切子硝子 Ⅴ
エヴォンは続いて俺たちの一行を見回し、その視線はルゥに向けられた。
「久しいな」
「エヴォン様、お久しぶりでございます……」
心なしかその表情と共に、エヴォンの声色が緩んだ気がする。
「息災であったか?」
「はい。今は司教様の下で、不自由なく暮らしております……」
「コンストの下で?」
「はい」
「……そうか。わかった」
ルゥは深く頭を下げる。
二人のやり取り、どうやら彼らには面識があるようだ。
何となくではあるが、ただの顔見知りというよりも深いものを感じる。
「それでユケイ殿。兵士が其方に何か無礼を働いたようだが?」
エヴォンはじっと俺の目を見据える。
これはつまり、俺に兵士の無礼を咎めるのか?ということを聞いている。さらに言えば咎めるなと主張しているのだろう。
「……いいえ、そのようなことはありません。彼の行いは法と正義に基づいた正しいものでした」
この場合の正義というのは、教会の規範のことを指している。
「二言はないな?」
「はい、神に誓って」
「ふん、神にね……」
エヴォンは鼻で笑い、小さく呟いた。
兵士の安堵した顔が目に入る。
「それではこの場には、法と正義を犯すものはいなかった。そういうことだ」
「はい」
俺と兵士が声を揃えて答える。
つまり俺は兵士を咎めず、そして兵士もエリヤザルを咎めるなという意味だ。
「ルゥ、其方もわかったな?」
「はい、エヴォン様」
エヴォン様か……。
ルゥはエヴォンのことを猊下と呼ばない。俺はかつて、遠回しにエヴォンの敬称に猊下を選ぶように促されたことがある。兵士も彼のことを猊下と呼んでいるのに、これは一体どういうことだろうか。
「……行くぞ」
そう言うと彼は少し不慣れに馬の踵を返し、ザンクトカレン大聖堂に向けて歩みを進めた。
エヴォンはエリヤザル達も兵士も、両方を庇ったことになる。
イルクナーゼはエヴォンのことを、無能な狂信者であると批判していた。
しかし今の行いは、狂信者の振る舞いというより、社会的規範と善意により行動しているような気がする。正しい聖職者は慈愛に満ちていたとしても、それは神が示す慈愛であり善人と行動が同じになるわけではない。
エヴォンがルゥにまで念を押したのは、今のやり取りをコンストにも喋るなという意味だろう。
それに「はい」と答えたルゥは、その約束を守る気がする。
とりあえず先ほどの二人の会話で、ルゥが明確にコンストの部下であることはわかった。
エリヤザルたちの話がどこまで真を喰った内容なのかはわからない。しかし神明裁判をコンストがやろうとしているのであれば、俺がエリヤザルの味方をすればルゥの利益とは相反する可能性が高いということだ……。
エリヤザルとマリアはしばらく立ち去るエヴォンに向けて頭を下げ、彼を見送った後に俺の方へ向き直った。
「あ、あの、ユケイ殿下……」
「君たちは俺のことを知っているのか?……いや、それは後でいい。申し訳ないが君たちの話をここで聞くことはできない」
「え!?それはどういう……」
エリヤザルは何か言いたげな態度を見せるが、マリアは察した様子だ。エリヤザルの服を後ろから引き、彼に静止をかける。
マリアは先ほどの会話の中で、俺とエヴォン、そしてコンストとルゥの関係性をそれとなく感じ取っているようだ。
ルゥの前で話をすれば、それはコンストに伝わることになる。
エヴォンは第二王子ではあるが同時に司祭長であり、教会内部の組織図でいえば司教であるコンストに継ぐ地位ということだ。
王子としての身分と教会内の序列、それのどちらに優劣があるのかは実際に二人が一緒にいるところに立ち会わなければわからない。しかし先ほどのやり取りを見ると、王子の立場でコンストがやろうとしていることを一蹴しようとはしていなかった。
そこには様々な理由があるのだろうが、エヴォンがコンストがやろうとしていることに対して批判的に思っていることは明白だ。だからこそ俺にエリヤザルの力になれと言ったのだろう。
ルゥはエリヤザルたちがエヴォンに直訴したことは、コンストに
話さないだろう。しかし、これから先の会話についてはその限りではない。もし俺がエリヤザルの力になるとしても、その内容をルゥに聞かれれば何の意味もなさないのだ。
「ウィロット、エリヤザルたちの話を少し聞いておいてくれないか?」
「わたしがですか?いいですけど……話を聞くって、何を聞けばいいんですか?」
「うん。それはウィロットにもすぐわかると思う」
「え?どういう意味です?」
「いや、あとはウィロットに任せるよ。俺たちは教会に戻ろう」
教会に何かやることがあるわけではないが、とりあえずルゥを引き連れてこの場から離れる必要がある。
本当は切子硝子職人の情報を集めるため、これから商店や硝子工芸組合に行こうかと考えていたのだが。
オルゼンの工房で万が一彼らに迷惑がかかることを危惧し、切子硝子についての話はしなかった。
こうなってしまったらそれは間違いだったかもしれないが、今更それを言っても仕方がない。
今後は街に出る際、なんとかルゥの同行を断らなければならない。
「ユケイ様、エヴォン王子殿下の命令に従う必要はないと思います」
カインが口を挟む。
カインにしてみれば俺がまた危険なことに首を突っ込もうとしているのだから、当然の反応だろう。
しかし俺には一つ、彼らが俺を殿下と呼ぶ理由に心当たりがあった。
そしてもしかしたら、そのことが今回彼女の運命を動かした可能性すらあるのではないかと思う。
「とりあえず行こう。カインにも後で話すよ……」
カインとウィロットは不思議そうに顔を見合わせるが、結局渋々と俺の命に従った。
その後俺たちは、エヴォンの一行を追うようにザンクトカレン大聖堂へと向かう。
彼とは少し距離が離れてしまったが、足早に追いかけた結果大聖堂に着く前に彼らの隊列に追いつくことができた。
大聖堂までの道中に、所々彼を迎えようと人だかりができていた。
彼の到着は特に知らされていなかっただろうが、おそらく口コミでこれだけの人が集まったのだろう。
時々歓声のようなものも聞こえる。
その中には教会の関係者だけではなく、街の人々や子供たちの姿も見える。彼らの表情は一様に明るく、俺の目にはエヴォンの到着を心から喜んでいるように見えた。
「エヴォン王子殿下はここでは大層人気があるようですね」
「そうみたいだね」
カインは辺りを見回すと、そう呟いた。
少なくともヴィンストラルドでは、エヴォンに対してこのような好意的な視線を見たことがない。
それはここが宗教都市であり、エヴォンに対する見方も王子ではなく司祭長としての立場であるからなのだろうか。
「どう思う?」
「……特に思うことはありません」
まあ、カインならそう答えるだろう。
「ただ、やはり馬車は置いてきたみたいですね。見たところ乗馬に慣れているようには見えませんが」
確かにエヴォンは酷く緊張して手綱を握っており、それが伝わるのか騎乗する馬も頻りに鞍上を気にしているように見える。
「あの状態で森と丘を越えるとは、馬にとっては災難ですね」
「そんなことを言うもんじゃないよ」
「はい、すいません」
騎乗に比べ、馬車での移動は格段に遅くなる。そもそも歩みが遅いし、頻繁に休憩を取らなくてはいけないからだ。
特に馬車での丘越えは、登り下り共に非常に大きな負担がかかる。
魔女が原因で嘆きの森で野営ができなければ、大きく森と丘を迂回しないといけなくない。
急ぐのであれば馬車を捨て、騎乗で野営をせずに森を突っ切るしかないだろう。
旅慣れをしている人ならともかく、見るからにそうではないエヴォンがその決断をするのは俄かに信じられない。
「よっぽど急いで来なければいけなかったってことかな」
「収穫祭まではまだ余裕がありますが……」
「急ぐ理由があるとしたら、ミコリーナの件じゃないかな……」
ミコリーナが刻死病を克服したという伝令は、ヴィンストラルドから来ている。道中でエヴォンの元に届いていてもおかしくない。
エヴォンはそれを聞いて、急いで駆けつけたのかもしれない。
俺がやったことは、教会にとって想像以上に深刻な事態を引き起こすということなんだろう。
それの良し悪しは置いておいて、もしそうであれば彼は思った以上に働き者だということだ。
ふと、傍にルゥが近づいていることに気がついた。
俺たちの会話はコンストに筒抜けになると思った方がいいだろう。元々その可能性は考えていたが、今以上に用心する必要がある。
エヴォンはわからないが、おそらくコンストは俺が刻死病の治療に関与していることは知らないようだ。
その点は絶対に知られるわけには行かない。
前世のように、SNSがなくって本当に良かったと思う。
「ルゥはエヴォン猊下と面識があるのかい?」
「……はい。司祭長様ですから」
「そうか……」
これは何かを誤魔化しているのだろうか?
彼女の反応はどう考えればいいのだろう。
俺にはもっと何か、深い繋がりがあるようにも思えるが……。
こうしてエヴォンはザンクトカレン大聖堂の前へ辿りついた。
そこには多くの出迎えが彼を待っており、その先頭には満面の笑みを浮かべたコンストの姿が見える。
エヴォンはコンストの元まで馬を進めると、従者がサッと彼の下馬を介助する。降ろされた途端にエヴォンはヨタヨタよろめき、解放された馬は喜びで軽く首を振った。
「エヴォン猊下、遠路はるばるお越しいただき、心より感謝いたします」
「うむ、コンスト司教。出迎え感謝する」
コンストは両手を差し出し、エヴォンはそれに片手で答える。
「猊下、長旅でお疲れでしょう。すぐに食事の手配をします。今日はゆっくりお休み下さい」
「いや、司教殿、有り難いがそれは後にしましょう。先ずは話さねばならぬことがあるはずだ」
そして二人は教会の中へ消えていった。
二人のやり取りを見る限り、どうやらエヴォンの方が上位にいるように見える。
しかし二人の間ではそうだとしても、他の人対しての影響力もそうだとは言えない。
特に教会組織の中で考えれば、司教の地位は絶大だ。
「あの、ユケイ王子殿下」
ルゥが側から俺を呼ぶ。
「今日はこれで失礼させていただきます」
彼女はぺこりと頭を下げると、小走りで教会の中へ入っていった。




