切子硝子 Ⅺ
コンストとルゥたちは部屋を引き揚げ、室内には奇妙な沈黙だけが残った。
外の雨は依然として降り続け、しかし雷は遠くになりを潜める。
しばらくの後、沈黙を破ったのはカインの呆れと非難が入り混じった言葉だった。
「まったく……。どうしてユケイ様はそう次から次へと厄介ごとに首を突っ込むのですか?」
「別に自分から突っ込んでいるわけじゃないだろ?全て巻き込まれただけだよ」
「ユケイ様にはそう見えているのですね」
「見えてるって……、実際そうだろ?」
俺はウィロットに同意を求めるが、彼女はやれやれと肩をすくめる。
「そもそもザンクトカレンに来たのはいろんな理由があるが、一つは教会から無害だという認定をもらうことだ。だったら彼らに恩を売っておくのも一つの手だろ?問題の解決を交渉材料にしてもいい」
「ユケイ様が教会に恩を売る形で問題を解決されるならそうでしょうね」
「それは……、まあそうだけど」
マグダラのマリアの魔女裁判の件、そして今回の収穫祭脅迫の件、それぞれ被害者と加害者の思惑があり、どちらにもコンストが加害者、被害者の立場で関わっている。
つまりはそれ自体を交渉材料にすることもできるわけだが、物事には曲がりなりにも善悪があるのだ。
「……で、どうされるのですか?収穫祭までひと月もありませんよ?」
「まあ、とりあえずさ、狙った場所に雷を落とせる人物なんてそうそういないだろ?」
「……あの魔女ですか?」
「他に誰かいると思う?」
時系列を辿れば、雨の降り始めに下働きの男が手紙を受け取ってその後に落雷があった。
手紙を渡した外套の人物かどうかは置いておいて、それに関わる誰かが教会の尖塔に雷を落としたことになる。
少なくとも狙って尖塔に雷を落とすことができなければ、もしくは発生した雷を尖塔に誘導できなければ、事態を引き起こすことができないのだ。
確かにザンクトカレンには高い建物は少なく、落雷する場合は黙っていても尖塔に落ちる可能性は高い。
だとしても、教会には同じ高さの尖塔が二つある。
「……あの魔女が犯人だとして、でしたら収穫祭を中止させる目的は何ですか?」
「そこなんだよな……。教会は魔女を異端に認定しているが、ヘリオトロープは自分の口で『教会を敵視していない』っていっていた」
「例え魔女が収穫祭を中止させたいと思ったとして、このような方法を取るでしょうか?」
「……カインはヘリオトロープの仕業だということに、あまり納得がいってないようだね?」
「奇しくもコンスト司教が仰ったのと同じ理由です。彼は神の仕業であれば全てのガラスが割れているはずだと言いました。わたしも同じ意見です」
「ヘリオトロープがやったのであれば、ガラスを割ることに失敗しない?」
「……はい」
カインは恐らくヘリオトロープを警戒するあまり、その能力の底知れなさを過大に評価しているのだろう。
しかし彼が言う通り、神か魔女が犯人であればあの割れ残った三枚のガラスは逆に不自然かもしれない。
「……それはそうだね。ティファニー、例えば賢者エインラッドだったら、雷を魔法で操れると思う?」
ティファニーは顎に手を当て、考えを巡らせる。
「雷を操る魔法は、わたしは聞いたことがありません」
俺もかつて習得を夢見て、多くの魔法を調べたことがある。しかしその中には、雷に関する魔法はなかったはずだ。
もっとも多くの魔法は秘術だ。
全ての魔法が公開されているわけではないだろうが。
「まあ、エインラッド様や他の優れた魔術師が魔法で雷を操れる可能性もゼロではないけど、だからといって窓ガラスに花の模様を刻めるわけじゃない。とりあえず窓ガラスを調べてみようか」
「ユケイ王子殿下、ガラスを割らないようにお気をつけて……」
「大丈夫だよ、ティファニー。……あれ?そういえば……」
頭の中をふと何かが過ぎる。
「さっきティファニーが割ったガラスって、どこのガラスだっけ?」
「はい、確かその……」
彼女が指し示したのは、割れ残った三枚のガラスのうち取手の隣の一枚だった。
「なるほどね……」
俺は割れ残った三枚のガラスをざっと調べるが、特に不自然なところは見受けられない。
しかし真鍮製の窓枠を指でなぞると、微かに気泡跡のようなぷつぷつとした手触りを感じる。
「証拠はないけど、犯人はけっこう簡単に見つかるかもしれない」
「えっ!?もうわかったんですか?」
ウィロットの目が輝く。
「証拠がなければわかったとはいえないよ」
「で、誰なんですか?」
「それは……」
トントン……
俺の言葉をノックが遮った。
扉を開けて現れたのはルゥと数人の下働きだった。
「ユケイ王子、とりあえず窓ガラスの補修をさせていただきます。代わりの窓ガラスが用意できるまで板張りをさせていただきます。気になるようでしたらお部屋を移っていただいても結構ですが……」
「いや、このままで大丈夫だよ」
「かしこまりました……」
とりあえず犯人の目星がついたことはルゥには黙っていた方がいいだろう。
俺が不用意なことをいえば証拠などなくても、例えその推理が間違っていたとしても簡単に誰かの首が飛んでしまう。
そう、ローザの罪をなすりつけられて一瞬で処刑されてしまったリットのように。
「ルゥ、脅迫状のことを色々調べたいんだけど協力はお願いしていいのかな?」
「もちろんです。司教様からもエヴォン様からも、ユケイ王子に協力するように言われています」
コンストから言われているのは当然脅迫状に関することだろう。彼女がわざわざエヴォンの名前を出したのは、マグダラのマリアの件を指しているのだろうか?
ルゥは恐らくコンストの配下だと思われる。
しかし数々の言動を見れば、エヴォンとの関係も浅くないように見受けられる。
この場合、それぞれの件でどれほど彼女に情報を明かしていいのだろうか?
「板を張ってしまう前に、ガラスのヒビをスケッチさせてくれ。あと、教会の中で雷で割れたガラスがないかを調べて欲しいんだけど」
「はい、かしこまりました」
「俺も大聖堂のステンドグラスを見ておきたいんだけど……」
「かしこまりました。それでは明日、ご案内させて頂きます」
「うん。ありがとう」
彼女はぺこりと頭を下げると、テキパキと下働きに指示を出す。
「ウィロット、ガラスの模様をスケッチしておいて」
「はい、わかりました」
ウィロットは使い古した羊皮紙を取り出し、窓ガラスと睨めっこを始める。
……そういえば、あの脅迫状に使われていた紙。あの透けるほど薄い紙は何だろうか?
植物紙が多く生産されるようになったため、紙自体の価格は下落傾向にある。それでも高価であることには変わりない。
あの紙は偶然そうできたものではなく、明らかにそのように作られたものだ。あれれだけ薄ければ、文字を書くことに適した規格ではないように思える。
何かの材料や特定の作業に使われるものなのだろうか?
……そういえば昔、似たような物を見た記憶がある。
「あれってもしかして、透かし紙じゃないかな……」
確かにあれは、材質は違うが、前世で使ったこともあるトレーシングペーパーにも思える。
もしガラスのヒビを作り出したのが俺の想像通りであるとしたら、もしかしたら彼は……
「どうしたんですか、ユケイ様。またボーッとして」
「あ?ああ……。ちょっと考え事をしてただけだよ」
「ほんとですか?どうせまたルゥのおっぱいをやらしい目で見てたんじゃないですか」
「おっ……!見てないよ!」
「おっぱい好きなくせに」
「ウィロットいい加減にしろ!人前だぞ!」
カインの一喝が飛ぶ。
いや、人前だからとかそういう問題でもないのだが。
ルゥが不思議そうな顔をして俺に問いかける。
「ユケイ王子はおっぱいが好きなんですか?」
「別に好きじゃないよ!」
「……そうですか」
ルゥは小首を傾げる。
「な、なに?」
「いえ、なんでもありません」
次の日の朝。
昨日の雷雨は嘘のように晴れ渡り、雲ひとつない青空が広がっていた。
「それでは参りましょう」
現れたルゥに連れられ、俺たちは自室を後にした。
ザンクトカレン大聖堂は、主に4つの区画に分かれている。
二つの尖塔の一つは俺たちが現在生活している居住区で、もう一つの尖塔の下には世界最高と言われるステンドグラスを持つ聖堂があった。
その二つの尖塔をつなぐ中央に教会組織の行政区である司教座があり、その後方に修道会の施設が連なる。
本来であれば教会と修道会が一つの建物に収まっていることは珍しいが、それがこのザンクトカレン大聖堂を巨大なものにしている理由の一つだろう。
「ルゥ、今俺たちがいる尖塔は、高さはどれくらいあるの?」
「はい、この尖塔も大聖堂がある尖塔も高さは同じで、143リールです」
「143リールか……。それはすごいね」
「尖塔の高さだけでいえば教皇様が居られます聖バルボア大聖堂より高いそうです」
「そうなんだ……」
転生する前の世界で、中世に作られた最も高い教会建築は1311年のリンカン大聖堂の160メートルだ。
しかしその尖塔はおよそ200年後に起きる嵐によって、崩れ去ってしまう。
最高の教会建築と言われるサグラダ・ファミリアでも172メートルだと考えれば、この教会の尖塔が如何に巨大であるかがわかるだろう。
「まもなく大聖堂です」
心なしかルゥの声が厳かなものになる。
居住区の尖塔を降りきり、司教座を抜けた俺たちは、ついにステンドグラスが待つ大聖堂に差し掛かった。
開け放たれた厚い木製の大扉をくぐると、その瞬間に空気が変わる。
聖堂内には凛とした空気が漂い、多くの人がいるにもかかわらずシンと静まりかえっていた。
聖堂の奥に歩みを進めるとやがて床面に、朝日によって照らされた光の氾濫が訪れる。
視線を上げると、巨大な石の壁面をくり抜くようにはめ込まれた様々な色に彩色された無数のガラスが輝いていた。それは外の光を透過させ、空間を染め上げる巨大な光の絵画のようだった。
ステンドグラスを通り抜けた色とりどりの光の筋は、埃の舞う冷たい空気の層を斜めに切り裂き、高くそびえる石柱や、足元の使い込まれた石畳の上に、極彩色のモザイク模様を落としている。
「すごいな……」
無意識に言葉が漏れる。
「これは『ガラスの聖典』と呼ばれ、神と精霊が世界に理を刻み込む聖典の一節を表しています」
正面に見える一際大きな縦長の窓に記された人物が神であり、その左右に四人ずつ並ぶ者が精霊ということだろう。
そして、それらの上に作られた円形の大きな窓に刻まれているのが……
「あれがそうか……」
そこには無数の色付きガラスで彩られた、大輪の花が咲き誇っていた。




