、ウィロットにはなんの責任もない。
しかし、ウィロットの立場に立って見れば、確かにそう感じてしまうのも理解できる。
「いや、ウィロットが謝る必要はない。今回の件はウィロットにはなんの責任もない」
「そんなわけないです。わたしは毒見役です。ユケイ様に毒を飲ませてしまいました」
「だってあの時ウィロットはいなかったじゃないか。毒見が済んでいると思って、勝手に飲んでしまった俺が悪い……」
ウィロットはブンブンと音が鳴りそうなほど激しく首を左右に振る。
「わたしはユケイ様から離れるべきではありませんでした……。わたしはユケイ様に迷惑ばかりかけてます……」
彼女はまるで消えてしまいそうな声を出す。
「ウィロット、俺は君に迷惑をかけられたことなんて一度もないよ」
「そんなことあるわけないじゃないですか!初めて会った時だって、わたしが誘拐された時だって……」
「それだって、俺は迷惑だって思っていない。それに今回のことだって……。ウィロット、少し馬鹿なことを言っていいかい?」
「ユケイ様が馬鹿なわけありません……」
「俺は毒を飲んだのが俺で……、毒を飲んだのがウィロットじゃなくって本当に良かったと思っているんだ」
「それは……、おかしいです……。そんなのおかしいです」
そう言ってウィロットは俺に縋り付く。
「ああ、そうだね……」
しかし、それは偽りのない俺の本心だった。
結果的に俺は助かったから言えることではある。しかし、ウィロットが毒を飲んで彼女に万が一のことが起こっていたら……。
そう考えれば、どうしてもこれで良かったと思えるのだ。
「さあ、ウィロット。お茶を入れてくれないか?あ、せっかくだからメープルシロップも用意して欲しいな」
俺がそう言うと、ウィロットはなぜか申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「あの、実は市にメープルシロップは売ってなかったんです」
「あ、そうなんだ。まあ、残念だけどそれは仕方がないね」
「はい……。ローザ様は売ってるっておっしゃってたんですけど」
ウィロットはそう言うと、グイッと涙を袖口で雑に拭って立ち上がった。
そうか、メープルシロップはなかったのか。それは残念だね。
けど、そもそもその情報がなければウィロットは買い物に出かけることもなかったし、あの事件も起きなかっただろう。
まあ、そんなことを言っても仕方がない……。
……いや、本当に仕方がないのか?
偶然ウィロットが市に出かけ、偶然リットが部屋に招かれた為に起きた事件……。
そうだ。あの日ウィロットが部屋を外したのは仕方がないとしても、そんな偶然がなければ、あの事件は起きなかった。
「どうしましたか?ご気分が優れないとか......」
急に黙ってしまった俺を、心配そうにウィロットが覗き込む。
「いや、大丈夫だよ」
「それではお茶の用意をしてきますね」
彼女は深々と頭を下げ、にこりと微笑み部屋を出て行く。
目の下にうっすらと残る涙の跡が痛々しい。
それからしばらく、寝台の上で考えを巡らすが、体調のせいかどうも纏まらない。
何か、考えに薄く霧がかかっているかの様な気分。
大切なことを忘れている気がする……。
「ユケイ様、失礼します」
そう言うと、ウィロットが茶器を一式、トレーに乗せてやってきた。
寝台の脇のテーブルで、手早く準備を始める。
そうだ。あの日も確か、同じ様にリットは準備をしていたはずだ。
あの時俺は、マリーとカインに気を取られてリットの動きに深く気を配っていなかった。
リットの動きに不自然なところは何もなかった。
そう、何もかも余りにも自然だったのだ。
「おまたせしました」
マリーが目の前でお茶に口をつけ、毒見を行い、カップをサイドボードの上に置く。
マリーの事は信頼しているが、あの時の記憶が蘇り、少し鳥肌が立つのを感じた。
確かあの時......。
頭の霧が、晴れていく気がする。
そうだ、あの日、リットに出されたお茶を飲もうとカップを手に取り......。
俺は記憶を探りながら、あの時のことをなぞるように手を動かす。
お茶を飲んだ瞬間、リットは小さく言ったんだ……。
「......あっ」
それは、記憶をなぞる俺の脳が起こした幻聴かと思った。
しかし、それは間違いなく俺の耳に届いた声だ。
そしてその声の主は、ウィロットだった。




