切子硝子 Ⅹ
突如窓に現れたガラスのヒビは、規則的な紋様を作り出している。
一つ一つの破損を見ると直線、もしくは緩やかな弧を描いたガラスのヒビだ。
しかし全体を見れば、規則正しく放射状に伸びた花びらの形。どう考えても偶然が生み出したものであるとは思えない。
それはまるで精巧な技術によって描かれた芸術作品のようだ。降りしきる雨と時折の雷光に照らし出されるその姿は、美しくも不気味に見える。
しかし、よく見るとヒビが入ってしかるべき箇所のガラスが、数枚割れずに残っているのが見える
割れていないガラスは三枚だろうか。一枚は窓の取手のすぐ横、あとは右下に並んで二枚だ。
「……これ、ユケイ様がやったんですか?」
ウィロットが不思議そうな顔をして俺を見る。
どうやら耳の調子はすっかりと回復したようだ。
「そんなわけないだろ!」
「それじゃあ誰が……、神様ですか?」
ここは大聖堂の尖塔だ。彼女がそう考えてしまうのも理解できる。しかし神の存在に懐疑的な俺は、前世では到底理解できない不可解な現象が蔓延るこの世界で、魔法こそが奇跡なのではないかと思う。
「……こんなことができるのは、神様か……ヘリオトロープくらいだろう」
あの規格外の魔女であれば、これくらいの芸当はやってのける。
もしかしたら先ほどの落雷自体、彼女の仕業なのかもしれない。
だとすれば、いったい何が目的でこんなことをしたのだろうか?
「……あの悪趣味な魔女の仕業ですか?」
カインの表情は、何やら納得していないようにも見える。
さすがの魔女も、雷を操ることはできないと言いたいのだろうか。
しかしもし彼女がそれができるのであれば、その戦力はいったいいかほどになるのだろうか。
「ユケイ様、この花ってあれに似てませんか?大聖堂のステンドグラスに描いてあったやつ」
「え、そうなの?俺はまだステンドグラスを見てないから……」
「ああ、そう言われればそうかもしれません」
ウィロットの言葉にティファニーが同意をする。
俺とカインがマンドレイクを採取しに行っている時、彼女らは大聖堂に入っている。
二人が同意しているのであればそうなのかも知れないが……
トントン……
扉がノックされルゥが現れる。
そして彼女は窓ガラスの様子を見て、大きく息を呑んだ。
「これは……ユケイ王子がされたのですか?」
「い、いや、違うよ!雷が落ちたと思ったら、自然にこうなってたんだ」
ウィロットもルゥも、俺のことをどう思っているのだろうか。
とりあえずヘリオトロープのことは口に出さないでおこう。
「ルゥ、これってあのステンドグラスの花ですよね?」
「……はい、そう見えます」
ウィロットの問いに、ルゥは同意する。
教会に慣れ親しんだルゥがそういうのであれば、少なくともこの花はステンドグラスを想起させるものだということなのだろう。
彼女の表情はめいっぱい困惑した様子だ。
「……神官様を呼んで来ますので、窓には触らないようにして下さい」
彼女はそう言い残し、そそくさと部屋を後にする。
「ウィロット、ステンドグラスの花って……」
「本物は多分もっと大きいと思いますけど。色もいろんな色がついていましたし。聖堂の正面の、一番大きな窓についていました」
「そうか……」
僅かな間を置いて、ルゥが数人の神官を引き連れて部屋に戻ってくる。
「これはいったい……」
神官たちは目を大きく見開き、窓ガラスの現状に嘆きとも感嘆ともとれる声をあげた。
俺たちは事の経緯を問われ、先程目の前で起こったことを説明した。
神妙な顔で俺たちの話を聞いていた彼らは、ボソボソと相談を始める。
「これはもしや、……奇跡ではないでしょうか?」
「奇跡……?」
「そ、そうです!奇跡に違いありません!」
「そうか、奇跡か……!」
彼らが言う奇跡というのは、神が人々に何らかの意思を伝える為、決して人では起こせないような事象をもって語りかけることを言う。
例えば聖人の遺体がいつまでも腐敗しなかったり、神を模した像が涙を流したり、湧き水がワインへと変わったり。
それらの事実を教皇が認定することにより「奇跡」と呼ばれ、事の真偽は別にしてそれが発露した場所は聖地として教会内の重要度が飛躍的に高まるのだ。
「コンスト司教に……、いや、バルボア教皇に奇跡の認定をしていただければ、ザンクトカレンにとってこの上ない栄誉を授かることになります!」
はしゃぐ神官達を、つい冷ややかな目で見てしまう。
これが奇跡だとしたら、神はこれで一体何を語りかけようとしているのか。
もっとも、それをこじ付けるのも聖職者だが。
この程度のことだったら、ヘリオトロープの力を借りればすぐに一ダース量産できるだろう。
程なくして、部屋に別の来訪者が現れる。
「失礼する……」
「おお、コンスト司教!」
その声の主はコンストだった。
コンストは先日の会議で席を並べていた司祭と、下働きらしき男を連れている。
はしゃぐ神官たちと違い彼は不機嫌この上ない様子の表情を浮かべ、それに気づいた神官たちは不思議そうな面持ちで顔を見合わせた。
「コンスト司教、こちらをご覧ください!ついにザンクトカレン教会にも神の奇跡が……」
「黙れ!」
コンストは一喝して神官の言葉を遮った。
神官はビクリと肩を跳ねさせ、声の主を見て息を呑んだ。
コンストは窓ガラスの前へ進み、じろりとその全体に目を向ける。
雷雨に輝く疵の花を前に騒ぐ神官たちとは対照的に、それを見る彼の視線は非常に憎々しげだ。再び閃いた稲光が薄暗い室内を照らし、床には歪な花の影がふわりと浮かび上がった。
「……窓の取っての部分と右端のガラスが割れていないのは何故だ?」
その答えがわかる者はおらず、問いに答える者はいない。
「ユケイ殿下、其方はこれを神の御技だと思いますか?」
「それは……どうでしょうか……」
俺ははっきり言えば違うと思う。しかし、それを憚らず口にするのが正解なのかどうか判断できない。
「そうでしょうとも。神の御技であれば、こんな醜いミスは犯さない」
そう言いながらコンストは割れ残ったガラスを指差す。
「……殿下、これをご覧下さい」
「司教様!」
彼と共に現れた司祭がそれを制止しようとするが、彼はそれを気にする様子もなく俺に小さなメモを渡した。
紙は縦に十シール、横に二十シール強の薄い植物紙だ。
乾いたザラザラとする手触りで、便箋など文字を書くには少し厚みが足りないような気がする。
実際、書かれた文字が二つ折りに隠されていても、透けて読み取ることができそうだ。
しかし安物の紙というわけではなく、均一な漉き具合は高い品質を感じさせる。
なんだ?この紙は……
手紙のやり取りをするために作られたようには思えない。
少なくとも俺の記憶に合致するものはなかった。
紙の端が少し濡れて崩れかけているのは、恐らく雨のせいだろう。
「……読んでよろしいのですか?」
「殿下……。そのために渡したのです」
俺は二つ折りの紙を開き、中の文字に視線を落とす。
「……神の裁きがガラスの花を咲かすだろう。収穫祭を中止にしろ。従わなければ、次は神の裁きがガラスの大花を散らせることになる」
シンと室内が静まり返る。
その息詰まるような沈黙を埋めるように、ひび割れた窓ガラスを打つ雨音だけが大きく響いていた。
「これは……脅迫状ですか?」
「脅迫状!?」
神の奇跡だとはしゃいでいた神官たちが、驚きの声をあげた。
「神の裁きがガラスの花を咲かす」というのは、今目の前にあるこれのことに違いない。
であれば、ガラスの大花というのは恐らく大聖堂のステンドグラス。
そして散らせるというのは、それに何か良くないことが起きることを示唆しているのだろう。
つまりこの脅迫状は、「収穫祭を取り止めなければ、大聖堂のステンドグラスを破壊する」という意味み取れると思うにだが……
「これはいったいどこで手に入れたのですか?」
俺の問いに司祭が答える。
「雨が降り出した頃、そこの下働きが受け取ったようです」
司祭は同行してきた下働きの男を指差した。
その男には見覚えがあった。
以前この部屋に、窓ガラスを嵌めにきてくれた男だ。
男は外で作業をしていたのか、雨によりぐっしょりと濡れている。
「相手はどんな人だった?」
「それは、外套を深く被っていたので顔とか姿は分かりませんでした……」
「何か特徴はなかったか?」
「特徴……ですか?」
俺の問いに男は言い淀み、特に言葉が出てきそうにない。
「えっと、キミは雨が降り出した頃にこれを受け取ったんだよね?なぜすぐに手紙を誰かに見せなかった?」
「申し訳ありません……。干し葡萄など、急いで雨から避難させなければいけないものがありましたので……」
「だからといって……、ああ、あなたは文字が読めないんじゃあ……」
「はい、読めません……」
この世界の識字率は決して高くない。文字が読めなければ、この手紙を急いで誰かに見せた方がいいということに理解が及ばなかったのかもしれない。
そもそもこの謎かけのような言葉、ことが起きてからでなければ事態を察知することは難しいはずだ。
「……コンスト猊下。これを私に見せて、一体どうしろというのですか?」
コンストは知れたことと言わんばかりに俺を見た。
「エヴォン猊下に伺いましたが、殿下はたいそう知恵が回るとのこと。収穫祭はザンクトカレン全ての民が待ち望んでいる行事です。決して中止になどできません」
「それは……理解できます」
「特に今回は、エヴォン猊下やユケイ殿下にも御足労を頂いています。お二人の威信を傷つけるわけにもいきません」
「……それで?」
「殿下には犯人探しにぜひ協力をしていただきたい」
収穫祭を中止というのは到底容認できないはずだ。
それはザンクトカレン教会のみならず、ヴィンストラルドの威信に関わる行事なのだから。
それだけではない。収穫祭とは一年間多くの苦難を乗り越えて生活し、これから深い雪と寒さに閉ざされる地域の人たちにとって冬を耐え忍ぶ希望なのだ。
しかし大聖堂のステンドグラスというのも、多くの人の信仰を支えてきたものに違いない。
少なくともこの脅迫状を出した人間にとって、収穫祭とステンドグラスの価値が釣り合っているということだろう。
それらはどちらも教会、そしてヴィンストラルドにとって掛け替えのないものだということは分かる。
かといってそれには危険が伴うかも知れないし、アルナーグの俺からすれば関係ないともいえる。
しかし俺は、収穫祭を心待ちにしているオルゼンとマルタのことも知っている。エリヤザルとマリアは、どんな思いで収穫祭を迎えるのだろうか。
ふと視線を逸らすと、そこには不安げな表情のルゥもいた。
面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。しかしこのまま見過ごすことも俺にはできない。
「……わかりました。可能な限りお手伝いはします」
背後からカインの大きなため息が聞こえた。




